artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
小平雅尋「他なるもの」
会期:2013/05/27~2013/06/08
表参道画廊[東京都]
小平雅尋は1972年、東京生まれ。97年に東京造形大学造形学部の写真コースを卒業後、写真家としてのあり方を静かに、だが着実に探求し続けてきた。2011年に刊行された写真集『ローレンツ氏の蝶』(シンメトリー)は、その成果を問うたもので、「不断に続けられる世界との細やかな対話の中で紡ぎだされてきたイメージ群」(増田玲)が、端正なモノクローム写真として提示されていた。
今回の「他なるもの」は、その『ローレンツ氏の蝶』の収録作品、及び同時期に撮影されていたアナザーカットによって構成されている。身近な東京の光景から、沖縄や隠岐島までを含むかなり広い範囲で撮影されており、内容的にも風景、昆虫や植物、自分の影を映し込んだ作品まで幅が広い。だが、そこには小平が世界に向ける眼差しのあり方がしっかりと定着されており、揺るぎない一貫性が感じられる。彼の写真の世界が、堂々とした風格を備えて確立してきた証といえるだろう。
タイトルの「他なるもの」というのは、ドイツの宗教哲学者ルドルフ・オットーの『聖なるもの』(1917)のなかの「全く他なるもの」という言葉からとったもので、「この世界に無防備に曝されているという、外界に対する強い畏れの感覚と、同時に現れる恍惚」を指す。このような宗教的な概念について、以前は警戒心が強かったのだが、「あの震災」以降に心に響くようになったという。たしかにこのシリーズには、畏れと恍惚が共存している趣がある。そしてそれは小平にとって、写真を撮るという行為を内から支える根源的な感情でもあるのではないだろうか。
2013/05/30(木)(飯沢耕太郎)
小原里美「SWEDEN」
会期:2013/05/27~2013/06/09
ギャラリー蒼穹舍[東京都]
小原里美は1999~2001年頃に写真新世紀に出品していたのだが、その頃は主にコラージュ作品を制作していた。細かい手仕事の、装飾的な画面をよく覚えている。ところが、その後モノクロームのスナップショットを主に発表するようになった。こちらはとても正統的というか、東京ビジュアルアーツで師事した森山大道の影響の色濃い、くっきりとしたコントラスト、大胆なフレーミングの作風で、その落差にずっと違和感を覚えてきた。
今回の「SWEDEN」の連作(蒼穹舍から同名の写真集も刊行)は、2006年から5回ほどスウェーデンを訪ねて撮影したもので、スナップショットとしての完成度は、以前にくらべて格段に上がっている。それだけではなく、元々小原が備えていた画面の構築力、コラージュ的に事物を配置していく能力の高さが、自然体で発揮されるようになってきているのではないだろうか。スウェーデンに通うきっかけになったのは、彼女の姉が結婚して移り住んだためで、「そこに暮らす私の家族」や親戚たちの暮らしぶりが写り込んでくることで、写真に単なる旅行者の視点ではない厚みが生じてきた。人、街、自然の絡み合いが、綴れ織りのように展開していく写真群を、気持ちよく目で追うことができた。
こうなると小原の視覚的体験は、彼女がずっとこだわり続けてきたモノクロームの世界にはおさまり切れなくなってきているのではないかとも感じる。彼女のコラージュ作品はカラフルな原色の世界だった。カラー写真の「SWEDEN」をぜひ見てみたいものだ。
2013/05/28(火)(飯沢耕太郎)
郵便夫と森の星
会期:2013/05/25~2013/05/26
アトリエ河口[三重県]
三重県阿山郡島ヶ原村(現在は伊賀市と合併)出身の画家・岩名泰岳は、滋賀県での美大生時代や卒業後のドイツ留学を経て、現在は郷土での活動を選択。地元の有志と島ヶ原村民芸術「蜜の木」という団体を立ち上げ、地域から発信する芸術・文化活動を模索している。今回は、岩名の作品と、現在彼が使用するアトリエの元の持ち主で、郵便配達夫兼画家だった河口重雄(故人)の作品が共演する2人展を開催。わずか2日限りの機会だったが、初日に行なわれた岩名と後藤繁雄(クリエイティブ・ディレクター)の対談に約150名もの観客が訪れるなど、大きな反響を巻き起こした。実際に出かけてみると会場のポテンシャルが高く、さまざまな企画に対応できることがわかった。岩名をはじめメンバーの士気も高く、今後の活動がとても楽しみだ。
2013/05/26(日)(小吹隆文)
志賀理江子「นัดบอด/ブラインドデート」
会期:2013/03/08~2013/06/30
仙台に帰郷したついでに、せんだいメディアテーク近くの古書店、Magellan(マゼラン)に立ち寄ったら、思いがけず志賀理江子の展示を見ることができた。
この「ブラインドデート」は、2009年にタイ・バンコクにアーティスト・イン・レジデンスで滞在中に制作した作品だ。バンコクはバイク天国で、若いカップルたちが相乗りしている姿をよく見る。志賀はそれを見て「これだけ多くのバイクに乗った人がいれば、きっとふざけて彼の目を手で隠して走り、死んだ恋人がいたかもしれない」と考える。実際にはそんな事実はなかったようだが、彼女はいつものようにその夢想(というより妄想)を身体的な現実として定着しようと試みる。バイクに相乗りする100組の恋人たち、「彼らとともに5分間バイクを走らせ」、その姿を至近距離から撮影したのだ。
それら、エクスタシーと死者との間に宙吊りになったような表情の恋人たちのポートレートが、古書店の壁や天井にパラパラと貼られている。バンコクで展示したときのテープや画鋲の穴の痕がそのまま残っているプリントを、隠れん坊の鬼になったような気分で探し歩くのがなかなかいい。実はポートレートの何枚かは、売り物の本の中に「しおり」として挟み込まれていて、それを買った人は持ち帰ることができるという仕掛けになっているようだ。「螺旋海岸」のような大作と比較すれば小品には違いないが、これはこれで、彼女の発想を形にしていくプロセスがヴィヴィッドに伝わってくる興味深い実験作だった。
2013/05/26(日)(飯沢耕太郎)
祐源紘史 個展「最初の食事が死の始めである」
会期:2013/05/10~2013/06/07
ギャラリーt[東京都]
ケンタッキーフライドチキンの食べカスの骨で人体の骨格模型を組み立てる祐源。旧作のバレルの上に直立する骨格もあるが、今回は片手で骨を振りかざす新作の骨格もあって、まるで『2001年宇宙の旅』のプロローグに出てくる猿人を思い出す。猿人の骨がチキンとはね。ほかにも油のついた紙を「ドローイング」として額装したり(これは榎倉康二風)、ケンタから多くのネタを引き出している。もう少し有名になったら、ケンタからチキンを無償提供してもらえるといいね。ケンタ以外では、卵のパックに鶏卵と中身を抜いた殻を半々ぐらい並べた作品があった。これだけじゃ作品にならないが、タイトルを見ると《隣はセメタリー》となっていて激しく納得。まさに生と死が隣り合わせになってるのだ。しかもよく見ると、ひとつの殻は割れた部分がドクロのかたちになっている。コンセプトが明快でユーモアがあり、芸も細かい。
2013/05/25(土)(村田真)