artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

「TOPOPHILIA」由良環

会期:2012/07/18~2012/07/31

銀座ニコンサロン[東京都]

とても生真面目な労作である。由良環は、2005年から「世界の10都市を同じ方法論で撮る」というプロジェクトを開始した。都市を取り囲む環状線(環状道路、鉄道、城壁など)を基準に、そこから都市の中心に向けて撮影していく。滞在中の25日間に25地点を選び、1日1枚それぞれ「日の出から1時間後、日の入りの1時間前」にシャッターを切る。カメラは地面から1.6メートルの高さに縦位置で構える。4×5インチ判のフィールドカメラで、フィルムはモノクロームのコダックTXP。レンズは150ミリ(標準レンズ)で、絞りはf45に固定されている。
このように厳密にコンセプトを定め、その後、粘り強く丁寧に撮影が続けられていった。その成果が銀座ニコンサロンの個展で披露されたわけだ(同名の写真集がコスモスインターナショナルから刊行)。先に書いたように、文句のつけようのない労作なのだが、作品を見ていてあまり心が弾んでこない。金川晋吾の「father」とはその点で対象的で、一見同じような写真が並んでいるように見える金川の仕事が、さまざまなイマジネーションの広がりをもたらすのと比較して、まったく異なる表情をみせてくれるはずの「TOPOPHILIA」の連作には、なぜか閉塞感が漂っているのだ。
おそらく、「方法論」の設定の仕方に、いくつかのボタンの掛け違いがあったのではないだろうか。4×5判のカメラで撮影したモノクロームの端正なプリントが並ぶと、むしろそれぞれの都市の違いが判別しにくくなる。また東京、パリ、ベルリン、ニューヨーク、北京、ニューデリー、イスタンブール、ローマ、ロンドン、モスクワという10都市の選択も、紋切り型で、あらかじめイメージを限定しかねない。ただ長期間、さまざまな都市で過ごした時間の蓄積は、今後の由良の活動に、有形無形のいい影響を及ぼしていくはずだ。今度はよりフレキシブルなアプローチで、写真による都市の「TOPOPHILIA」の再構築を試みてほしいものだ。

2012/07/18(水)(飯沢耕太郎)

金川晋吾「father 2009.04.10-2012.04.09」

会期:2012/07/17~2012/08/02

ガーディアン・ガーデン[東京都]

とても重要な、長く語り継がれていく展覧会になりそうな予感がする。金川晋吾の「father」シリーズは、これまでも断片的には発表されてきたのだが、今回初めて、まとまったかたちでの展示が実現した。会場に入ると、壁にかなり大きく引き伸ばされた写真が10数枚展示され、中央のテーブルには、3冊のポートフォリオ・ブックが置かれている。そこに写っているのは、すべてひとりの中年男を正面から顔を中心に撮影したポートレートで、言うまでもなくそれが金川自身の「father」である。
彼の父親には「蒸発癖」があり、そのために仕事も家も失って、いまは生活保護を受けてアパートでひとり暮らしをしている。2009年4月、金川は父親に35ミリフィルム入りのコンパクトカメラを渡し「毎日父自身の顔を撮影するように」と頼んだ。なぜそんなプロジェクトを始めようとしたのか、金川自身にもよくわかっていないようだが、父親と自分との関係をポートレートの撮影を通じて確認したいという思いがあったのではないだろうか。父親は意外に勤勉に彼の頼みを実行してくれた。こうして、カメラを持った手を延ばして自分の顔にレンズを向けて撮影された3年分のセルフポートレートが蓄積していったわけだ。
テーブルに置かれた、2009年~10年、2010年~11年、2011年~12年の3冊のブックのページをめくっていくと、じわじわとなんとも言いようのない感情(むしろ恐怖感といってもよい)がこみ上げてくる。そこに写っている父親の表情は異様なほどに均質だ。淡々と、生真面目な表情でシャッターを切り続けている。時々空白のページがあるが、それは「行方をくらませていたために写真が撮られていない時期」ということのようだ。それ以外のすべてのカットに、なんら積極的なメッセージを発することもなく、無表情な男の顔、顔、顔が写り込んでいるのだ。
それでも、ページをめくっていてまったく飽きるということはない。何も起こらないことを予感しつつ、写真を見続け、見終えたときに、誰しも「人間とは奇妙な生きものだ」という感慨を抱くのではないだろうか。考えてみれば、味も知らぬ他人の顔をこれだけ大量に見続けるという経験は、これまでも、これから先もあまりないかもしれない。頭にこびりついてしまった、金川の父親の顔のイメージ、今後はそれを抱え込んでいかなければならないのだが、それがあまり重荷には感じられないのはなぜだろうか。閉じているようで開いている、不思議としか言いようのない写真群だ。

2012/07/18(水)(飯沢耕太郎)

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青野文昭 展 どくろ杯・II─他者性と不可避性について─

会期:2012/07/06~2012/07/22

Gallery TURNAROUND[宮城県]

仙台のギャラリーターンアラウンドの青野文昭展は、壊れ、廃棄されたモノたちを「修復」しつつ、船と机など、異なるモノと融合させてしまう作品が並ぶ。それもゴミを分別して再利用するリサイクルではなく、まったく役立たないものに「修復」するのだ。作家は震災前から海辺を歩き、これをやっていたし、被災した3.11後も瓦礫からモノを拾い上げ、同じ方法で作品を制作している。おそらく変わったのは彼をとりまく文脈だ。

2012/07/17(火)(五十嵐太郎)

作田富幸 展

会期:2012/07/13~2012/07/29

アートゾーン神楽岡[京都府]

作田は銅版画家で、主に首都圏で活動している。彼の主題は「人間」もしくは「人間の顔」で、私は本展で初めて彼の作品を見た。出品作品のメインは《20 visitors》と題された全身像のシリーズと、《100 faces》と題された9点組の大作である。後者は、はがき大の小品100枚を制作し、36点貼り付けたパネルを1ピースとするもの。うち4ピースには手彩色が施されている。人間を描くといっても、作田は具象作家ではない。大木の枝が顔になったり、全身が引き出しだらけ、眼だらけなど、どの作品も異形の姿をしているのだ。それらを見て、ボッシュやアルチンボルドの作品を連想する人もいるだろう。あらゆる形態やモチーフをも使って人間を描き切ろうとするその姿勢には、凄みすら感じられる。

2012/07/17(火)(小吹隆文)

2012イメージの新様態 no.21「Out of Place」

会期:2012/07/17~2012/07/29

GALLERY SUZUKI、ANTENNA MEDIA[京都府]

GALLERY SUZUKIで毎年開催される恒例の企画展。今年は伊丹市立美術館の藤巻和恵をキュレーターに招き、会場を2カ所に増設して行なわれた。出品作家は、AKI INOMATA(映像、他)、上村亮太(絵画)、川辺ナホ(写真、他)、田口行弘(映像)の4名。私のお気に入りはAKI INOMATAで、やどかりに自作の小オブジェを提供する《やどかりに『やど』をわたしてみる》や、ペットのインコが本人より先にフランス語のフレーズを覚えてしまう《インコを連れてフランス語を習いに行く》は、どちらも傑作だった。もちろんほかの3人も秀作ぞろいで、見応えあり。2つの会場は少々離れており移動が手間だったが、それを補って余りある充実した展覧会だった。

2012/07/17(火)(小吹隆文)