artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
exhibition as media 2011 梅田哲也 展「大きなことを小さくみせる」

会期:2011/11/12~2011/12/04
神戸アートビレッジセンター[兵庫県]
大阪市内の築60年のアパートで個展を開催中の梅田が、神戸のアートセンターでも個展を同時開催。大阪展とは全く異なる環境でどのような展示を行うかに興味が募ったが、場の特性を生かすという意味において2展は同一線上に並ぶものだった。ただ、地下のシアター(ここだけ有料)で披露された作品だけは例外で、時間性と物語性を月良く感じられ、一種の無人演劇もしくはオブジェ演劇とでも呼ぶべき新境地に達していた。この方向性が今後どのように発展していくのか、非常に興味をそそられる。
2011/11/27(日)(小吹隆文)
MIT×100

会期:2011/11/19~2011/12/04
art project room ARTZONE[京都府]
若い表現者たちによって立ち上げられたカルティベーション・パートナーズというグループは「つながり/たがやす」というテーマをもって展覧会やアートイベントなどを積極的に行なっている。今展のタイトル、MIT(ミット)には、ドイツ語で「~と一緒に」という意味があるそうで、昨年もドイツ、ハンブルグの若手作家とともに合同展覧会を開催していた。その第2回目。6カ国31作家と昨年よりも参加国、参加作家の数も増え、絵画、マンガ、イラスト、立体と、さまざまなジャンルの作品が展示された今展。ドローイングや小さな作品が多いのだが、展示作品数は100点以上、色とりどりの賑やかな会場であった。私が訪れたときは、出展アーティスト達による作品の公開プレゼンテーションの最中。人数も多いため、そのなかで展示を見て回るのは気後れするような気分だったが、率直な感想や意見が遠慮なく作品制作者にぶつけられるその場はなかなか面白かった。ただ楽しい内輪だけの盛り上がりにならない(ように努力している)彼らの態度がうかがえて好感が持てる。ぜひ第3回へと続けてほしい。
2011/11/26(土)(酒井千穂)
高岡美岐 展

会期:2011/11/22~2011/11/27
アートスペース虹[京都府]
自分が目にした風景を携帯のカメラで撮影し、それを水彩ドローイングに起こし、そしてさらにそれらからタブローに展開していくという作品制作を続けている高岡。その膨大な数の写真、ドローイングの量、そこに費やす時間を想像してみるといつも興味深い。おもに川縁や水辺の光景を描いたものが発表された今展には、3年前にも訪れたという同じ場所の、過去と現在の風景を一枚の絵画にした作品も展示されていた。力強さやスピードがうかがえるさまざまな筆致と鮮やかな色彩は、途切れない時間のなかで変化していく周囲の存在や景色への連想も掻き立てるのだが、ただ感傷的な情緒というものではなく、はじめて目にする風景のような新鮮な印象もある。解説なしで見る者を惹きつける力がもっと上がっていきそう。
2011/11/26(土)(酒井千穂)
山田優アントニ展

会期:2011/11/15~2011/11/26
ギャラリー16 APERTO[京都府]
画面に描かれている人物の姿形はさまざまなのだが、すべて作家自身の記憶、感情、経験を投影した“自画像”だという肖像画が並んでいた。どれもどこか奇妙な印象を受けるもので、得体の知れないと言うと失礼かもしれないが、悪い意味ではなく、むしろ清々しさを覚える不思議な魅力を感じてひっかかった。微妙な顔の表情もさることながら、描かれた洋服、帽子など、中世ヨーロッパを想起させる服装にも違和感がある。透明感が感じられる画面なのだが、近づいてみると絵の具が何度も塗り重ねられ、厚く層を成しているのがわかる。奥行きや色彩の表情が複雑に表われ、視線がつい誘い込まれるようなのだが、モチーフも含め、全体に調和していない雰囲気が気持ちを引き摺らせる作品だ。作家は愛知県立芸術大学の大学院生で、絵を描くようになったのは肖像画家の父の影響が大きいとコメントにあった。そのバックグラウンドからいろいろな想像も広がる。だが、それを知ることは特に重要というわけではない、そんな才気が感じられる作家だった。
2011/11/26(土)(酒井千穂)
稲田智代「パレード」

会期:2011/11/23~2011/12/06
銀座ニコンサロン[東京都]
稲田智代には詩人の才能もあるようだ。会場に掲げられていた「詩」がなかなかよかった。
「パレードがいく/パレードがいく ふたつのあいだを/パレードがいく なにもかもが/ひかってゆれている/はじまりもおわりも/すべてがひとしく/ここに」
どこか大正から昭和初期にかけて書かれた、八木重吉とか大手拓次の詩の趣があるのではないだろうか。そのちょっとノスタルジックな雰囲気は写真にも表われていて、これまた昭和の匂いがするプリントが並んでいた。本人はまったく意識していなかったようだが、1960年代末の田村彰英の初期作品に、こんなふっと消えてしまうような気配を捉えたものがあったような気がする。
会場構成もとてもうまくいっていた。横位置の、水平線が強調された写真(人が本当にパレードのように列を作っている写真もある)が並んでいる間に、プリントをゼムクリップで洗濯物のように吊るしたパートがはさまっている。写真がくるんと丸まっている感じが、風にひるがえっているようでもあり、軽やかな気分を強調している。とはいえ、写真の内容が手放しに明るいものかというと、そうでもない気がする。稲田は建築やインテリア関係の仕事をしていたが、ここ5年ほどは病院で働いている。そのなかで「いくつかの近しいいのちを見送って」きたという。出会いも別れも、生も死も「すべてがひとしく」光に包み込まれてパレードのように続いていく──そんな思いが一枚一枚の写真に投影されているように感じた。写真の紡ぎ手として、ひとつの壁を乗りこえたのではないだろうか。
2011/11/26(土)(飯沢耕太郎)


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