artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

ゲントから横浜へ──アートは街に介入する

会期:2012/12/23

さくらWORKS<関内>[神奈川県]

関内の空きビルの1フロアにオープンした「さくらワークス」のオープニング記念として企画された、現代美術のドキュメンタリスト安斎重男によるレクチャー。前半は、1986年にベルギー・ゲント市内の民家を借りて作品を展示した伝説の展覧会「シャンブル・ダミ」展を紹介し、後半は観客からゲストを選んで横浜に話をつなげていく。安斎さんはデジタル対応してないので、久々にスライド映写機を用いてのレクチャーとなった。ぼくは4半世紀前(1987)にも安斎さんの「シャンブル・ダミ」とドクメンタ8とミュンスター彫刻プロジェクトを巡るスライドレクチャーを聞いたことがあるので、とてもなつかしい。2012年にはやはりゲント市の街を使って「トラック」展が開かれたが、これを企画したのが「シャンブル・ダミ」を高校生のときに体験し、アートに目覚めてゲントの美術館に就職したというキュレーターだ。時代が一巡したなあ。

2012/12/23(日)(村田真)

吉野英理香「Digitalis」

会期:2012/12/08~2013/01/19

タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]

ひとりの写真家の世界が、何かのきっかけで大きく開花していくことがある。吉野英理香にとっては、それは写真集『ラジオのように』(オシリス、2011)の刊行だったのではないだろうか。吉野はこの写真集におさめた写真を、それまでのモノクロームからカラーに変えて撮影した。そのことで、北関東の街のなんとも殺風景な日々の情景が、傷口をそっと指の腹で撫でるような切実さで定着されるようになった。
今回発表されたのは、その続編というべきシリーズだが、その作品世界はさらなる深まりを見せている。路上で撮影されたスナップ的な写真が減ってきて、身近なモノをじっと見つめているような写真が目につく「火がついて半ば燃えかけた紙片」「闇の中に半ば消えかけている猫」「植え込みに半ば隠れている自動車」「羽根を半ば閉じた(開いた)白鳥」──こうして見ると、何かが途中で中断したり、曖昧な形のままに留まったりしている、宙吊りの印象を与える写真が多いことがわかる。その「半ば」という感覚こそが、吉野の視線のあり方を強く支配しているように思えるのだ。
個人的にとても強く惹かれる写真が一枚あった。窓辺に置かれた洗面器のような金属製の容器に水が張られ、紙(写真のプリント)が浮いている写真だ。静謐だが、凛と張りつめた緊張感を漂わせている。彼女の師である鈴木清が写真集『流れの歌』(私家版、1972)の表紙に使った、あのつけ睫毛が洗面器の底に貼り付いた写真を思い出した。鈴木から吉野へ、イメージが眼から眼へと手渡されているということだろう。

2012/12/21(金)(飯沢耕太郎)

志村信裕 展「美しいブロー」

会期:2012/12/12~2012/12/23

アートセンター・オンゴーイング[東京都]

急な階段を昇ると2階は真っ暗。壁面にボケて円形になった色とりどりの光の粒が漂う。部屋の隅には紙袋が置かれ、なかをのぞくと底にリボンの映像が舞っている。かたわらのバケツには水が張られ、水面には花火が映し出される。1階のカフェで休むと、棚にエビスさまの映像が鎮座しているのが目に入る。だいたい見たことあるやつだけど、映像は絵画や彫刻と違い、映す場所によってまったく別の作品になりうる(つまり応用が利く)から便利というか、ズルイというか。そんなサイトスペシフィックな映像では志村の右に出るものはいない。

2012/12/21(金)(村田真)

中ザワヒデキ 展「脳で視るアート」

会期:2012/12/08~2013/02/17

武蔵野市立吉祥寺美術館[東京都]

いつのまに吉祥寺に美術館なんてできたんだろう。商業ビルの7階にあるのでそんなに広くないうえ、浜口陽三と萩原英雄というふたりの版画家の常設展示室が約半分を占めているため、企画展示室はかなり狭い。だから中ザワの多岐にわたる活動をすべて紹介するにはとても足りないため、彼が医学部出身で眼科医局にも務めていた経験があることから、脳の視覚作用に基づく作品つまり「脳で視るアート」に絞ったという。まあ広くとらえればあらゆる視覚芸術は「脳で視るアート」なんだけどね。出品は、画面を三原色のマス目で埋めた《灰色絵画》(頭のなかで混ぜれば灰色になる)、画面を細胞(セル)のように次々と2分割して絵具を重ねていった《セル》、美術か医学か迷っていた眼科医時代(1988)に視力表を新表現主義的タッチで描いた《シリョクヒョウ》、手を介さずに脳の働きをそのまま紙に記した《脳波ドローイング》などのシリーズ。いずれも絵画を成り立たせている色彩、構成、視覚、手の動きといった要素を突きつめ、ときに絵画の枠すら超えてしまった概念性の強い作品といえる。このなかではもっとも概念性は低いものの、作者の葛藤がそのまま絵になったような《シリョクヒョウ》に惹かれるなあ。

2012/12/21(金)(村田真)

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石塚元太良「氷河日記 グレイシャーベイ」

会期:2012/12/06~2013/12/28

SLOPE GALLERY[東京都]

石塚元太良は2010年にシーカヤックでアラスカの湾岸を移動しながら、氷河を撮影するというプロジェクトを行なった。2011年には文化庁在外芸術家派遣員としてアメリカに滞在して、前に写真集(『PIPELINE ALASKA』2007)にまとめたアラスカの石油パイプラインのシリーズを撮影し直した。さらに2012年にはアイスランドにアーティスト・イン・レジデンスで滞在して、当地の地熱エネルギーを利用したお湯のパイプラインを撮影している。それ以前から世界中を飛び回る行動力には定評があったのだが、近年は移動の範囲がより広がるとともに、プロジェクトを着実に形にしていくことができるようになってきた。
本展では2010年7〜8月に、キャンプしながらアラスカ・グレイシャー湾をカヤックで回ったときの写真を展示している。35ミリカラーフィルムで撮影した、縦位置のスナップショット写真16点が中心だが、大判カメラで撮影した氷河の写真3点も、大きく引き伸ばして展示している。移動しつつ、軽やかに被写体を捉えていくスナップショットも悪くないが、光を透かして青く輝く氷河の表層をなぞるように写しとった写真に、石塚の写真家としての姿勢がしっかりと定まってきていることがうかがえた。いま制作中というアラスカとアイスランドの石油パイプラインのシリーズが、どんな形でまとまってくるのかが楽しみだ。1977年生まれの彼にとっては、写真を通じて歴史観、世界観が問われる正念場の時期を迎えつつあるのではないかと思う。
なお、展覧会にあわせて小ぶりなサイズの写真集『氷河日記 グレイシャーベイ』も刊行されている。自費出版の、手作り感が漂う写真集だが、逆に写真にもテキストにも自分の思い通りの形にしていこうという爽やかな意欲がみなぎっている。これまで彼が刊行してきた写真集のなかでも、一番いい出来栄えかもしれない。

2012/12/20(木)(飯沢耕太郎)