artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

「CONNECT⇄_つながる・つづく・ひろがる」身体感覚で楽しむプログラム 竹村京「Floating on the River」

会期:2021/12/02~2022/01/16

京都国立近代美術館 1階ロビー[京都府]

ひび割れた皿や欠けたコップ、首の折れたグラスなど、壊れた日用品を薄く透けるオーガンジーの布で包み、ヒビや欠けをなぞるように絹糸で刺繍を施す「修復シリーズ」を制作している竹村京。その作品群は、コロナ下において、「傷ついた日常の回復への希求」という新たな意味を持つようになった。

割れたり、欠けた皿や器を漆で接着し、金粉を施す「金継ぎ」が「修復」と「装飾」の二つの機能を持ち、「傷や破壊の痕跡を見えなくするのではなく、記憶として保ち続ける」ように、竹村の「修復シリーズ」においても、刺繍の線の密度が、「傷の記憶」を示しつつ「装飾」という要素を加える。「布で包み、糸で縫い合わせる」その手つきは、まさに「傷口の縫合」を思わせる。傷口は永遠に閉じず、癒えることはないが、一方でそれは「喪失の記憶自体が失われること」を縫い留めようとする所作にも見える。



[撮影:衣笠名津美]


本展は、アートを通して共生社会や多様性について考える「CONNECT⇄_」のプログラムの一環として開催され、竹村の「修復シリーズ」の一部を手で触れて体験することができる。また、ワークショップ参加者が同様の技法で「修復」したさまざまな日用品とともに、壁一面を覆う大作《Floating on the River》(2021)が展示された。人の気配がない空港の光景を写した写真の上に、透けるオーガンジーの布がかけられ、表面には「修復された日用品」をかたどった刺繍が点々と浮かぶ。この空港の写真は、パンデミックが拡大した2020年1月末、中国からの入国が禁止されたシドニーの空港で撮影したものだという。空港は、膨大な人とモノが行き交うグローバリゼーションの象徴であると同時に、国境を超えた人の大量移動がパンデミックをもたらした。雨で閑散とした空港の光景を、「修復された日用品」を散りばめた布でくるむ竹村の作品は、極めて両義的だ。それは、「喪われた日常の秩序の回復」への希求を示すと同時に、コロナ禍で露になった傷や分断、構造的矛盾を指し示し、「元通り」「現状復帰」には決してならないし、なるべきではないことを見つめるよう、促すのだ。



[撮影:衣笠名津美]



[撮影:衣笠名津美]


公式サイト:https://connect-art.jp/

2021/12/23(木)(高嶋慈)

題府基之「untitled(pee)」

会期:2021/11/21~2021/12/25

MISAKO & ROSEN[東京都]

電柱に水の染みといえば、誰でも犬のマーキングを想像するだろう。タイトルにも「pee(おしっこ)」とあるから、そう思うのも当然だ。だがギャラリーの壁に、やや仰々しい大判プレートのフレーミング(129・8×86・4㎝)で展示してある11点の作品は、どうやら「アーティスト本人が放った水」を撮影したもののようだ。プリントの色味や質感もちゃんとコントロールしているのですっかり騙されてしまった。

題府基之はこのところ、家の「内部」から「外」へと被写体の幅を広げている。今回の「untitled(pee)」もその一環といえるだろう。そこに「アーティスト本人」によるパフォーマンスの要素を加えたところに、題府の意欲を感じる。やや小味ではあるが面白味のあるシリーズになった。ただ、コンセプトをあまり厳密に定めすぎると、以前の彼の作品に横溢していた破天荒で勢いのある偶発性が失われ、まとまりのよすぎる仕事になってしまう。そのあたりのバランスの取り方が、今後の課題といえるのではないだろうか。

展覧会にあわせてMISAKO & ROSENから同名の小冊子も刊行された。こちらは「pee」が写っている写真だけでなく、街路の一部を即物的に切り取ったスナップ写真(人影はない)を併載している。その方が、「外」に向ける題府の視点が、よりクリアにあらわれてきているようにも見える。展示でも、内と外の両方の要素の写真を対比的に並べるやり方も考えられそうだ。

2021/12/22(水)(飯沢耕太郎)

齋藤大輔「石巻市定点撮影2011−2021」

会期:2021年12月21日~2022年1月10日

ニコンサロン[東京都]

東日本大震災から10年が経過した2021年には、もう一度「震災後」の状況を振り返り、記憶を更新するような仕事がいくつか発表された。齋藤大輔の「石巻市定点撮影2011−2021」もそのひとつに数えられるだろう。

タイトルの通り、津波で大きな被害を受けた宮城県石巻市内の39カ所にカメラを据え、2011年5月、2016年5月、2021年5月に同じアングルでシャッターを切った写真、117点を並べている。瓦礫に覆い尽くされた街や道路の非日常的な状況が、次第に日常化(正常化)していく様子が写しとられており、労作であるとともに、どう見せるのかというコンセプトがしっかりと確立されていた。定点観測写真に必要なのは、客観性をいかに精確に保ち続けるかということだが、その点においては、技術的なレベルも含めてほぼ完璧に仕上がっている。広がりのある風景を捉えるために、複数の画像データをつなぎ合わせてパノラマ画面にしたり、2021年撮影の写真だけをカラーでプリントして、現在性を強調したりする操作もとてもうまくいっていた。

ただ、このようなロジカルな枠組みの写真構成によって、逆に抜け落ちていくものもありそうだ。定点観測写真は、ともすれば「神の眼」のような視点になりがちで、撮り手の位置づけが見えにくくなってしまう。見る者にとっても、同じアングルの3枚の写真の細部の比較に縛られて、息苦しさを感じてしまうこともあるだろう。もう少しゆるい作画意識で撮影された写真と並置することで、石巻という土地の固有性が、より膨らみをもって見えてくるのではないだろうか。なお展覧会にあわせて、グラフィカ編集室から同名の写真集(すべてモノクロームの図版)が刊行されている。

2021/12/21(火)(飯沢耕太郎)

ミヤケマイ×華雪 ことばのかたち かたちのことば

会期:2021/12/20~2022/01/29

神奈川県民ホールギャラリー[神奈川県]

「ことば」が先か、「かたち」が先か。本展を観た後、まるで「卵が先か、鶏が先か」のような呪文を唱えてしまった。本展のタイトルのひとつ「ことばのかたち」は言葉そのものの形を意味するので、おそらく文字を指す。あるいは発語の印象か。いずれにしても言葉が生まれた後にできたものだ。では、タイトルのもうひとつ「かたちのことば」は何だろう。ある形をどんな言葉で呼ぶか、どう言い表わすかということか。もしくは言葉にはできない形を指しているのか。

「ことばのかたち かたちのことば」は、美術家のミヤケマイと書家の華雪による二人展のタイトルである。どちらがどれとはっきり断言されているわけではないが、「ことばのかたち」を模索し表現するのは書家の華雪、そして「かたちのことば」をすくい上げ豊かに表現するのは美術家のミヤケマイだ。華雪は幼い頃に漢文学者・白川静の字書に触れたことが、書の作品づくりに取り組むきっかけになったと言う。象形文字である漢字は、まさに自然物などを象った形そのものであり、その点で「かたちのことば」とも言える。本展では東日本大震災後に被災地で行なったワークショップ「『木』を書いて、『森』をつくる」を採用し、自身のインスタレーションとして発表した。「木」と一文字だけ力強く書かれた書が天井近くから床まで垂れ下がる、これら作品群が奥へ奥へと連なる空間は、本当に森を見るようで圧巻だった。


華雪《木》(2021)[Photo: KABO]


一方、ミヤケマイは1階から地下1階へと連なる吹き抜けの会場をダイナミックに使い、港町の立地にちなんで海に見立て、水や舟をモチーフにした作品などを発表。なかでもインスタレーション《呉越同舟》は見ものだった。舟には来場者が乗ることができるのだが、大きな帆で真ん中が仕切られており、両端に座った者同士は自然と姿が隠れて、互いに顔を合わせることがない。帆にはつぶやきのような断片的な言葉の数々がプロジェクションマッピングによって映し出され、さらに互いの耳には異なる水辺の音が聞こえてくる。「呉越同舟」とはよく言ったもので、同じ舟(家庭や職場、学校などの比喩)に乗り合わせても、互いに別々の方向を向いていたり、見聞きし解釈する言葉が違っていたりする。そんな人間模様をミヤケマイはアイロニカルに表現する。形や現象に言葉を与え、その現象をさらに言葉によって際立たせた点が面白い。彼女ら二人の瑞々しい感性によって、言葉に静かに向き合えた時間だった。


ミヤケマイ《呉越同舟》(2021)[Photo: Kenryou Gu]


ミヤケマイ《天の配剤》(2020)[Photo: JUN YAMAMOTO]



公式サイト:https://www.kanagawa-kenminhall.com/kotobanokatachi/index.html

2021/12/19(日)(杉江あこ)

山口情報芸術センター[YCAM]

[山口]

新山口駅の周辺にて、アプルデザインワークショップによる《はあと保育園新山口》(2014)や《医療型児童発達支援センター新山口》(2020)、竹原義二が手がけた縦ログを使用しつつ、集落のような相貌をもつ《山のようちえん 小郡幼稚園》(2020)など、グッドデザイン賞の受賞作を見学してから、《山口情報芸術センター[YCAM]》(2003)を訪問した。そしてアーティスティック・ディレクターの会田大也氏ほか2名の職員から、施設の企画立案から運営状況まで詳しい説明を受けたのち、館内を案内してもらう。改めて、YCAMが、オリジナルのメディア・アート的な作品を世界初で制作し、発表するという活動を主軸とし、そのための十分な専門スタッフをそろえ、設備や機材なども充実していることがよくわかった。しかも、これに類する施設は、いまだに日本の国内では登場していない。また地元の応援団を増やしたり、地域の学校との連携プログラムなどを、一方的な教育普及というよりも、ラーニング的な手法で試みてきたことも特筆されるだろう。そしてコロナ禍においては、得意とするデジタル・テクノロジーを用いて、新しい表現や創作の場を提供した。さらに図書館や地域のミニシアター的な機能の併設によって(実は現在、山口市には映画館がない)、常時、人の賑わいを維持している。



医療型児童発達支援センター新山口



小郡幼稚園



YCAMと山並み




YCAMのバイオラボ


今回、《奈義町現代美術館》(1994)(これも図書館を併設)、《秋吉台国際芸術村》(1998)、《山口情報芸術センター[YCAM]》を続けて見学したが、いずれも磯崎新による1990年代から2000年代前半の公共建築であり、彼の芸術関係の交友関係も生かしつつ、新しい複合施設に挑戦したものだ。なるほど、1990年代はプログラム論が注目された時代である。当時、彼は『GA JAPAN』においてビルディングタイプの歴史を振り返る連載を行なっていたが(後に『造物主義論 : デミウルゴモルフィスム』[鹿島出版会、1996]に収録)、これらの作品はいち早く実現した特殊なプログラムをもつ文化施設の三部作かもしれない。ちなみに、《山口情報芸術センター[YCAM]》では、坂本龍一+高谷史郎らの「ART–ENVIRONMENT–LIFE 2021」展を開催しており(無料!)、闇の部屋となったスタジオAで、20世紀の大量の歴史的な情報を流しつつ、頭上に浮かぶ9つの水槽を使い、音と光と霧が幻想的な映像の空間をつくりあげる。そのほかにホワイエでは、インドネシアのアーティスト・コレクティブ、セラムによる「クリクラボ─移動する教室」や、その階段の上ではALTEMY(津川恵理)の「Incomplete Niwa Archives─終らない庭のアーカイヴ」のインスタレーションが展示されていた。



坂本龍一+高谷史郎+YCAM「ART–ENVIRONMENT–LIFE 2021」展《LIFE—fluid, invisible, inaudible...》展示風景



セラム「クリクラボ─移動する教室」 展示風景



ALTEMY「Incomplete Niwa Archives─終らない庭のアーカイヴ」 展示風景


坂本龍一+高谷史郎+YCAM「ART–ENVIRONMENT–LIFE 2021」

会期:2021年10月8日(金)〜2022年1月30日(日)

セラム「クリクラボ─移動する教室」

会期:2021年10月30日(土)〜2022年2月27日(日)

原瑠璃彦+YCAM共同研究成果展示「Incomplete Niwa Archives─終らない庭のアーカイヴ」

会期:2021年10月8日(金)〜2022年1月30日(日)

2021/12/19(日)(五十嵐太郎)