artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

山口晃 展

会期:2013/04/20~2013/05/19

横浜そごう美術館[神奈川県]

2010年、ミヅマアートギャラリーでの個展「いのち丸」について、山口晃は「現代アート」という束縛から抜け出て、正面切って「マンガ」を描くべきではないかと書いた。その評価は、いまも変わらない。いや、本展を見て、ますますその思いを強くした。
本展は、山口晃の代表作を網羅したうえで、最新作も発表した個展。さらに、本展のなかで「山愚痴屋澱エンナーレ2013」を開催した。山口の代表作が立ち並んだ展観は確かに壮観だ。昨年、メゾンエルメス8階フォーラムでの個展「望郷 TOKIORE(I)MIX」で、未完成のまま発表された巨大な襖絵《TOKIO山水》が加筆されたうえで展示されるなど、見どころも多い。
しかし、「澱エンナーレ」はまったくもって理解に苦しむ。これは、現代アートの国際展に対するアイロニー以外の何物でもないが、ここで展示された現代アートの作法や文法をネタにした数々の作品は、いずれも中途半端なものばかりだ。それゆえ、あの手この手を尽くしてアイロニーを連発すればするほど、空回りするそれらを見るのが耐えがたくなる。あるいは、その生半可さをもって、映像であろうと平面であろうとコンセプトを求める現代アートに対して痛烈な皮肉を放っているのかもしれない。だが、同じくアイロニーのアーティストである会田誠と比べてみれば、その鋭さに限っては明らかに会田に分があると言わねばなるまい。
その後、展覧会の後半には山口が手がけた挿絵のシリーズが展示されていた。五木寛之の『親鸞』やドナルド・キーンの『私と20世紀のクロニクル』へ提供した挿絵は、いずれも挿絵であるがゆえにサイズは小さいが、一枚ごとに、いや、一枚のなかですら、いくつかの描写法を投入しており、非常に見応えがあった。線と色彩、そして文字が、これ以上ないほど絶妙に調和している様子が美しい。たとえ挿絵の母胎である物語の詳細が示されていなくても、挿絵そのもので鑑賞者の視線をこれほど楽しませることができたのは、やはり山口晃の手腕によるのだろう。最後の最後で、山口の画力を改めて存分に味わうことができたので、胸をなでおろした来場者は多かったのではないか。
だとすれば、この展覧会のなかで感じた興奮と興醒めの振り幅ですら、もしかしたら山口晃によって仕掛けられた展示の抑揚ではないかと思えなくもない。しかし、仮にそうだとしても、その芸の賞味期限が迫っていることも事実である。アイロニーであろうと何だろうと、芸の手の内が詳らかにされた瞬間、マンネリズムが始まるからだ。あるいは、現代アートに向けられたアイロニーという手法自体が、とりわけ3.11以後の社会状況においては、現代アートの非社会性を上塗りしかねないと言ってもいい。あの震災は、社会的現実のなかに表現すべき主題があふれていることを私たちに改めて確認させた。そうしたなか、現代アートに安住しながら現代アートに皮肉を飛ばすことにどれだけのリアリティがあるのか、疑問に思わない方が不思議である。

2013/05/13(月)(福住廉)

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Welcome to the Jungle 熱々!東南アジアの現代美術

会期:2013/04/13~2013/06/16

横浜美術館[神奈川県]

よく晴れた日曜日の昼下がり。なのに美術館内はタイトルに反してひんやりしていた。それは観客がまばらだからというだけでなく、かつてアジア美術に感じられたような熱気が出品作品から感じられず、ということはつまりクールなものが多く、しかも展示が「ジャングル」とは正反対に整然としていて破綻がないからだ。いやぼくはなにも東南アジアの現代美術は熱く、混沌としていなくちゃいけないと考えているわけではない、とわざわざ断らなくちゃいけない程度にはそう考えているけど、主催者はそれ以上に「熱々」と考えているらしい。その現実とのギャップがひんやりしている原因なのだ。

2013/05/12(日)(村田真)

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佐久間里美「In a Landscape」

会期:2013/04/20~2013/05/26

POETIC SCAPE[東京都]

佐久間里美は、大阪のPort Gallery Tや東京のMUSEE Fなどで個展を重ねてきた写真家。日本大学芸術学部美術学科で油画を専攻していたという経歴にふさわしく、風景を色面で分割して抽象画を思わせるパターンで構成する作品を発表してきた。これまで、その画像構築のセンスのよさに注目してきたのだが、今回の個展では、作品世界をそこから一歩先に進めていこうとする強い意欲を感じとることができた。
新作の「In a Landscape」では、色面による構成だけではなく、画像の一部が歪んだり、奥行きを感じさせたり、薄膜がかかったようにぼんやりと霞んだりする、さまざまな視覚的な効果が駆使されている。一見すると、多重露光や画像合成のテクニックを用いているようだが、それらはすべて「写真の作法にこだわったストレートな一発撮り」で撮影されているのだという。おそらく、実像と水面や鏡面に写り込んでいる反射像とを、巧みに画面に配置してカメラアングルを決め、シャッターを切っているのだろう。
その視覚的効果はめざましいものがあり、これまでのスタティックでスタイリッシュな都市の風景写真というイメージは完全に一掃されている。ただ、方向性としては間違っていないと思うが、それが画像構築のための手段いうことだけに留まるとすれば問題があると思う。絵画の素養を活かした視覚的効果ということで言えば、例えばゲルハルト・リヒターにかなうはずがない。何を、なぜ撮るのかという心理的な動機の部分をもう少し掘り下げ、画面の中にさらに「思いがけない何か」を呼び込んでもらいたいものだ。

2013/05/11(土)(飯沢耕太郎)

村越としや「木立を抜けて」

会期:2013/04/12~2013/05/11

Taka Ishii Gallery Potography & Film[東京都]

最終日になんとか村越としやの展示を見ることができた。今回の「木立を抜けて」は新作ではなく、2009年に撮影されたもの。余命3カ月と宣告された祖母の写真を撮影しようと、実家のある福島県須賀川に何度も帰っていた。ところが、次第にやせ細っていく祖母の姿をほとんど撮ることができず、「祖母の影を追うように実家周辺を歩いては」6×6判のカメラのシャッターを切っていたという。今回の展示では、祖母が亡くなった後も撮り続けた写真も含めて15点を展示していた。
この欄でも何度か紹介しているように、「3.11」以後に村越の表現力は格段に上がってきている。だがこの展示を見ると、すでに2009年の時点で彼のスタイルはほぼ完成していたことがわかる。親和性と違和感とが微妙にバランスを保った風景との距離感、目にじっとりと絡み付いてくるような湿り気を帯びたモノクロームプリントの質感、なんでもない光景からアニミズム的な気配を感じ取る能力などは、すでにこの頃の写真にもはっきりと表われている。
展示作品のなかに、蛇行して地平に消えていく川を、おそらくは橋の上から撮影した写真があった。その右側の河岸に釣り人らしい白っぽい服装の人物の姿が写っている。遠すぎて顔つきなどはまったくわからないのだが、これまで村越の作品には人の影がほとんどあらわれてこなかったので、その一枚が妙に気になった。ストイックに「風景」に没入していく村越の作品も魅力的だが、そろそろ画面の中に「人」の要素をもっと取り入れていってもいい時期に来ているのではないだろうか。どうもこの釣り人は、村越の分身のような気がしてならない。

2013/05/11(土)(飯沢耕太郎)

吉本直子─silent voices─

会期:2013/05/10~2013/05/31

Yoshiaki Inoue Gallery[大阪府]

古着のシャツを圧縮し、糊で固めてオブジェ化する吉本直子。作品には無数のシャツが用いられているが、その一つひとつに元の所有者の時間や記憶、痕跡が染みついているわけで、そう考えると少々恐ろしくもある。本展では2フロアで作品を展示。下階では棺のようなオブジェと、本を模し聖書の一説を記した小品が展示され、上階ではレンガ状に加工したピースを壁3面に積み上げたインスタレーションと本の小品を見ることができた。どちらも空気がピンと張りつめた静謐な空間をつくり上げており、作家の力量を改めて体感することができた。

2013/05/11(土)(小吹隆文)