artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

山崎博「動く写真! 止まる映画!!」

会期:2009/05/11~2009/06/05

ガーディアン・ガーデン/クリエーションギャラリーG8[東京都]

写真家とグラフィック・デザイナーを交互に取り上げている「タイムトンネルシリーズ」の28回目として開催された展覧会。この企画展示では、写真家の初期作品から近作までを、一度に見渡すことができるのがありがたい。今回の山崎博の展示でも、クリエーションギャラリーG8に展示してあった写真家としてスタートしたばかりの時期の「天井桟敷」の舞台写真や、寺山修司、土方巽、赤瀬川原平らのポートレートが興味深かった。彼がそういう被写体に比重を置いた写真の撮り方から、「カメラというメディアの特性そのものが写真である」という考えに至り、太陽や海や桜を「光学的事件」として撮影する方向へ踏み込んでいく過程が追体験できるように展示が構成されているのだ。
それにしても、山崎のほとんど孤高の営みといってよい仕事は、もっと高く評価されるべきではないだろうか。近作の「桜」の連作にしても、長時間露光、アウトドアでのフォトグラム、トイカメラのホルガでの多重撮影など、ありとあらゆる手段を駆使して写真の醍醐味を極めようとしている。僕は以前から、山崎は教育者として一流の資質を備えているのではないかと思っているのだが、若い世代にはぜひ彼の果敢な実験精神を学んでほしいと思う。そのためのテキストとして、リクルートから刊行された展覧会と同名の小冊子(山崎へのインタビューと年表で構成)が役に立つだろう。
「山崎、写真やるんなら世界を測れ」。寺山修司の言葉だという。写真とはたしかに「世界を測る」技術なのかもしれない。山崎の仕事を見ているとそう思えてくる。

2009/05/21(木)(飯沢耕太郎)

田村実環 展

会期:2009/05/19~2009/05/31

ギャラリーマロニエ[京都府]

プリント柄の布地をモチーフにして、千変万化する光の表情を描いてきた田村だが、布地の存在感は明らかに縮小しており、もはや絵のきっかけに過ぎない。今や布地ではなく半透明のレイヤーといった感じだ。一方、水槽の水草を描いたり、蝶のシルエットが浮き出た新作も発表され、新展開の萌芽が感じられた。田村の作品は新たな段階に入りつつある。

2009/05/19(火)(小吹隆文)

ブラッドレー・マッカラム&ジャクリーヌ・タリー「思い通りに消せない記憶」

会期:2009/04/11~2009/05/17

トーキョーワンダーサイト渋谷[東京都]

黒人と白人のパートナーであるというブラッドレー・マッカラムとジャクリーヌ・タリーの個展。2008年に東京に滞在しながら、ちょうど40年前の1968年に報道された社会問題のイメージを加工した作品を発表した。それらはヴェトナム反戦運動、公民権運動、3億円強奪事件などの報道写真の上にレースのようなレイヤーを重ねてつくりだした朦朧としたイメージ。一見すると、歴史的なパブリックイメージの輪郭が薄れつつある現在の窮状を暗示しているようだが、しかし現在のウェブ社会がそれらのイメージを瞬時に召喚することができることを考えれば、むしろその固定化されたパブリックイメージに束縛されていることのほうが問題ではないだろうか。1968年のファントムが忘却されることに歯止めをかけようとするのではなく、それらを相対化しながら別のリアリティと出会おうとすることが課題である。

2009/05/17(日)(福住廉)

筆墨の美──水墨画展 第一部中国と日本の名品

会期:2009/04/04~2009/05/17

静嘉堂文庫美術館[東京都]

中国と日本の水墨画を紹介する展覧会。日中あわせて40点の水墨画と、筆や硯など14点の文房具が展示された。日本絵画20点のなかに国宝は一点も見当たらないのにたいして、中国絵画20点のうち、国宝が2点(伝馬遠《風雨山水図》、因陀羅《禅機図断簡 智常禅師図》)入っている事実だけを見ても、いかに日本の水墨表現が中国の影響下にあったかがよくわかる。なかでも、日本の水墨画に決定的な影響を与えたとされる牧谿の《羅漢図》は、後の様式化された山水画と見比べてみると、水墨の技法の面でも構図の面でも、明らかに異質であり、この歴然としたちがいを目の当たりにすると、牧谿が長谷川等伯を大いに刺激したという説も頷ける。解説文も要点を押さえた平明な文章で、じつにわかりやすかった。

2009/05/17(日)(福住廉)

artscapeレビュー /relation/e_00001111.json s 1204785

Chim↑Pom「捨てられたちんぽ展」

会期:2009/05/16~2009/05/17

ギャラリー・ヴァギナ(a.k.a. 無人島プロダクション)[東京都]

Chim↑Pomの磁場に入り込むと、ひとは冷静ではいられなくなる。高名な美術評論家が完成作を見る前に美術作品とは到底言い難いと断定したり、ぬるいお騒がせ野郎たちだと断言する美術関係者の口ぶりがなんだかぬるかったり、お手つきを誘発する魔力がある(Chim↑Pomの作品は非美術的というよりも、むしろ生真面目に美術史を参照しているように私には見える。この点で、美術批評、美術史研究の観点から冷静に検証すべきではないだろうか)。本作は、ひとを冷静でいられなくさせるという彼らの本質がそのままの姿で顔を覗かせた。比喩ではない。小さいホワイトキューブには一カ所だけ穴が開いてあり、そこから赤くて頻繁に形状の変化する体の一部がはみ出している。後ろに立つメンバーが無言で会期中(2日間)ひたすら一部を陳列し続けているというわけだ。会場に足を踏み入れると、観客や関係者達が酒盛りをしていた。飲まずにやっていられるか、といった感じ。なんであれが曝されているだけでひとは冷静さを欠いてしまうのだろう。あれは膨張と収縮を黙々と繰り返す。赤くなったり白くなったり忙しい。しゃべりかけるとジェスチャーで返してくる。彼らの名は伊達ではないのだ。ひとの隠している部分を露出させてしまう、それがChim↑Pomなのだ。そうした自分たちの本質をきわめて丁寧に説いた自己批評的作品。ギャラリーの隅っこでは「裸でなにが悪い」と公権力に声を荒げた中年アイドルの在籍するグループ5人分の表札が、本人たちの立ち位置に合わせて壁に掛けてあった(Chim↑Pomの過去作品)。

2009/05/17(木村覚)