2021年09月15日号
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artscapeレビュー

山口晃 展

2013年06月01日号

会期:2013/04/20~2013/05/19

横浜そごう美術館[神奈川県]

2010年、ミヅマアートギャラリーでの個展「いのち丸」について、山口晃は「現代アート」という束縛から抜け出て、正面切って「マンガ」を描くべきではないかと書いた。その評価は、いまも変わらない。いや、本展を見て、ますますその思いを強くした。
本展は、山口晃の代表作を網羅したうえで、最新作も発表した個展。さらに、本展のなかで「山愚痴屋澱エンナーレ2013」を開催した。山口の代表作が立ち並んだ展観は確かに壮観だ。昨年、メゾンエルメス8階フォーラムでの個展「望郷 TOKIORE(I)MIX」で、未完成のまま発表された巨大な襖絵《TOKIO山水》が加筆されたうえで展示されるなど、見どころも多い。
しかし、「澱エンナーレ」はまったくもって理解に苦しむ。これは、現代アートの国際展に対するアイロニー以外の何物でもないが、ここで展示された現代アートの作法や文法をネタにした数々の作品は、いずれも中途半端なものばかりだ。それゆえ、あの手この手を尽くしてアイロニーを連発すればするほど、空回りするそれらを見るのが耐えがたくなる。あるいは、その生半可さをもって、映像であろうと平面であろうとコンセプトを求める現代アートに対して痛烈な皮肉を放っているのかもしれない。だが、同じくアイロニーのアーティストである会田誠と比べてみれば、その鋭さに限っては明らかに会田に分があると言わねばなるまい。
その後、展覧会の後半には山口が手がけた挿絵のシリーズが展示されていた。五木寛之の『親鸞』やドナルド・キーンの『私と20世紀のクロニクル』へ提供した挿絵は、いずれも挿絵であるがゆえにサイズは小さいが、一枚ごとに、いや、一枚のなかですら、いくつかの描写法を投入しており、非常に見応えがあった。線と色彩、そして文字が、これ以上ないほど絶妙に調和している様子が美しい。たとえ挿絵の母胎である物語の詳細が示されていなくても、挿絵そのもので鑑賞者の視線をこれほど楽しませることができたのは、やはり山口晃の手腕によるのだろう。最後の最後で、山口の画力を改めて存分に味わうことができたので、胸をなでおろした来場者は多かったのではないか。
だとすれば、この展覧会のなかで感じた興奮と興醒めの振り幅ですら、もしかしたら山口晃によって仕掛けられた展示の抑揚ではないかと思えなくもない。しかし、仮にそうだとしても、その芸の賞味期限が迫っていることも事実である。アイロニーであろうと何だろうと、芸の手の内が詳らかにされた瞬間、マンネリズムが始まるからだ。あるいは、現代アートに向けられたアイロニーという手法自体が、とりわけ3.11以後の社会状況においては、現代アートの非社会性を上塗りしかねないと言ってもいい。あの震災は、社会的現実のなかに表現すべき主題があふれていることを私たちに改めて確認させた。そうしたなか、現代アートに安住しながら現代アートに皮肉を飛ばすことにどれだけのリアリティがあるのか、疑問に思わない方が不思議である。

2013/05/13(月)(福住廉)

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