artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
特別展 フェルメールからのラブレター展 コミュニケーション:17世紀オランダ絵画から読み解く人々のメッセージ

会期:2011/10/27~2011/12/12
宮城県美術館[宮城県]
会場は満員御礼だった。17世紀のオランダ絵画は、全絵画史においても、とくに窓や室内の表現が抜群に面白い。そして窓辺で手紙を読んだり、書いたり、食事を行なう場面を描く構図が共有されている。特にピーテル・デ・ホーホは、重層的に空間を折り畳みつつ、絵と窓の置換可能性も感じさせるものだ。今回、フェルメールの絵画は3点が出品されている。うち2点は窓を描かずに、その存在をほのかに意識させる手法が興味深い。
2011/12/06(火)(五十嵐太郎)
春木麻衣子「view for a moment」

会期:2011/11/18~2011/12/24
TARO NASU[東京都]
春木麻衣子のように、しっかりと自分の進むべき方向を見出しつつある写真作家の作品を見るのは愉しい。2010年のTARO NASUでの個展「possibility in portraiture」のあたりから、彼女の作品の中には人間(通行人)が登場し始めた。風景に人の要素が組み込まれることで、作品がより観客に開かれた印象を与えるものになりつつあるのだ。今回展示された新作「view for a moment」でも、明快なコンセプトと鮮やかな作画の手際が、気持ちよく目に飛び込んできた。パリの路上で撮影されたこのシリーズは、2つの場面をひとつの画面におさめたもので、ちょうど中央部分に縦長の黒いスリットが入っている。これはフィルムの2つのコマのつなぎ目であることが、写真を見ているうちにわかってくる。そのスリットを挟んで、2人の人物が写っているのだが、それぞれの体の大部分はスリットに隠れて見えない。つまり、人物がカメラのフレームから外に出ていこうとする瞬間、フレームに入り込んでくる瞬間にシャッターを切っているのだ。タイトルに「51 seconds」とか「112seconnds」とか表記してあるのは、最初のシャッターを切り、次のシャッターを切るまでの秒数をストップウォッチで測ったのだという。フィルムのコマとコマのあいだ、スリットの部分で何が起こっているのか、その「見えない部分」へと観客の視線を導くことで、観客の想像力が大いに喚起される。実に巧みな仕掛けだが、コンセプトが上滑りすることなく、視覚的なエンターテインメントにきちんと結びついているのが、気持ちのよさの理由だろう。写真作家としての総合的なレベルが、一段階アップしたように感じる。
写真:318 seconds, from the series “view for a moment” 2011 type C print
© Maiko Haruki Courtesy of TARO NASU
2011/12/06(火)(飯沢耕太郎)
生誕100年 ジャクソン・ポロック展

会期:2011/11/11~2012/01/22
世界中の美術館がコレクションに加えられるピカソとは違い、ポロックはそれほど作品が多くないから、本当によくこれだけの作品を日本で一同に集めたものだと思う。生誕100年の回顧展を開催したのも、世界で日本だけのようだ。初期のものから含めて、ポロックの作品集でおなじみの絵画と幾つも出会うことができる。今回、彼が絵画を制作していた小屋を、1/1スケールで再現していることが興味深い。行為の痕跡としての作品だけに、スケール感を確認できるからだ。言うまでもなく、絵画を床に広げて制作したこともあり、床には大量の絵の具が飛散した状態になっている。
2011/12/05(月)(五十嵐太郎)
ふなだかよ展

会期:2011/12/05~2011/12/10
O Gallery eyes[大阪府]
出品作品は絵画と写真に大別される。絵画は作者の幼少時の写真をモチーフにしたもので、母の愛を一身に受ける幸福感に満ちている。一方、写真は料理が器から溢れ返った状態を写しており、グロテスクな趣が強い。作者はこれら2種類の作品を並置することにより、共依存の母子関係と、偏愛が人間形成に与える影響について表現しているのだ。ただしネガティブ一辺倒ではない。偏愛もまた人間の根源にあるものだという思いを、ほかならぬ彼女自身が持っているからだ。彼女の作品は矛盾する両義性を持つが、それゆえ絶望から救われているのかもしれない。
2011/12/05(月)(小吹隆文)
作品は、ここにあった。──現代アートの考古学

会期:2011/12/1~2011/12/17
銀座ギャラリー女子美[東京都]
この展覧会らしからぬ展覧会名を聞いてなつかしいと思う人はもはやほとんどいないでしょうね。いまちょっと調べたら、1980年に神田ときわ画廊で開かれていた。展示内容はほとんど覚えていないが、たしか「インスタレーション」という言葉がデビューして間もないころであり、そうした仮設構築作品の検証を目的に企画されたのではなかったかと記憶する。はっきり覚えているのは企画の中心に北澤憲昭さんがいたこと。今回もその北澤さんが中心となって、おそらく30年前の企画を敷衍しようとしたのではないかしら(女子美の金を使って)。展覧会構成は、まず飯山由貴が会場内に非公開でインスタレーションをつくり、それを北澤、足立元、福住廉、暮沢剛巳の4人の批評家が記述し、同時にそれぞれ写真を撮る。作品は一部を残して解体され、批評家の文章と写真、動画などの記録が展示されるというもの。意外だったのは、4人の批評家による文章が作品の様態についての記述にとどまらず、それぞれの作品解釈や背景描写にまで踏み込んでいたこと(とくに暮沢の逸脱ぶりが激しい)。「発表されなかったインスタレーションの作家本人以外の者の手による記録のみを公開する、はたしてそのインスタレーション作品は本当に“不在”なのだろうか?」を問うならば、もっと作品の様態に関する徹底した客観的記述が求められると思ったのだが。ともあれ、この企画の効用は、飯山のオリジナル作品を見てみたいと思わせたことだ(じつは同展終了後にそのインスタレーションが再現されたが、火曜という変則的な休廊日に行ってしまい見られなかったヨーン)。
2011/12/05(月)(村田真)


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