artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
下瀬信雄展 天地結界
会期:2019/05/23~2019/07/07
山口県立美術館[山口県]
下瀬信雄(1944〜)は山口県萩市在住の写真家。1967年に東京綜合写真専門学校卒業後、家業の写真館の仕事をしながら、コンスタントに作品を発表し続けてきた。今回の山口県立美術館での展示は、その彼の50年以上にわたる写真家としての軌跡を辿る回顧展である。
まず、最初のパートに展示されている、巨大サイズのデジタルプリント作品群に驚かされる。下瀬は2000年代になってから、撮影、プリントのデジタル化を進め、画像の合成やキャンバス布地へのプリントなどの手法を積極的に用いるようになった。それらは地元の萩をはじめとする山口県各地の風景、さらに日本各地の風景までも、新たな視点で見直そうとする意欲的な試みでもある。
次に学生時代の習作をはじめとして、彼が刊行した3冊の写真集『萩 HAGI』(求龍堂、1989)、『萩の日々』(講談社、1998)、『結界』(平凡社、2014)におさめられた作品を中心に代表作が並ぶ。生まれ育った城下町、萩の風物を、あくまでも日常生活に根ざした眼差しで細やかに撮影した『萩 HAGI』、『萩の日々』の写真群も興味深いが、圧巻は最後のパートに並ぶ『結界』のシリーズである。大判カメラを使って、自然界に潜む見えない境界線を探り当てようとするこのシリーズは、1990年代初頭から現在まで続くライフワークとなった。少年時代に「科学者か詩人」になりたかったという下瀬の、客観性と主観性とを融合した視点がどの作品にも貫かれていて、見応えのあるシリーズとなっている。
下瀬のような「地方作家」の仕事は、「中央」の写真家と比較すると、どちらかといえばネガティブに捉えられがちだ。だが、同じ中国地方の鳥取県で活動を続けた植田正治のように、「地方」に居ることを逆手にとって、独自の作品世界を構築していく者もいる。下瀬もまた、萩という豊かな自然と歴史に育まれた土地に根ざすことで、多面的な作家活動を展開してきた。新作のデジタル作品を見ても、その創作意欲はまだまだ衰えていないようだ。
2019/06/14(金)(飯沢耕太郎)
都美セレクション グループ展 2019
会期:2019/06/09~2019/06/30
東京都美術館[東京都]
「都美セレクション グループ展2019」に選ばれた3本の展覧会。それぞれ世代もテーマも異なるが、一つひとつ語るのは面倒なので、乱暴だけどまとめて紹介しちゃう。
まず、「都美セレクション グループ展」について。これは2012年のリニューアル以後に始まったもので、「新しい発想によるアートのつくり手の支援を目的として、企画公募により開催する展覧会」のこと。要するに、展示室の一部を公募で選んだ作家たちの企画展に無償提供するという、いわば「企画展」の「公募展」。これによって公募展の貸し会場という都美のイメージから脱皮し、企画展重視の美術館へと転換を図りたいのかもしれない。
そんなわけで、ただ仲間を集めただけのグループ展は落とされ、おのずと主義主張をもったメッセージ性の強いテーマ展が選ばれる傾向にある。とはいえ公共の施設なので、政治色の強い企画は通らない。ここらへんがビミョーなところで、あるメッセージを社会に届けようとすればおのずと政治的にならざるをえない。今回選ばれた3本は作家の世代もテーマも異なるが、いずれも明確なメッセージをもち、ある意味政治性も強い(だから悪いというのではなく、だからおもしろい)。
まず最初の「星座を想像するように──過去、現在、未来」は、星座を見ると過去の光が見えるように、歴史の上に立つ現在から未来を想像しようという試み。タイトルこそソフトだが、出品は平川恒太、瀬尾夏美、加茂昂ら7人で、戦争や災害の記憶と忘却をテーマにする骨太な作家が多い。とくに平川は、ネットで購入した戦争の勲章をカルダーのモビールのようにいくつもつなげ、その領収書を使って星座を描き出す。古堅太郎は偶然にも先日見た風間サチコと同じく、戦前と戦後の丹下健三の設計思想の共通点を暴き出す。もっとも興味をそそったのは、田中直子による戦前の児童画(日独伊親善図画)の展示。日常を描いたものもあれば、戦争画顔負けの戦闘図もあって、よく残っていたもんだ。
「彼女たちは叫ぶ、ささやく──ヴァルネラブルな集合体が世界を変える」は、主語が女性代名詞であることから察せられるとおり、おもにジェンダーをテーマにした女性だけのグループ展。「ヴァルネラブル」とは「傷つきやすい」という意味で、女性やマイノリティという「弱さ」「傷つきやすさ」ゆえの可能性と自由さに希望を託す。出品はイトー・ターリ、ひらいゆう、綿引展子ら8人。岸かおるは心臓型の表面にさまざまな色の布を貼り、ビーズなどで飾り立てるが、心臓に細工することを想像するだけで胸が痛くなりそうだ。また、同じ木の枝に髪の毛をつながれたヌード女性の腹が膨らみ、最後の1枚は赤ちゃんを抱えている4点連続写真を出したカリン・ピサリコヴァの《Apollo and Daphne》は、タイトルどおり男(アポロ)に追いかけられて木に変身するダフネにヒントを得た作品だが、深刻さがなくユーモラスに受け取れる。
最後の「ヘテロトピア」には松浦寿夫や白井美穂ら5人が出品。ヘテロトピアとは、現実には存在しない理想郷を意味するユートピアと違い、現実に異質な時間・空間が共存する場所のことで、美術館もそのひとつだ。「東京都美術館のただなかに、もうひとつ別のヘテロトピアを出現させること、あるいは、美術館という場所が備えるべきヘテロトピアという性質を回復させること」(松浦)を主旨とする。伊藤誠は上面が鏡の装置を顔に装着し、下を見ても上しか見えない状態で歩いてもらう作品を出品。こんな「彫刻」をつくっていたんだ。吉川陽一郎はテーブルや本棚を出品しているが、その本棚に「聖戦美術展」のカタログをはじめ、戦争中の雑誌などが並んでいて、日独伊の児童画とともに貴重な資料だ。
3本それぞれ異質の展覧会だが、しかしあちこちで部分的に共鳴し合い、それこそヘテロトピアのごとくひとつの展覧会として見ることも可能だろう。
2019/06/14(金)(村田真)
第44回 木村伊兵衛写真賞受賞作品展
岩根愛「KIPUKA」
会期:2019/06/13~2019/06/19
ニコンプラザ大阪 THE GALLERY[大阪府]
写真集『KIPUKA』(青幻舎)で第44回木村伊兵衛写真賞を受賞した岩根愛の個展。ハワイの日系移民とそのルーツの福島県民、時間と故郷を離れて両者をつなぐ「盆踊り」を基軸に、日系移民の墓やポートレートなど厚みのある写真群が展示された。
2006年にハワイに行った岩根は、生い茂る熱帯の植物に埋もれた「移民墓地」を見たことをきっかけに、ハワイの日系文化に関心を持つようになったという。サトウキビ農業と砂糖産業に従事するため、戦前、多くの移民がハワイへ渡ったが、産業の衰退とともに廃れた居住区や墓地が残されている。一方、「相馬盆唄」がベースである「フクシマオンド」をはじめ、各地の盆唄と踊りは継承され、毎夏の盆祭りで「ボンダンス」として熱狂的に踊られている。墓地の場所、家族史、移民が当時使っていた撮影機材など、インタヴューやリサーチを重ねた岩根は、ハワイに通いながら12年間撮り続けた。
その写真作品は、時間的/空間的に幾重ものオーバーラップで構成される。空間的なオーバーラップを見せるのは、パノラマ撮影された、ハワイの移民墓地と震災後の福島の光景。溶岩流の流れた大地や砂丘に建つ墓碑は、斜めに傾げたり、頭だけがかろうじて見え、津波に飲み込まれた瞬間のまま凝固したように見える。あるいは、草が生い茂り、荒れ果てた墓地の光景は、帰宅困難区域内のそれを否応なく連想させる。
一方、時間的なオーバーラップは、撮影機材や演出の操作によってもたらされる。上記のパノラマ写真は、当時の移民が葬儀の参列や行事を記念する集合写真などの際に実際に使っていた、大型のパノラマカメラを用いている。回転台に載った箱型カメラが360度回転し、2mのフィルムに焼き付けて撮影する。過去に彼らを写した装置で現在を写す、すなわち過去の「目」を通して現在を見る。この撮影手法を用いて、ハワイの「ボンダンス」と福島の盆踊り、それぞれが「乱舞する無数の手のイメージ」として切り取られた。また、かつて日系移民が働いていたサトウキビ畑に、モノクロの家族写真を夜間に投影して撮影した写真では、現在と過去の二重写しのうちに、亡霊のようなイメージが浮かび上がる。かつて彼らが働いていた場所に今も生い茂るサトウキビは、彼らの皮膚や衣服を美しい模様のように染め、イメージの皮膜に実体的な濃淡を与えつつ、その葉の重なり合いは、輪郭や目鼻立ちといった固有性をかき消していくのだ。
地道なリサーチに基づき、当時の機材や古写真を用いつつ、フィクショナルな操作を加えてイメージとして具現化する。ここでは、イメージの「創造(捏造)」を通して、いかに(自分自身とは直接地続きではない)過去や他者の記憶に接近できるかが賭けられている。
ただ、上述の、ハワイの「ボンダンス」と福島の盆踊りを捉えた写真では、それぞれレンズにカラーフィルタを付けて撮影し、ハワイ=「赤」/福島=「青」という対照的な色に染め上げた演出に疑問が残った。ハワイの「ボンダンス」は、両手を合わせた形が祈りを思わせ、「赤」という色が彼らの奔出する熱気やエネルギーを強調する。一方、太鼓のバチを握った無数の手の蠢きとして切り取られた福島の盆踊りは、「青」に染められることで、「(震災の)死者を迎える、深い哀悼」という読み取りを誘う。両者のパノラマ写真は、背中合わせで吊られて展示された。
こうした「色分け」や対比性には分かりやすさの反面、ある種の暴力性を感じた。「移民」は、単純にカテゴライズされたアイデンティティからの逸脱や流動性をもつ存在だが、カラーリングによる「レッテル化」は、固定化の操作という点で暴力的であり、「こちら側/彼ら」を分断して見せてしまう。だが、どちらが「ハワイ」でどちらが「福島」なのか判別不可能なほどに、混在させて見せてもよかったのではないか。カラーリングや対比性の強調は、「私たち」と「彼ら」、「日本人」と「日系人」といった線引きの構造と密かに通底してしまう危険性を持っている。だが、歌や踊りとして身体化された記憶の継承や、故郷から(国家政策によって、あるいは災害によって)強制的に隔てられたという点では、両者は同質性を持ち、岩根の狙いもそこにあったはずだ。同質性の過度な強調、すなわち「同じ日本人の血やルーツだ」という本質主義に陥る危険性を回避しつつ、表象がどこまでも政治から逃れられないことを自覚的に引き受ける態度が要請されている。
関連記事
岩根愛「KIPUKA」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2018年11月01日号)
2019/06/13(木)(高嶋慈)
笠木絵津子「『私の知らない母』出版記念新作展」
会期:2019/06/10~2019/06/22
藍画廊[東京都]
笠木絵津子は2000年以降、「戦前の東アジアに生きた私の母の半生を、古い家族写真と私が現地に赴いて撮影した現在写真を交錯させて描いたデジタル作品シリーズ」を発表し続けてきた。昨年、母の死から20年を迎えたことを契機に、それらを作品集『私の知らない母』(2019年9月に発売予定)にまとめることを思いつく。今回の藍画廊での個展では、その中におさめられる予定の新作16点中5点を発表した。
笠木が、同シリーズを制作し始めた20年前と比較すると、デジタル加工技術の進化は驚くべきものだ。今回の展示には、最大110×400センチの大作が出品されているのだが、この大きさと画像の精度は以前には考えられなかった。それだけでなく、祖父のアルバムの写真に写っている旧満州や台湾の風景、母のポートレート、あらためて撮影した「現在写真」などをコラージュ的につなぎ合わせていく手法も、ずっと洗練されたものになってきている。とはいえ、《1941年、満洲国哈爾濱市にて、17歳の母と松花江を望む》の解説に記された、ホテルの窓いっぱいに広がる松花江を目にして、「泣きながら窓の外の大陸を撮り続けた」という述懐によくあらわれているように、亡き母親に対する哀切極まりない感情の表出はキープされている。個人史と、日本とアジア諸国との関わり合いの歴史をクロスさせていく視点も、今なお有効性を保ち続けているのではないだろうか。作品集の刊行というひとつの区切りを経て、このシリーズがこの先どんな風に展開していくのかが楽しみだ。
2019/06/13(木)(飯沢耕太郎)
原 啓義 写真展 そこに生きる
会期:2019/06/12~2019/06/25
銀座ニコンサロン[東京都]
原啓義は2017年に銀座ニコンサロンと大阪ニコンサロンで「ちかくてとおいけもの」と題する写真展を開催している。今回の展示はそれに続くもので、前回と同様に新宿、渋谷、銀座など都心の路上で撮影したネズミの写真が並んでいた。とはいえ、面白さはさらに増している。前回は「ネズミと人間社会との関係」が中心的なテーマだった。環境問題への着眼も含めて、興味深い内容だったのだが、「こんな場所にもネズミがいる」、「ネズミが意外に可愛い」といったやや図式的な解釈におさまってしまうところもないわけではなかった。新作で大きく変わったのは、「感覚を人間の側からネズミの側に移していく」ことだったという。そのことによって、巣穴から顔を出す、ゴミバケツを漁る、カラスや鳩や人間に追いかけられるといった、まさにネズミの視点に立ったリアルで切実な眺めが写り込むことになった。道端に打ち捨てられたネズミの遺骸を清掃員が片付けている、悲哀感が漂う場面もある。このような動物写真は、ありそうであまりなかったのではないだろうか。
もうひとつ、会場に掲げられた原の経歴を見て、なるほどと思ったことがある。原は日本拳法三段の腕前で、2011年には全日本拳法体重別選手権大会の重量級で優勝したこともあるという。街中でネズミの気配を察し、視認し、間合いを詰め、撮影するプロセスに、武道の達人であることが活かされているということだろう。このシリーズは、もうそろそろ写真集にまとめてもいい時期にきているのではないだろうか。それだけの厚みを持つ作品になってきている。なお、本展は7月4日〜17日に大阪ニコンサロンに巡回する。
2019/06/13(木)(飯沢耕太郎)