artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

プレビュー:超京都 現代美術@名勝渉成園(東本願寺)

会期:2011/11/11~2011/11/13

名勝渉成園(東本願寺)[京都府]

ここ数年、関西ではホテルを舞台にしたアートフェアが盛んに行なわれているが、それらとは趣を異にするのが、この「超京都」だ。京都の歴史的建築物でアートフェアを行なうことにより、現代アートと京都の伝統美を一挙に味わえる贅沢な企画なのである。昨年の会場は伝統的な商家の佇まいを今に伝える杉本家住宅だったが、今年は東本願寺の飛地境内地(別邸)である名勝渉成園が選ばれた。建物はもちろん、庭園の美しさで知られる渉成園、しかも紅葉シーズンということもあって、シチュエーションは文句なしだ。あとは参加画廊と作家たち次第である。

2011/10/20(木)(小吹隆文)

プレビュー:木津川アート2011「明日への記憶」

会期:2011/11/03~2011/11/13

木津川市木津本町、上狛、加茂[京都府]

昨年に第1回が開催され、遠来の観客と地元住民の双方から高く評価された「木津川アート」。2度目の今回は、昨年の会場のうち鹿背山エリアを外して、新たに加茂エリアが加わった。会場の3地区はいずれもJR沿線なので、ダイヤの確認さえ怠らなければ前回よりも楽に移動ができそうだ。地域の古い家屋、店舗、工場跡などに現代アートを設置して、木津川市の魅力を再発見しようというテーマは前回と同じだが、関西では同種の地域型アートイベントが増加している。供給過剰の状況で、たった1年とはいえ先輩の「木津川アート」が、どんな成果を上げるかに注目したい。

2011/10/20(木)(小吹隆文)

柴田敏雄「concrete abstraction」

会期:2011/10/07~2011/11/06

BLD GALLERY[東京都]

「concrete abstraction」という展覧会のタイトルは実に気がきいている。concreteは「具体的な、有形の、実際の」という意味だからabstraction(抽象)の反対概念だ。だが同時に「コンクリートの」という意味もあり、柴田の作品の被写体のほとんどすべてに、この「コンクリート(セメント)」で固められた建造物が写っている。しかも今回展示された写真に写っているそれらの多くは、モザイク状の平面的なパターンを強調して撮影されており、あたかも抽象画のように処理されている。concreteとabstractionという言葉の意味作用が、二重、三重に錯綜し、絡み合っているのだ。
このような遊び心のあるタイトルを付けるところに、柴田敏雄の写真家としての余裕を感じることができる。4×5インチ、20×24インチ、40×50インチの大小三種類のサイズのプリントを、効果的に配置した展示プランにも同じことを感じる。2000年代以降、プリントの方式をモノクロームからカラーに変えることによって柴田のなかに育ってきている、軽やかに弾むような表現の歓びを、今回の展示でもはっきりと感じとることができた。もうひとつ、「コンクリート」とともに目立っていたのは、ダム、水路、滝などさまざまな形態をとる水の表情への強い関心だ。コンクリートの強固な物質性を和らげ、時には完全に解体してしまう融通無碍な水のパワーは、やはり柴田の作品世界のありかたを大きく変えつつあるのではないかと思う。それが、これから先どんなふうにかたちをとっていくのかが楽しみだ。

2011/10/19(水)(飯沢耕太郎)

進藤万里子「bibo -SP KL TK-」

会期:2011/10/14~2011/11/05

ツァイト・フォト・サロン[東京都]

進藤万里子が「bio」や「body」を連想させる「bibo」というタイトルで作品を発表しはじめてから、もう10年あまりになる。個展の数も今回で10回を超え、蒼穹舍から同名の写真集も刊行されたので、一区切りの時期にきているのは間違いないだろう。
今回の展示にはSP KL TKという記号のようなものが添えられているが、これはサンパウロ、クアラルンプール、東京の略称。つまり、これらの都市で写真が撮影されているということなのだが、鏡やガラス窓に映る像を舐めるように写しとり、モノクロームのロールペーパーに大きく引き伸ばしたプリントを壁から吊るすという作品の内容、形式が最初からまったく変わっていないので、いつ見てもいっこうに代わり映えがしない。この歪んだ画像と、白黒のコントラストを強調したプリントのあり方に進藤が強く執着し、そこに他に変えがたいリアリティを託していることはよくわかる。だがその「変わらなさ」は、近作になるにつれてむしろ表現者としての彼女の首を絞め、彼女自身にも、作品を見るわれわれ観客にも閉塞感を与えているように思えてならない。
自分のやり方に頑固にこだわるという姿勢は、とても大事なことだ。だがそれは時に、一歩踏み出していくという勇気のなさを覆い隠す、言い訳になってしまうことがある。いま、進藤に起こりかけているのがまさにそれだろう。恐れることはない。固定してしまった自らの作品世界を突き崩し、さらに先に進むべきだ。

2011/10/19(水)(飯沢耕太郎)

発光する港~香港写真の現在2011

会期:2011/10/17~2011/11/17

ガーディアン・ガーデン[東京都]

ガーディアン・ガーデンで2~3年に一度のペースで開催されている「アジアンフォトグラフィー」のシリーズも7回目を数える。これまで、韓国、台湾、中国などの若手写真家たちを紹介してきたのだが、今回は台湾のキュレーター、呉嘉寳(ウー・ジャバオ)の構成で、香港の9人の写真家たちの作品が展示された。
張偉樂(チョン・ワイロック)、陳偉江(チャン・ワイクウォン)、何兆南(ホ・シュウナム)、余偉建(ヴィンセント・ユー)、呉世傑(ング・サイキット)、謝明荘(チェ・ミンチョン)、蘇慶強(ソ・ヒンキゥング)、何柏基(ホ・パックケイ)、頼朗騫(ライ・ロンヒン)の9人は、1957年生まれの呉世傑から1986年生まれの張偉樂まで、世代的にはかなり幅が広い。だがそこには、ポラロイド写真(頼朗騫)、パノラマ写真(呉世傑、余偉建)、フェイスブックとカメラ付き携帯電話(張偉樂)など、さまざまなメディアを介して画像を加工しつつ、多彩な映像世界を構築していく香港の写真家たちのスタイルがよくあらわれている。画像処理の洗練度は中国本土や台湾の写真家たちより高いが、強度という点ではやや物足りない所もある。だが、陳偉江の体を張った果敢なスナップショットの集積など、これまでとはやや異質な表現も芽生えはじめているようだ。
このような展覧会を見ると、日本も含めた「東アジアの写真表現」のあり方について、あらためてきちんと考えるべきではないかと思ってしまう。単発の展示ではなく、そろそろ東アジア各国、各地域の写真を共通性と異質性の観点から裁断する、より大きなスケールの展覧会やシンポジウムを企画していかなければならないのではないだろうか。

2011/10/18(火)(飯沢耕太郎)

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