artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
ニューアート展 NEXT2011 Sparkling Days

会期:2011/09/30~2011/10/19
横浜市民ギャラリー[神奈川県]
横浜市民ギャラリーの企画展。曽谷朝絵、荒神明香、ミヤケマイが参加した。作品点数の多さと抑揚をつけた会場構成のおかげで、かなり見応えがあった。曽谷は日常的な事物を虹色の色彩で描いた油彩画のほか、室内全体にレインボーカラーのフィルムを張りめぐらせたインスタレーションも発表して、身体を光と色彩に埋没させるような陶酔感を味わわせた。立版古のような立体的な絵画を制作しているミヤケは、他の追随を許さないほどの作品点数で圧倒した。震災をテーマにしたインスタレーションは必ずしも成功しているとはいえなかったが、それでも絵画で描いた世界と絵画を見る世界をリンクさせたかのような会場の作り方がひじょうに効果的で、来場者を巧みに自分の世界に誘いこんでいた。そして荒神は、スパゲティの乾麺を一本ずつ組み合わせることで、空中楼閣のような巨大な都市のジオラマを作り出した。その全体を天井から吊り下げているため、上から見下ろすだけでなく、下から見上げることもできるのが楽しい。大小さまざまな建物、そのあいだをつなぐ階段、さらには塔や山。それらを構成する乾麺という素材が、一定の強度を担保していることは言うまでもない。けれども、現在の都市が一瞬のうちに瓦解してしまいかねないことを知ってしまったいま、ある一定の条件のもとではたちまち強度を失ってしまうという脆弱さの方が際立って見えたのも事実だ。私たちの都市は空中楼閣のように儚くも脆いのかもしれない。荒神のインスタレーションは、現代人が内側に抱えている不安定な都市感覚を的確に視覚化していた。
2011/10/16(日)(福住廉)
羊からじゅうたん!~秋の部 糸から織へ~
会期:2011/09/10~2011/12/04
白鶴美術館新館[兵庫県]
関西屈指の高級住宅街、御影山手にあり、東洋・日本美術の秀逸コレクションで知られる白鶴美術館。現在、秋の所蔵品展として「深遠なる中国美術」(本館)、「羊からじゅうたん!」(新館)の2展が開催中だ。今回は後者の展覧会に注目してみたい。
新館は、威風堂々たる日本建築の本館とは対照的にモダンな外観を有し、入口の扉を開けると柔らかな光に包まれた静謐な空間が垂直方向に広がる。この垂直性は1階展示室の床が入口のレベルよりも下がっていることでもたらされるのだろう。1995(平成7)年にオープンした新館は白鶴美術館のオリエント絨毯の所蔵品の展示を目的として建てられており、高い天井高を確保した空間は、絨毯の縦長の形状を考慮したものと思われる。
それゆえ、この魅力的な空間では豪奢なオリエント絨毯が吊り下がっているだけでも十分なのだが、「羊からじゅうたん!」展ではさらなる試みが行なわれている。まず、1階には展示作品がなく、代わりに絨毯制作のおもな工程をわかりやすく解説した壁面パネルやパイル織の模型などが置かれている。部屋全体を支配するのは、来場者が「ノッティング(縦糸にパイル糸を結びつけて図柄をつくる作業)」を体験できるワークショップの空間だ。ワークショップは毎週末行なわれており、神戸学院大学人文学部の学生インターンがアシスタントを務めている。筆者が訪れた際、大勢の観客がいたが、学生たちが模型の前でペルシャ結びとトルコ結びの違いについて目を輝かせながら説明する姿がまぶしかった。
2階にはおもに20世紀初期のオリエント絨毯が展示されている。作品の1点1点に解説文があるため、イラン、トルコ、コーカサスといった地域による図柄の違いや、おもな文様の意味などを知ることができる。一巡すればオリエント絨毯の地域的特色が体系的に掴めるのだ。つまり、1階と2階の展示はともに教育的効果という軸に貫かれており、そうしたやり方はオリエント絨毯を専門的に研究しつつ、一般の美術愛好者の目線にも立とうとする学芸員でなければできないだろう。また、ワークショップの場が大胆に展示空間に導入されることで、美術館の内部は活性化され、人の息遣いが空間に伝わる。とはいえ、建物が元来有する荘重な雰囲気や展示の美的効果が損なわれているわけではない。そのあたりのバランスのとられ方がじつに見事であった。[橋本啓子]

左=バクティアリー、ペルシア中央部、20世紀初頭、ウール
右=春季ワークショップ風景
2011/10/15(土)(SYNK)
オ・ソックン「教科書(チョルスとヨンヒ)」

会期:2011/09/21~2011/10/22
BASE GALLERY[東京都]
オ・ソックンは1979年、仁川生まれの韓国の写真家。イギリスのノッティンガムで写真を学び、韓国に帰国後本格的に写真家として活動しはじめた。今回BASE GALLERYで展示されたのは、代表作である「教科書(チョルスとヨンヒ)」(2006~08年)のシリーズで、少年と少女の顔をした被りものを身につけたモデルたちにポーズをつけて、さまざまな場所で撮影している。彼らは物置小屋のような場所で密かな性的な遊戯にふけったり、橋の下で身を寄せあったり、自宅の部屋で所在なげにたたずんだりしている。その状況設定に、作者自身の幼年期の記憶が投影されているのはいうまでもない。
実はこのはかなげな少年と少女のキャラクターは、朴正煕政権時代の1970年代から90年代まで、韓国の小学校の教科書のなかに登場していて、この時代に小学生だった韓国人なら誰でも知っているのだという。とすれば、軍事独裁政権から民主化、経済成長を経て、大きく変転していく韓国社会がもたらした歪みや軋みが、彼らのややエキセントリックなふるまいによって象徴的に表現されているともいえる。つまり、あえて頭部を大きくして子どもらしいプロポーションを強調した彼らの姿は、個人的な記憶と歴史との間に宙吊りにされているわけだ。とはいえこのシリーズは、韓国人だけではなく、かつて少年や少女だったすべての大人たちにとって痛みをともなう懐かしさを喚起することができるように仕組まれている。それはオ・ソックンの巧みな演出力の為せる業であり、日本人の多くも、彼らの姿を自分の記憶と重ねあわせることができるのではないだろうか。
2011/10/14(金)(飯沢耕太郎)
UNDER35 中谷ミチコ展

会期:2011/10/14~2011/11/06
UNDER35ギャラリー[神奈川県]
中谷ミチコといえばレリーフだが、いわゆる「浮き彫り」とは反対に「沈み彫り」とでもいうべき技法で彫り、そこに透明樹脂を流し込んで固めたものが代表的だ。凹凸が逆になるため不気味な陰影や立体感を醸し出す。今回も「沈み彫り」が何点か出ているが、圧巻はオオカミのような動物が何頭か群がった浮き彫りのほうだ。絡み合った身体やウロコのような毛並みまでリアルに表現されている。沈み彫りは物理的に四角い枠と厚みが必要だが、浮き彫りは枠が必要ないので現実空間との関係が直接的になり、よりリアルに感じられるのだろう。沈み彫りがタブローに近いとすれば、浮き彫りは壁画に近いといえるかもしれない。レリーフにもいろんな可能性があるんだねえ。
2011/10/14(金)(村田真)
横浜を撮る!捕る!獲る! 横浜プレビュウ

会期:2011/10/14~2011/11/06
新・港村(新港ピア)全体[神奈川県]
中平卓馬、森日出夫、石内都といった大御所から、佐久間里美、三本松淳らの若手まで、横浜をテーマにした写真展。新・港村には大小三つのギャラリーがあるが、作品はギャラリーだけでなく四つのゾーンに分かれた村全体に散りばめられている。宮本隆司と佐藤時啓はピンホールカメラで新港ピアや関内をとらえ、楢橋朝子は大岡川の水面から風景を撮影、山崎博はおそらく港の明かりを浮遊する光として表現、小山穂太郎は横浜港を撮った巨大なモノクロ写真をつなげ、逆に鈴木理策は小さな写真で展示を重視、といったように作品も展示も各人各様。それはいいのだが、同時期にBankARTスクール飯沢耕太郎ゼミの発表や東京芸大の写真展なども重なり(「アペルト」とも呼ばれる)、それらの展示も各所に散らばっているので、いったいどれがだれの作品なのかわかりにくい。まあだれの作品かわからなくても、見れば質の違いは歴然だけどね。
2011/10/14(金)(村田真)


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