artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
吉峯和美「Ground」

会期:2010/05/24~2010/06/05
ASK?[東京都]
抽象のような風景画。つーか、風景のような抽象画っつーか。ほとんどグレー1色で塗り込めた画面に、わずかに海岸らしきものや木立のような影が認められる。それとは別に、母の着物を地に縦横斜めの線を入れた小品も数点。これほど愛想のない作品なのに、これほど惹かれるのはなぜ?
2010/05/25(火)(村田真)
Wu Chin-Chin「A. face 2 face」

会期:2010/05/14~2010/05/23
ZEN FOTO GALLERY[東京都]
面白そうな展覧会だとは思っていたが、見に行く時間がなかった。ところが、ZEN FOTO GALLERYのオーナーのマーク・ピアソンから突然メールが来て、クロージング・ドリンクをやるというので慌てて出かけてきた。どうやら台湾で印刷していた展覧会のための写真集の輸入に、「風俗を害する物品」ということで税関からストップがかかり、そのことへの緊急アピールという意味もあったようだ。
冗談のような名前のWu Chin-Chin(呉泌泌)は、上海生まれで北京在住の女性アーティスト。原子物理学者だった父の仕事の関係で、14歳でアメリカに渡り、パリで写真を学んだ。今回、日本で初公開された「Vis- -vis」シリーズは、50人あまりの女性モデルの性器をクローズアップでクリアーに写した作品。女性性器を主題にした作品は、クールベの「世界の起原」(1866年)以来、特に珍しいものではないが、本作は作者が女性であること、性器の存在を通じて自らを含めたアイデンティティを問い直すという意図が明確であることが重要だろう。なお、方向性は違うが、荒木経惟のモノクローム作品も同時に展示されていた。
むろん、性器のイメージにはエロティックな意味合いを呼び起こす要素がないわけではない。だが、このような生真面目な作品を杓子定規に「風俗を害する物品」とみなすこと自体、何とも時代遅れで硬直化したものに思える。むしろ、あまりにも生真面目過ぎて、人類学的な記録写真の羅列のように見えてしまうことの方が問題だと思う。もう少し笑いを呼び起こすような、いい意味で不真面目なアプローチもありえたのではないかとも思った。
2010/05/23(日)(飯沢耕太郎)
ノーマン・ロックウェル「オールディーズ、その愛しき素顔たち」

会期:2010/05/19~2010/07/11
府中市美術館[東京都]
まさかそれはないでしょ、と思っていたら本当にあった恐い話。ノーマン・ロックウェルといえば、その超絶的写実描写によりアメリカではいまだ絶大な人気を誇る国民的画家、というよりイラストレーター。そのため彼の作品は雑誌の表紙やポスターなど印刷物を通して親しまれ、ぼくも画集でしか見たことがなかった。だから今回の展覧会は、原画に触れて超絶技巧を解読できるまたとない機会として楽しみにしていたのだが、なんと35点のロックウェル作品の約半分は版画を含め印刷ではないですか。もちろんイラストだから複製されたものが本来の姿なのかもしれないけど、美術館で展示するんだから原画展を期待するのが常識でしょう。そもそも計70点ある出品作品のうち、ロックウェル作品は半分だけで、あとの半分はケヴィン・リヴォーリという報道写真家による関連写真の展示という構成なのだ。ま、十数点とはいえ原画を見られただけでもよしとすべきか。
2010/05/23(日)(村田真)
伊藤若冲「アナザーワールド」

会期:2010/05/22~2010/06/27
千葉市美術館[千葉県]
昨年、ミホミュージアムで「ワンダーランド」が開かれたと思ったら、今年は「アナザーワールド」。タイトルだけだとまるでアリス。ここ数年、フェルメール展と同じく毎年のように開かれている若冲展、もうウンザリといいながら、またいそいそと見に行く。今回は、若冲に影響を与えた黄檗宗や沈南蘋の作品も展示しているので、若冲が必ずしもポッと出のオタク画家などではなく、ちゃんとルーツがあることが納得できる。でもやっぱり《動植綵絵》の出てない若冲展なんて、においのない屁みたいだ。
2010/05/22(土)(村田真)
川田喜久治「ワールズ・エンド Worlds’s End 2008-2010」

会期:2010/05/13~2010/07/10
フォト・ギャラリー・インターナショナル[東京都]
1933年生まれの川田喜久治は、いまでも週に何日かは「プールで泳いでいる」のだという。70歳代後半だが、気力も体力もまだまだ充実していることが、この新作展からも伝わってきた。
2008年の暮れから2010年3月まで「毎日撮影することを自分に課した」その成果が並んでいる。撮影場所は東京がほとんどだが、あえて今回は、自分が住んでいるこの場所のいまを撮影するというこだわりがあったようだ。前作の「ユリイカ Eureka 全都市」(2005年)、「見えない都市 Invisible City」(2006年)と同様に、デジタルカメラの連写機能やパソコンでの合成や色味の変換を活かした作品が並ぶが、シャドー部の翳りがより強調され、不穏当な気配がさらに大きく迫り出してきているように感じる。全体的に無機的なモノと有機的な生命体とが絡み合うハイブリッドな状況に強く引きつけられるものがあるようだ。その「一瞬のねじれやファルス」を追い求めていくと、どうもフレーム入りの写真が整然と並んでいる、静まりかえった会場の雰囲気とはややそぐわないようにも思えてくる。
これはほんの思いつきだが、逆にノイズがあふれる工事現場のような場所で見たかったような気がする。ノイズ・ミュージックをバックにしたスライドショーのような形も面白いかもしれない。そんなふうに思わせるような、「はみ出していく」エネルギーが、作品に渦巻いているということだろう。
2010/05/21(金)(飯沢耕太郎)


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