artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
松井紫朗「Like when you miss button your shirt」

会期:2011/11/11~2011/12/06
BLDギャラリー[東京都]
巨大なバルーンを使ったインスタレーションで知られる松井の平面作品。大きく分けて2種類あって、ひとつは、ランドアートのようなシュールなイメージを描いたペインティング。かたわらに人が小さく描かれていて少し説明的。もうひとつは、バルーンなどの立体作品を平面化してタブローにしたもの。ビニール状の平面をたわませたり、絵具をビニールみたいにべっとり塗ったり。こちらのほうがバルーン作品とベタにつながってる感じがする。ベタッとしているし。
2011/12/05(月)(村田真)
「ベルリン国立美術館展」記者発表会
会期:2012/06/13~2012/09/17
国立西洋美術館[東京都]
またフェルメールがやって来る。2012年6月13日から国立西洋美術館で始まる「ベルリン国立美術館展」で、《真珠の首飾りの少女》が本邦初公開されるのだ。ややこしいことに、同時期(6月30日から)同じ上野の東京都美術館には《真珠の耳飾りの少女》が来ることになっている。有名なのは「耳飾り」のほうだが、「首飾り」は初来日(「耳飾り」は今回で3度目)なので今年はこちらをひいきにしたい。それにしても、2011年の2回計4点に続き、2012年も2回計3点のフェルメールが来るのだから異常というほかない。まあ日本人の名画好きも、それを支える経済力もまだまだ健在とすればおめでたい限りだが。フェルメール以外の見どころは、同じ17世紀オランダのレンブラント派による《黄金の兜の男》。この作品、かつてレンブラントの代表作と見られていたのに、厳密な調査の結果「レンブラント派」の作品に格下げられてしまったのだが、そのことでかえって有名になったといういわくつきの作品なのだ。この目でとくと観察したい。ほかにもミケランジェロの素描、ドナテッロのレリーフ、クラーナハのヌード画などオールドマスターズを堪能できそう。
2011/12/05(月)(村田真)
細倉真弓 写真展「KAZAN」

会期:2011/12/02~2012/01/15
G/P GALLERY[東京都]
細倉真弓は1979年生まれ。2005年に日本大学芸術学部写真学科を卒業後、内外のグループ展に参加するなど順調にキャリアを伸ばしてきた。やや意外なことに、今回がはじめての個展になる。「KAZAN」のシリーズはポートレート、ヌード、風景、結晶体のようなオブジェなどの組み合わせ。あまり声高に自己主張することなく、やや押さえ気味に、どこかくぐもった陰鬱な雰囲気の写真を並べている。根こそぎに横倒しになった樹の近くに人物を配した風景など、手探りで心に響くリアリティを見出していく姿勢がストレートに表われている写真が多く、写真家としての成熟を感じた。以前の彼女の写真には勢いはあったものの、どこか「急ぎ過ぎ」ていて、肝腎なものを取り落としているようなところもあったのだ。着実に自分の作品世界をつくり上げつつあるのではないだろうか。もうひとつの新作は、アルミニウム板にポートレートや静物を焼き付けたシリーズ。こちらは19世紀に流行した着色ティンタイプを思わせる、やや古風な雰囲気だ。悪くはないのだが、2つのシリーズのつながりがうまく見えないので、見る側は混乱してしまう気もする。それでも彼女の表現力が、さまざまな手法を自在に使いこなせる段階に達していることはわかった。なお、アートビートパブリッシャーズから同名の写真集も刊行されている。
2011/12/04(日)(飯沢耕太郎)
北野謙 展「our face project: Asia」

会期:2011/11/26~2012/01/29
MEM[東京都]
北野謙がこのところずっと取り組んでいる「our face」は、特定の社会集団の構成員たちを撮影したポートレートを、目の部分で重ね合わせて多重露光した合成写真のシリーズである。そのたたずまいが、近作ではやや違ってきているのを、今回の個展で確認することができた。以前は重ね合わされたひとりの人物(実際には数十人のモデルの画像の合成なのだが)の周囲は黒く落とされていることが多かった。ところが、近作では中心の人物が闇の中から浮かび上がってくるような画面の周辺部分に、別の人物の顔や周囲の風景などが写り込んできている。たとえば「2003年3月8日World Peace Now 米英軍のイラク攻撃反対5万人パレードに参加して歩く人びと30人を重ねた肖像 東京日比谷公園~銀座の路上で」では、さまざまなポーズをとるデモの参加者たち、戦争反対のスローガンなどが、背後に浮遊霊のように漂っているのが見える。そのことによって、画面にすっきりとした安定感はなくなったのだが、逆に現代社会の混沌とした状況が、より生々しく浮かび上がってきているように感じた。今回の展示ではインドネシアからイラン北部のクルド人居住区まで、アジア各地で撮影された作品19点を「路上」「宗教、信仰」「子ども」「戦争」「民族」「職」に分けて展示している。また2011年11月20日までに撮影した5,134人を重ねた「全集積」を、デジタルデータで見ることができるモニターも設置されていた。さらに「our face」制作のきっかけになった、メキシコ・シティのディエゴ・リベラ作の大壁画《メキシコの歴史》の複写も展示された。歴史のなかの人間像を、圧倒的な迫力で描写したこの壁画を撮影し、モザイク状に再構成したことから、合成写真のアイディアが生まれてきたのだという。充実したいい展示だと思う。
2011/12/04(日)(飯沢耕太郎)
高梨豊 展「LAST SEEIN’」へ

会期:2011/11/23~2011/12/11
高梨豊がphotographers’ galleryのホームページに載せたコメントで、ノーベル文学賞を受賞した詩人のヨシフ・ブロツキ─の言葉を引用している。「体は目を運搬するだけに存在する」。これはまさに彼にふさわしい言葉だ。かつてどこかで「目の歩行」という言葉を使っていたようにも記憶しているが、高梨の写真を見ていると、彼の体とともに移動する目が、その周囲の景観をキャッチしていく様が、ありありと浮かび上がってくるように感じるのだ。「歩行」のスピードには緩急があり、ときにはバスや列車が移動手段として使われることがある。それでも、柔軟でありながら精確な目が、イメージを的確に捕獲していく心地よさを、いつでも彼の写真から感じることができる。その「目の歩行」の精度は、2010年以降に撮影した東京のスナップショットを集成した新作「LAST SEEIN’」でもまったく変わっていない。実は少し前に白内障を患うという、写真家にとっては大きな出来事があり、その危機感がやや切迫した響きを持つタイトルに投影されているようだ。幸い治療がうまくいって、ふたたび街歩きとスナップ撮影が可能になった。肩の力を抜いているようで、押さえるべきものをきちんと押さえているカメラワークは健在であり、霧に霞む工事中の東京スカイツリーを撮影した一枚などには、「東京人」(1965)以来の写真を通じた都市観察の蓄積が見事に表われている。なお、同じフロアのKULA PHOTO GALLERYでは、2008年から開始された都バスの窓越しに見た景観の集積「SILVER PASSIN’」のシリーズが展示されていた。また、両シリーズに列車の車窓の光景を撮り続けた「WIND SCAPE」シリーズを合わせた写真集『IN’』(新宿書房)も同時期に刊行されている。
写真=「LAST SEEN'」© TAKANASHI Yutaka 2010
2011/12/04(日)(飯沢耕太郎)


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