artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

天若湖アートプロジェクト2012──あかりがつなぐ記憶

会期:2012/08/04~2012/08/05、2012/08/03~2012/08/05

京都府南丹市日吉ダム周辺[京都府]

京都府南丹市日吉ダムの建設によってできた天若湖(あまわかこ)の湖面に、水没したかつての集落(約120戸)の家々のあかりをLEDライトで再現する「あかりがつなぐ記憶」は、毎年8月の二晩だけ開催されているアートプロジェクトで、今年で8回目。ひとりの学生のアイディアから始まったというプロジェクトなのだが、桂川流域のNPOやアートNPO、大学、ダム管理所、水没地区の移転者など、さまざまな立場の人が関わっているというのが興味深い。私はこれまで見たことがなかったので、今年こそは見たいと、このイベントに協力するNPOのひとつが企画した無料の鑑賞バスツアーに参加した。はじめに、南丹市日吉町郷土資料館にも寄り道したバスツアー。ここでは「戦争と南丹市──世代をこえて、伝えるメッセージ」という夏休みの企画展が開催中で、戦時中のおもちゃ、疎開児童の絵日記、教科書、子どもの晴れ着や写真など、当時の子どもたちや学校教育に関する資料が展示されていた。この地域や個人の生活に戦争が及ぼした影響を伝える資料は、解説も冷静で丁寧。こんな山間地帯でもこんなにも軍国主義教育が徹底されていたのかと衝撃を受けた。その後、バスは温泉施設やレストランのある「道の駅・スプリングスひよし」に移動。2階のギャラリーに展示された「あかりがつなぐ記憶」の記録資料を見たり食事を取る時間がここで設けられた(水の杜展──天若湖のむかしといまとみらい、2012年8月3日~5日)。そして日没後、いよいよ湖面に浮かぶ光のインスタレーションを鑑賞する。プロジェクトの実行委員長であり、運営を行っているNPO「アートプランまぜまぜ」理事長のさとうひさゑさんがここからバスに同乗し案内してくれた。驚いたのはそのときの説明で知ったあかりの設営法。水面へのライトの設置はボートを使って行なわれるそうだが、村の並びを正確に再現するため、まず測量し、ブイを入れた場所を基準点にロープでつないで浮かべるのだという。このプロジェクトでは水没した5つの集落、すべての家屋の位置をできるだけ正確に再現することが重要な意味をもつ。あかりが見えるビューポイント、つまり水没した集落のあるエリアは大きく分けて3つあり、すべてバスで移動した。あるポイントでは、郷土史家でもある地元の高齢の男性がボランティアガイドをしていて、桂川流域の生活文化の歴史を詳しく説明してくれたのだが、それがまた興味深いお話。川の流域といっても、上流に住む人々と下流で生きる人々の川との関係や暮らしはずいぶん異なる。さまざまな人の生活状況に思いの巡るレクチャーであった。山間の暗闇に小さな光が星座のように浮かぶインスタレーションもじつに美しい。しかしなによりもこのプロジェクト、ただその風景を眺め、かつてこの湖の底にあった村の存在をそれぞれが感じ、そこから新たな交流が生まれていく機会であるのが素晴らしい。


天若湖

2012/08/05(日)(酒井千穂)

ざ・てわざII─未踏への具象─

会期:2012/08/01~2012/08/07

日本橋三越本展 6階美術特選画廊[東京都]

てわざ=メチエをテーマにした展覧会。具象絵画を中心に28人の美術家による作品が展示された。いわゆる「超絶技巧」系の作品が並ぶなか、ひときわ異彩を放っていたのは、前原冬樹。錆びついた鉄板と、その上に残された折鶴を、いずれも木彫で表現した。辛うじて木目を確認できる折鶴はともかく、鉄板はどこからどう見ても鉄板以外の何物でもなく、これが精緻な塗りを施された一木彫りとは、到底信じ難い。眼を疑うような前原の作品は、一方で「侘び」と「寂び」という旧来の美意識によって評価できる。前者は、美的な対象にはなりにくい、粗末で凡庸なモチーフを率先して選んでいるから、そして後者は表面に広がる錆が如実に物語っているように、取り返すことのできない時間の経過を訴えているからだ。だがその一方で、前原の作品の魅力はむしろ(こう言ってよければ)徹底したバカバカしさにあるのではないだろうか。誰も注目しないようなモチーフを、たんに忠実に再現するのではなく、基本的に一木彫りによって、果てしない時間をかけて彫り出すこと。それを、いかなる虚栄心とも関係なく、ひたすら純粋に追究しているからこそ、私たちの眼を奪ってやまないのだ。前原のてわざこそ、未踏の領域を切り開いているのである。

2012/08/05(日)(福住廉)

真夏の夢2012 小原久美子+長花子+西沢彰+長重之

会期:2012/07/15~2012/08/04

スタジオロング[栃木県]

美術家の長重之が自宅で催した展覧会。長自身のほか、長女の花子、小原、西沢の3人が室内の壁面や床面に絵画やオブジェなど30点あまりを展示した。特徴的だったのは、長をのぞく3人がいずれも障がいをもったアーティストであり、それゆえ本展は障がいのある人とない人による、ある種のコラボレーションだったことだ。「アウトサイダー・アート」として囲い込まれがちな障がい者による美術表現を、非障がい者と同じ水準に解き放とうとする試みは、すでに「イノセンス──いのちに向き合うアート」展(栃木県立美術館、2010年)で長自身がおこなっているが、本展もその延長線上にある。とりわけ際立っていたのは、西沢彰。セスナ機を描いた絵画で知られているが、今回展示されたのは怪物のような絵画シリーズ。それは怪物にも見えるし、人間の下半身にも見える不思議な生命体だが、いずれの作品も小さな紙の左側に詰めてモチーフが描かれているのが特徴だ。この規則性が何を意味しているのかは、わからない。しかし、画面をじっくり見てみると、この怪物的なモチーフが水彩やパステルを巧みに塗り重ねて描かれており、また随所にスクラッチが活用されるなど、意外なほどに技術的であることがわかる。「アウトサイダー・アート」のなかに一括されがちなアートの質的な優劣はもちろん、技術の詳細な解明も、今後の大きな課題となるのではないだろうか。

2012/08/04(土)(福住廉)

ラルフ・ギブソン「1960-」

会期:2012/07/20~2012/09/08

Gallery 916[東京都]

世界的に評価が高く、重要な仕事をしているにもかかわらず、日本ではほとんど紹介されたことのない写真家が何人かいるが、1939年アメリカ・ロサンゼルス生まれのラルフ・ギブソン(Ralph Gibson)もそのひとりだ。彼が自分で立ち上げた出版社、Lustrum Pressから刊行した『Somnambulist』(1970)、『DEJA-VU』(1973)、『DAYS AT SEA』(1975)の三部作は、写真家たちの関心が社会的、客観的なドキュメンタリーから、個人的、内面的なプラーヴェート・フォトへと転換していった時期の表現のあり方を代表するものと言える。
そういえば田村彰英の「BASE」もまた、ほぼ同時期の社会的視点から個人的視点への転換を体現している作品群だ。だが、その肌合いはかなり違っていて、即物的でメカニカルな田村の作品と比較すると、ギブソンの写真の世界はより文学的で、謎めいている。中心となる被写体をクローズアップする手法を多用した画面構成が、その印象をより強めているようだ。彼の発想の基本にシュルレアリスムの影響があるのは明らかであり、ヌードへのこだわりも含めてマン・レイの正統的な後継者と言えるのではないだろうか。
三部作を中心に代表作58点を展示した今回の個展は、おそらく日本で最初のギブソンの本格的な紹介だろう。1962年にドロシア・ラングの助手をつとめていた時代の、珍しいドキュメンタリー・スタイルのプリントや、1990年代以降のカラー作品まで含まれており、ギブソンの写真の世界を概観する貴重な機会になっている。ただ、会場には作品のタイトルや年代の表記がなく、やや素っ気ない印象を受ける。もう少し丁寧に噛み砕いた、キャプションやテキストがあってもよかったのではないだろうか。

2012/08/03(金)(飯沢耕太郎)

田村彰英「夢の光」

会期:2011/07/21~2012/09/23

東京都写真美術館 2階展示室[東京都]

田村彰英は写真の旨味をよく知っている写真家だ。被写体を見つけだす鋭敏なアンテナを備え、それを的確な、だが時に思いがけない手法とテクニックで作品に落とし込んでいく。けっして派手な印象を与える作家ではないが、そのいぶし銀の作品は高度に練り上げられ、玄人筋を唸らせる魅力を発している。そんな田村の1960年代後半以来の代表作、115点を一堂に会する今回の展示を楽しみにしていた写真ファンも多いのではないだろうか。
1960~70年代前半にかけて、米軍基地をどこか抒情的なブレや揺らぎの効果を活かして撮影した「BASE」(1966~70)から始まり、初期の代表作と言える定点観測写真のシリーズ「家」(1967~68)と「道」(1976~81)、田村のスタイルを確立した「午後」(1969~81)、4×5インチ判のカメラでややズラして撮影した2枚の写真を組み合わせた意欲作「湾岸」(1983~92)、8×10インチ判カメラによる哀感のこもった東京の下町のシリーズ「赤陽」(1996~97)、折りに触れて撮影した非日常的な光景のコレクション「名もなき風景のために」(1977~2011)、そして再び新作の「BASE 2005-2012」に回帰する展示構成は見事というしかない。観客は会場を巡るうちに、田村とともにじっくりと写真の旨味を味わうことができるはずだ。
彼の意欲がまったく衰えていないことは、メカニックな米軍戦闘機をまるで少年のようなまなざしで見つめ返す「BASE 2005-2012」(映像作品も含む)だけでなく、「名もなき風景のために」のパートに展示された、東日本大震災後に撮影された陸前高田の風景にもよく表われている。「被災地に降り注ぐ光り」を前にして「困難と混乱のまま、何も解決出来ない苛立ちの感情」を覚えたと田村は書いている(「〈夢の光〉に寄せて」『eyes』2012 vol.74)。一見クールに見える田村の写真のたたずまいの奥に潜む、エモーショナルな熱気をあらためて感じとることができた。日本カメラ社から、カタログを兼ねた写真集も刊行されている。

2012/08/03(金)(飯沢耕太郎)

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