artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

三木俊治教授退職記念展「111111──終わりのない行列」

会期:2011/11/11~2011/11/30

東京造形大学付属美術館[東京都]

三木さんとは1987年、ロンドンのテートギャラリーの前で「どこかで見たことのある顔だ」とお互い思ったのか、どちらともなく声をかけて知り合った。聞くと、同じ東京造形大の出身だが、ぼくが入ったときにはもう卒業されていたという。しかしその後も大学に残られたので、やはりお会いしていたのかもしれない。ともあれ彫刻家としての三木さんは、行列する人々の群像で知られている。群像といっても、一人ひとりを見るとたしかに手足は認められるものの大ざっぱには鉄の破片にすぎず、それらが横に連なったシルエットが行列に見えるといういわば現象としての彫刻なのだ。いいかえれば「不特定多数」という概念を彫刻化したような作品。そのせいか彫刻なのに平面的で、重量を感じさせない。美術館を一巡してなにか物足りなさを感じたのは、作品に重量感がないからではなく、学内のふたつのギャラリーでも展示しているのを見逃したからだった。ガーン。

2011/11/28(月)(村田真)

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TAMA VIVANT II 2011 ただいま検索中

会期:2011/11/25~2011/12/04

パルテノン多摩[東京都]

パルテノン多摩に行く途中、たまたま新宿駅地下でやっていた古本市で、ラグーザ玉を特集した『彷書月刊』を発見。ラグーサ玉を読みながらパルテノン多摩に向かう……。つまらないシャレに走ってしまうのは、あまり書く気が起きないときだ。多摩美芸術学科の学生が企画・運営するアニュアル展で、富田菜摘、下平千夏、海老塚耕一、今村遼佑ら7人が出品。会場が閑散としていたせいもあるかもしれないが、作品はともかく展示全体に工夫というか熱が感じられず、なにか冷ややかな空気が流れていた。だいたい会場の中央に「あそびじゅつ」のコーナーがあるのが解せない。先日見た「ドロップ・ミー!」も同じく多摩美芸術学科の学外展だったが、まず場所に対する意識の違いで負けている。唯一の収穫は、コンクリートブロックの穴に小さな明かりを灯した今村の小さな作品。

2011/11/28(月)(村田真)

石川真生『日の丸を視る目』

発行所:未來社

発行日:2011年9月30日

2011年の写真集の大きな収穫のひとつといえる。今年のさがみはら写真賞をプロの部で受賞するなど、石川真生のドキュメンタリーの評価が高まってきている。この新作写真集も渾身の力作シリーズである。
1993年に、87年の沖縄海邦国体会場の日の丸を引きずりおろして焼いたことで逮捕された知花昌一が、家にあった日の丸の旗を持っている写真を撮影したのをきっかけに、この「日の丸を視る目」のシリーズが構想された。「日の丸の旗を持たせて、その人自身を、日本人を、日本の国を表現させる」というコンセプトで99年までに100組を撮影して『週刊現代』に発表、その後も撮り続けて2011年までに184組に達した。本書にはそのうち100組のパフォーマンスがおさめられている。
その間に撮影地は日本だけでなく、韓国、台湾、ロンドン、パリまで広がる。左翼からごりごりの右翼まで、部落解放同盟の運動家からアイヌ人まで、主婦もいれば高校生も性同一性障害者もいる。その被写体の広がり具合に、石川の意図がはっきりと表われている。あくまでも公平に、だがどんな過激な行為でも許容していくことで、これまた驚くべき広がりを持つパフォーマンスが記録されていった。韓国人や台湾人の反応にしても、予想されるような憎悪や反撥だけではない。なかには日本への親近感を語り、「がんばれ日本」と記す者もいる。「やってみなければわからない」パフォーマンス・フォトの面白さが、とてもよく発揮されたシリーズではないかと思う。
ラストは写真家本人のセルフポートレート。直腸癌の手術後に体に付けられた真っ赤な人工肛門を日の丸の中央から覗かせて、こちらをぐっと見据えている。気迫あふれるメッセージが伝わってくるいい写真だ。

2011/11/28(月)(飯沢耕太郎)

天才ハイスクール!!!! カミングアウト!!!!!!!!

会期:2011/11/25~2011/11/27

素人の乱12号店、キタコレビルGARTERギャラリー、なんとかBAR[東京都]

Chim↑Pomの卯城竜太が講師を務める美学校の学生たちによるグループ展。高円寺の「素人の乱」のいくつかの店舗を会場にして、8人がそれぞれ作品を展示した。いずれも個人的な動機と社会的な文脈を接続させた作品で、見応えがあった。とくにおもしろかったのは、臼田知菜美。映像を見ると、彼女が見ず知らずの喫煙者たちに一本のタバコを貰い続ける様子が記録されているが、そうして集めたタバコを会場で配布して自由に喫煙できるようにされていた。トイレに入ると、こんどはカフェやパチンコでトイレを借りた臼田がトイレットペーパーを拝借する映像が流され、それが目の前のトイレで使用されているというわけだ。トイレットペーパーの先端を丁寧に折り畳んでいるところがなんとも律儀だが、双方の作品に通じているテーマは、自分の愛嬌を差し出す代わりに、展覧会で必要とされる物資を貰い受けるというエコノミーである。これが、相手に金銭を振り込ませるのではなく、こちらから相手に金銭を振り込むことを説得するChim↑Pomの《オレオレ》と通底していることは明らかだが、本展には臼田以外にもChim↑Pomからの強い影響がうかがえる作家が多かった。それは美術であろうとなかろうと、教育というシステムが決して避けることができない関門であることにちがいはない。だからこそ、彼らの今後にとって重要なのは、これまで学んできたことをみずから解きほぐしていくこと、すなわちunlearningである。その先に、アーティストとして自立する自らの姿が見えるはずだ。

2011/11/27(日)(福住廉)

「日本のかたち展」ミラノサローネ帰国展と京文化フォーラム

会期:2011/11/19~2011/11/27

有斐斎 弘道館[京都府]

今年の「ミラノサローネ」で展示された作品の帰国展として開催された展覧会。「日本の伝統的なかたち、美意識、感性を現代のインテリア空間や生活スタイルに、新しく機能する室礼として提案する」というテーマがあり、イタリアのデザイナーも含め、年令や性別もさまざまな20名のアーティストの作品が展示された。「日本」「伝統」というキーワードのせいなのか、たしかに美しいデザインは多いのだが、新しさを感じるというほどのものはほとんどなかった。けれど、そんななかで抜群に素敵だったのが、陶板画家で陶磁器デザイナーでもある河原尚子の2点の器。ひとつは蝶と亀、もうひとつには鳳凰と波の文様が描かれているのだが、これらにはそれぞれに物語も設定されていた。どちらの器も華やかな色彩で、装飾的な絵柄や文様に目を奪われるようであったのだが、特に感動したのはひとつの器に、欠けた箇所を漆で継ぐ「漆継」という技法があえて施されていたこと。それは、修復技術としての伝統を示すものでもありながら、物語世界の時間を表わすものでもあった。磁器という限られたマチエールのなかで、連想とイメージを自由に展開する河原の豊かな想像力とセンスが見事に発揮されていた。

2011/11/27(日)(酒井千穂)