artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
生きられた庭
会期:2019/05/12~2019/05/19
京都府立植物園[京都府]
京都府立植物園の広大な敷地内に点在する作品を、「キュレーターによるガイドツアー」形式で鑑賞する、異色の企画展。約1時間のガイドツアーは1日7回行なわれ、記録映像をウェブ上に公開・保存するなど、実験的な形式性に富んだ企画だ。キュレーターの髙木遊は東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻に在籍し、本展は同研究科の「修了要件特定課題研究」として開催された。
「ガイドツアー」は、個別の作品解説に加え、京都府立植物園の歴史や特色ある取り組みについても多く触れるものであり、個人的には後者の方が興味深かった。園内のさまざまなエリアを巡りながら、この場所に堆積した歴史の重層性とともに、「庭」のもつ多義的な意味(境界画定、人為的管理と「自然」の同居、多様性の共存)が語られていく。
園内にある神社をとりまく一帯の「なからぎの森」は、園内唯一の自然林であり、原植生がうかがえること。また、正門を入ると出迎える「くすのき並木」は印象深いが、敗戦後の1946年から12年間、植物園はGHQに接収され、家族用住宅建設のために多くの樹が切り倒された。返還後の60年代に新たに植樹されたものは樹高が低く、樹の高さが歴史を物語る。また園内には、倒木や切り株が点在する。これらは、昨年9月の台風の被害の物理的証言であり、「自然災害の爪痕を教訓的に残す」意味合いと、「倒れた木や切り株が苗床となり、新たな命を育む様子を「展示」として見せることで、生と死の循環や両者の切り離せなさについて考えさせる」狙いがあるという。
また、「日本の森・植物生態園」のエリアでは、日本各地に自生する植物の多様性を、九州と四国の暖地性植物、関西から中部、関東にかけての植物、東北と北海道の寒地性と亜高山帯の植物、水辺の植物ごとに植栽。だが、本来はそれぞれ異なる環境や気候に属する植物をひとつのエリアで育てることは難しく、人間の管理がより必要だという。私たちを取り巻く人工的に管理・演出された「自然さ」について問うとともに、「多様性社会」を考える上でも示唆に富む。
このように、「京都府立植物園」という固有の場所の持つ歴史の重層性や、「庭」が喚起するメタフォリカルな意味は大変興味深い。だがそれらは、「府立植物園についてのガイドツアー」で与えられる情報であり、展示作品がこうした歴史性やテーマに応える力を持っていたかどうかは疑問が残った。
植物園の空間性を活かした展示としては、例えば多田恋一朗は、単色に塗られた変形キャンバスを、苗床となった切り株の上に設置した。また、山本修路は、ピンホールカメラのような木箱を各所に設置。小さな穴を覗くと、節くれだった樹の根元、遠くの山並みなど風景の一部がピンポイントで丸く切り取られる。「新鮮な視点の発見」とともに、カメラのフレームが「フレーム外の要素の排除」「視線の強制」でもあることを示し、両義的だ。また、石毛健太の《Not just water/ただの水ではない》は、噴水の真上に仮設の小屋を設置し、「噴水の頭」を観客が間近で眺められる作品。狙いは映像の方にあり、「93年にメキシコで撮影された、川の濁流の上を飛び跳ねるエビのような謎の生物」についての検証が、「PCのデスクトップ上に次々と映像の再生ウィンドウが立ち上がる」という自己言及的な形式によって展開される。都市伝説を生んだ「未確認生物」の正体は最後に明かされ、コマ数の少ない家庭用ビデオカメラで撮影した際、水しぶきの残像が「飛び跳ねる謎の生物」に見えたからだという。「映像上のみに存在する未確認生物」をめぐるそれ自体真偽の曖昧な話を、次々と重なり合う「動画再生ウィンドウ」によって展開し、ネット上における映像の流通や消費、知覚について自己言及的に問う姿勢は興味深いが、例えばヒト・シュタイエルのそれを容易く想起させる。
こうしたなか、本展での収穫は、積み上げた巨大な段ボールが自重で崩壊していく、野村仁の初期の代表作《Tardiology》(1968-69)の、野外での再制作だった。京都市美術館の屋外敷地で初めて発表されたこの作品は、美術館のホワイトキューブでは何度か再制作されているが、野外での再制作は25年ぶりである。さらに、今回の設置場所は、台風で枝を失った樹や切り株に囲まれた場所であり、「時間とともに姿を変える非永続的な作品」の「(再)生と死」を考える上でも示唆的だった。「作品の保存=延命装置」である美術館の静的環境ではなく、生きている樹、倒木や切り株、それら死を糧として再生する命、そうした循環する自然の動的な相の元で本作の再制作を見られたことは、極めて意義深い。
公式サイト:https://ikiraretaniwa.geidai.ac.jp/
2019/05/19(日)(高嶋慈)
大山エンリコイサム個展「VIRAL」
会期:2019/05/18~2019/11/17
中村キース・ヘリング美術館[山梨県]
ニューヨークを拠点に活動する大山が、箱根のポーラ美術館に続いて、小淵沢の中村キース・ヘリング美術館でも個展を開いている。二つの美術館で個展を同時開催ってスゴイんだけど、どうしてわざわざ不便な場所でやるの? てか、どうして不便な場所に招かれるんだろう? 彼の作品は田舎より都市空間でこそ映えるのに。でもまあ、どちらもリゾート地だから、つい行ってみたくなるけどね。
キース・ヘリング美術館が大山を招いたのは、もちろん彼がグラフィティをベースにした作品を制作しているから。タイトルの「VIRAL」とは「ウイルスの」という意味で、グラフィティがウイルスのように社会に浸透したこと、キース・ヘリングはエイズウイルスに感染して亡くなったが、彼のアートは世界中に拡散したことなどの意味を込めているそうだ。
大山がグラフィティで注目したのは、腕のストロークを生かしたライティング。その運動の要素を抽出して再構築したのが、「クイックターン・ストラクチャー」と名づけたモチーフだ。今回は、このクイックターン・ストラクチャーを中心にした絵画10数点を展示している。 クイックターン・ストラクチャーは白黒の陰影(?) をつけた帯がジグザグに交差し、複雑に入り組んだもの。単純な要素が複雑に絡み合い、平面的なのに立体的にも見え、記号(書)のようでありながらイメージ(絵)を喚起し、表現主義的とも幾何学的ともいえる、実に明快かつ曖昧な性格を備えているのだ。特にストローク・ペインティングの上にクイックターン・ストラクチャーを載せた《FFIGURATI#184》は、20世紀絵画の主要な成果を1枚に凝縮したような問題作。色がないのが寂しい気もするが、それさえ主要な関心事以外の余計な要素を排除したモダニズムのストイックさを彷彿させる。
この日は屋外の中庭(ミュージアムシアター)で公開制作が行なわれた。岡本太郎や横尾忠則と違ってハデなパフォーマンスを好まない大山が公開制作を行なうのには、それなりの理由があるのだろう。まず白い大きなキャンバスの前に立ち、画面の中央に腕のストロークを利かせて大きな円を描く。ほぼ正円に近い円で、飛沫や滴りもいい具合につき、これだけだと円相図だ。ハッとしたのは、円を描き終わったとき、腕の動きにつられて大山の身体が正面を向いたこと。つまり一瞬、作者が画面に背を向け、観客に向き合ったのだ。別にそこに意味をこじつけるつもりはないけど、なにかとても新鮮な気分だった。
2019/05/18(土)(村田真)
横浜開港160年 横浜浮世絵
会期:2019/04/27~2019/06/23
神奈川県立歴史博物館[神奈川県]
幕末から明治初期にかけて、西暦でいえば1850年代末から1880年ごろまでの20年あまりのあいだに横浜で描かれた浮世絵を公開している。出品は、浮世絵コレクターとして知られる丹波恒夫と斎藤文夫が集めた計330点にも及ぶ(前期と後期で総入れ替えするので半分しか見ていない)。失われたものも相当あるはずだから、いったいどれだけ描かれたのか。浮世絵は1点ものの絵画と違って売れてなんぼの商売なので、次々と新しいモチーフを発掘して作品化しなければならない。その点、幕末の横浜は黒船来航から開港、異人さんの姿、洋館、鉄道まで目新しいモチーフにこと欠かなかったので、次々と出版することができたのだろう。横浜市史にとっての浮世絵も重要だが、近代浮世絵史における横浜の重要性についても再考する必要がありそうだ。
興味深い作品がいくつかあった。「横浜売物図絵」シリーズには、海を渡ってきた西洋画らしき画中画が描かれているが、どう見ても浮世絵。そりゃ、西洋画を浮世絵で描けといわれても西洋画にはならず、浮世絵になってしまうわな。また横浜ではなく、亜墨利加、英吉利、仏蘭西など西洋の都市風景を描いた絵もある。おそらく銅版画かなにかを参照したのだろう、稚拙ながら遠近法も試みているところがいじらしい。
ずっと見ていくと、野毛、馬車道、海岸通、吉田橋などなじみのある地名が出てきて、だいたいどこを描いているか推測できるが、現在も残っている建築がひとつもないことに気づく。あえて強調するが、開港からたった160年しか経っていないのに、ひとつも残っていないのだ。横浜は神奈川県本庁舎や開港記念会館といった歴史的建造物が残っているのが自慢だが、それとて関東大震災後に建てられたもので、まだ100年もたっていない。吹けば飛ぶような歴史の浅さ……。それだけになおさら、こうした紙媒体の記録は重要度を帯びていくに違いない。
2019/05/17(金)(村田真)
田口和奈「エウリュディケーの眼」
会期:2019/05/08~2019/06/01
void+[東京都]
田口和奈の展示を見るのはひさしぶりだ。void+では10年ぶりの個展だという。今回の展覧会は「五島記念文化賞美術新人賞研修帰国記念」として開催されたもので、展示されているのは、田口が現在制作中の本『エウリュディケー』から派生した近作である。
田口は雑誌の画像、ファウンドフォト、自分が撮影した写真などのパーツを組み合わせて架空の人物や場所を描き、それをカメラで撮影して印画紙にプリントするという手法で作品を制作する。どこか錬金術を思わせるそのプロセスによって出現してくるモノクロームの画像の精度、密度は驚くべきものだ。だが、今回展示されている作品は、その制作プロセスの途中経過をそのまま提示したもので、「仮の」状態が生々しく露呈しているものが多い。逆にそのことによって、制作中の田口の思考を覗き見ているような面白さが生じている。タイトルの「エウリュディケー」とは、ギリシア神話のオルフェウスの妻の名前である。オルフェウスは、冥界から彼女を連れ帰ろうとしたが、もう少しのところで果たせずに終わる。展示されている写真には、そのような手が届きそうで届かないもどかしさが、隠喩的に表現されているようにも感じた。
どうやら『エウリュディケー』の制作は難航しているようだが、どんなふうにでき上がるのかが楽しみだ。田口のことだから、おそらく一筋縄ではいかない書物になるのではないだろうか。
2019/05/16(木)(飯沢耕太郎)
開館30周年記念特別展 美術館の七燈
会期:2019/03/09~2019/05/26
広島市現代美術館[広島県]
1989年、公立館としては国内初の現代美術専門館として開館した広島市現代美術館の30周年記念展。19世紀イギリスの美術評論家、ジョン・ラスキンの著書『建築の七燈』にならい、同館の軌跡や美術館に必要な要素、担う役割、今後の課題を「七つの灯り」になぞらえた章立てで構成。「観客(参加型)」「建築」「ヒロシマ」「保存修復」「資料と記録」「リサーチと逸脱」「あいだ」といった切り口から、コレクションや資料、新作インスタレーションが全館を用いて展示された。
全体を見終わって感じたのは、「歴史を編む装置」としての美術館のあり方を、(作品ではなく)自館を対象にインストールし、普段は表に出にくい潜在的な地盤を課題とともに浮かび上がらせた印象を持った。例えば、館の独自性として「ヒロシマ」を扱った作品の収集や制作委託を振り返った章。作家への「制作委託」が、開館時の1期には78作家、被爆50周年にあたる1995年の2期には50作家、1999~2005年の3期には128作家に行なわれたことが解説パネルに記され、着実な積み重ねによって館のアイデンティティが構築されてきたことがわかる。
だが、2006年以降、制作委託による収集はストップし、石内都の撮った被爆衣服、旧広島市民球場に「地蔵建立」した小沢剛、都築響一の撮った路上生活者のポートレートは、個展開催時に「寄贈」された旨が記される。 また、3年毎に開催される「ヒロシマ賞」の歴代受賞作家の紹介でも、近年になるに従い、先細りが目立つ。シリン・ネシャット(第6回受賞者)とドリス・サルセド(第9回受賞者)は収集から抜け落ち、オノ・ヨーコ(第8回受賞者)とモナ・ハトゥム(第10回受賞者)については、大型のインスタレーションではなく小品に留まる。「コレクションを通した館のアイデンティティ構築」という使命が置かれた厳しい状況を、(同館だけでなく)国内の美術館に共通する課題として物語っていた。
また、「『残すこと』作品の修復、コンサベーションの現在」と題された4章も、コレクションが直面する課題について、「保存修復、作品の生と死」をめぐる異なる考え方や対処法を、実作品とともに提示した。「物理的な修復による延命」としては、吉原治良の絵画作品の修復現場を公開。ニス層の除去と再塗布を定期的に行なうことで、表面の汚れや経年による黄変を取り除く。「最小限かつ可逆的な介入」を基本理念に、モノとしてできるだけ現状維持での保存と延命を目指す。
一方、プラスチック製の日用品やトイレットペーパーなど消耗品を「逸脱的・遊戯的に使用」した記録映像とともに、それらの現物を床に散乱させた田中功起の作品は、「大量生産品や永続性のない素材の代替がどこまで可能か」という問いを投げかける。作品に使用された日用品は、台湾で購入された発表当時のままだという。再展示の際に取り換えが可能か、どのような配置が望ましいかは、作家と所蔵者や美術館のあいだで「インストラクション(指示書)」を今後協議する必要がある。こうした指示書は、非永続的もしくは実体的な境界が曖昧な作品を時間の隔たりを乗り越えて何度でも再生させる「譜面」の役割を果たすとともに、「作品のオーセンシティ(真正性)を保証・決定するのは誰か」という問題も含む。
また、66台のブラウン管テレビをV字型に積み上げたナムジュン・パイクの《ヒロシマ・マトリックス》は、メディア・アート作品が本質的に内包する「機材の劣化や技術的更新のネガとしての寿命」を浮上させる。ソニーのブラウン管テレビは2008年に生産中止になったが、パイク作品は「(テレビ)映像」の視覚的快楽の称揚とメディア批判に加え、彫刻的性質も併せ持つため、ブラウン管を液晶モニターで代替することは作品の本質を損なう。オリジナルの再生機器であったレーザーディスクはDVDに変換したというが、ブラウン管テレビについては、液晶への代替もやむなしと判断するのか、上映時間を限定して少しでも寿命を延ばすのか、交換用の部品のストックを可能な限り増やすのか、今後の対策と判断にかかっている。
上述した「コレクションによるアイデンティティ構築(と予算的困難)」「保存修復(の異なる考え方)」は、国内外の美術館に共通する役割や課題だが、本展のもうひとつの軸は、「広島市現代美術館それ自体についてのアーカイブ」にある。ヒロシマ賞の歩みの紹介に加え、黒川紀章が手がけた建築のドローイングや模型、ロゴや椅子などデザイン設計、開館紹介の「ビデオサイン」、未完に終わった「比治山芸術公園基本計画」の図面や報告書などの資料が展示される。また、デザインユニットの又又は、美術館の準備室から現在までに残された資料を、インスタレーションとして構成。ポスターやパンフレットなど広報物、オリジナルグッズといった「外の目に触れる」資料とともに、建設時や野外彫刻設営時、公式行事の記録写真、テープカットに使われたハサミやテープ、保管理由不明な謎の品々までをリズミカルに配置。普段は「表舞台」には現われない潜在的な存在が、地層を掘り起こすように露わになった。
また、田村友一郎は、30年前の開館日に撮影された一枚の写真──館内の公衆電話から電話をかける女性たち──を起点に、歴史のある定点からフィクションを生成。写真のなかの空間が舞台装置か撮影セットのように精巧に再現され、男女の会話で展開するストーリーが、イメージを欠いた字幕だけの映画として投影される。これらをとおして、アーカイブは「過去において描かれた未来」という分岐的な未完の像を含むものであり、その解釈行為は、これからの未来にありうる姿を(ただし欠落を含みながら)逆照射する営みであることを浮かび上がらせていた。
関連記事
美術館とコレクション──開館30周年記念特別展「美術館の七燈」|角奈緒子:キュレーターズノート
2019/05/15(水)(高嶋慈)