artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
フィギュア誕生30周年「海洋堂フィギュアワールド」
会期:2013/05/02~2013/05/07
東急東横店西館8階催物場[東京都]
東急東横線の渋谷駅が廃止されたと思ったら、東急東横店の入口も閉鎖されてるではないか。50年前から変わらぬ渋谷駅を知ってる者としては寂しい限り……と思ったら、閉館したのは東館だけで、西館はまだ現役ピンピン。ってほどでもないけど、海洋堂のイベントをやっていたので行ってみた。海洋堂のフィギュアで思い出すのが、レオナルドとミケランジェロが繰り広げたといわれる「絵画と彫刻、どっちがエライ?」論争だ。ミケランジェロが「絵画はイリュージョンにすぎないけど、彫刻は実在だぜ」とケンカ吹っかけたのに対し、レオナルドは「彫刻は奥行きや状況描写ができないけど、絵画ならできるもん」と答えたという。本当にあったかどうかもわからない論争だが、海洋堂のフィギュアはレオナルドの反論に対する反証になっているように思えるのだ。まずフィギュアは、2次元でしか表わせなかったキャラクターの画像を、かなり強引に3次元に起こしてみせた。いってみれば多焦点的なピカソの絵を立体化したようなもんだ。さらに海洋堂は踏み込んで、火や水といった流動物の固定化や、遠近感をともなう背景描写、動きや変化などの時間表現までちっちゃなフィギュアに採り込んでしまう。レオナルドをして彫刻には不可能だといわしめた状況描写を、海洋堂はいともたやすく(でもないだろうけど)フィギュアで実現してみせたのだ。ぼくがフィギュアに関心をもつのはその1点のみだ。
2013/05/04(土)(村田真)
トーキョー・ストーリー2013 第2章「アーティスト」
会期:2013/05/02~2013/07/07
トーキョーワンダーサイト渋谷[東京都]
1年ぶりに再開したTWS渋谷では、先月見たTWS本郷に続き、2013年度のクリエーター・イン・レジデンスの成果を問うオープン・スタジオが開かれている。アーティストは足利広、遠藤一郎、栗林隆の3人で、彼らは同時期にレジデンスを体験したことで意気投合し、「アーティストとしての生き方」「アーティスト自身」を提示するところからプロジェクトを始動したという。それはいいんだけど、作品は各展示室に置かれた鉄の檻(客も入檻できる!)と、メインルームで3面スクリーンに映し出される林や祠や鳥居の映像くらいしか見当たらない。これだけ? ショボすぎないか? 本郷の「第1章」では各自精一杯つくっていて見ごたえあったのに、これはないだろ。と思ったら、会期中「作品」であるアーティストが会場を変容させていくと書いてあった。そうか、お楽しみはこれからなのね。どうやら来るのが早すぎたようだ。
2013/05/04(土)(村田真)
The Responsive Eye
会期:2013/04/30~2013/05/12
海岸通ギャラリー・CASO[大阪府]
「The Responsive Eye」とは、1965年にニューヨーク近代美術館で開催され、オプアートの存在を知らしめた重要な展覧会だ。それと同名の本展では、関西を中心に活動する5作家を紹介。彼らの作品は、視覚効果のみならず、人間の生理、記憶、関係性、現実と現象の狭間などがテーマとされており、多様な視点から今日的なオプ・アートを提示する試みとなった。出品作家は、君平、ふなだかよ、水城まどか、本郷仁、笹岡敬。なかには本当にオプ・アートの範疇に入れるべきなのか疑問に思う作家もいたが、作品のスケールと完成度、展示の美しさには目を見張るものがあった。質の高い企画展として記憶にとどめたい。
2013/05/04(土)(小吹隆文)
あいちトリエンナーレ2013 現代美術作品第1号「昭和時代階段」
会期:2013/04/27~2013/05/10
伏見地下街とその地上出入口(名古屋市中区内)[愛知県]
あいちトリエンナーレ2013の最初のプロジェクト、打開連合設計事務所による伏見地下街のリノベーションを研究室で手伝う。東北大の五十嵐研からは11名が参加した。彼らが得意とするブループリントのシリーズで使う手法、すなわち青く塗り、稜線に沿って白いラインを引いていく作品である。またこの地下街が誕生した昭和時代をテーマに掲げている。制作途中からテレビや新聞など、各種のメディアが紹介していたように、実際、フォトジェニックな作品であり、見る角度によって透視図法が像を結び、実空間に異空間が重なるため、さらに視点を移動しながら見ると面白い。また夜にはキュレーターや長者町のスタッフらが、制作ボランティアに食事をふるまい、苦労をねぎらう。リノベーション・プロジェクトは、ほぼ完成し、すでに見ることができる状態になっているが、あいちトリエンナーレが始まる8月まで隠される秘密の部屋もある。また、オープニングの直前絵が少し追加されるという。なお、鑑賞は夜に青く光る出入口の状態もおすすめである。
2013/05/03(金)(五十嵐太郎)
金村修「Ansel Adams Stardust (You are not alone)」
会期:2014/04/23~2014/05/06
銀座ニコンサロン[東京都]
金村修は、いつ頃から変化することを意識的に拒否するようになったのだろうか。1990年代前半にデビューしてすぐに、彼は雑然とした都市の環境を、6×7判カメラに詰めたモノクロームフィルムでフォルマリスティックに切り取り、やや大きめにプリントして壁面にモザイク状に貼り付けていく展示の方法をとるようになる(ロックの曲名まがいのタイトルの付け方もその頃からだ)。つまり、もう既に20年以上も、ミュージシャンが同じヒット曲をずっと歌い続けるように、同工異曲の展示を見せ続けてきたのだ。
それがどんな理由によるものなのかはよくわからない。おそらくある種の頑固なこだわりというよりは、変化することに対して神経質な怖れを抱いているのではないかと想像できる。いずれにせよ、彼は同じ曲を歌い続けることを自らの意思で選択した。そしてそのことについて、常に釈明しなければならないという強迫観念にとらわれているように見える。この所の彼の展示が、いつでも大量の言葉の群れによって覆い尽くされているのは、そのためではないだろうか。
今回の「Ansel Adams Stardust (You are not alone)」展でも、会場内の柱の四面に、文章をびっしりとプリントした印画紙が貼付けられていた。断言してもよいが、彼の言葉は何らかのメッセージを伝えることを目的にしているわけではない。丁寧にその意味を読み解いていこうとしても、はぐらかしとこけ威しの迷路の中で堂々巡りするだけだ。要するに、これらの饒舌な言葉の群れは、金村が自分の写真行為を正当化するために吐き散らしたものだ。3枚の写真ですむ所に3000枚の写真を費やすように、3行ですむ言葉を3000行に増殖させるシステムを金村は発明した。このシステムにのっとって写真を撮影し、言葉を綴れば、いくらでも無制限に垂れ流すことができる。自分で作った砦に立て籠り続けても別にいい。だがもう一度、吹きっさらしの荒野で、抜き身の戦いを挑む気概はないのだろうか。
2013/05/03(土)(飯沢耕太郎)