artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

増山士郎「Self Sufficient Life」

会期:2019/02/15~2019/03/10

京都場[京都府]

アイルランド、ペルー、モンゴルの3ヵ国にて、現地の人々の協力と家畜から毛の提供を受け、伝統的な技術を用いて動物繊維加工品をつくる増山士郎のプロジェクトを集大成的に見せる個展。資本主義の発達したアイルランドで失われつつある伝統的な羊毛産業に着目した《毛を刈った羊のために、その羊の羊毛でセーターを編む》(2012)、ペルーの高山地帯で放牧を営む家族の協力のもと制作された続編《毛を刈ったアルパカのために、そのアルパカの毛でマフラーを織る》(2014)、そしてモンゴルの遊牧民の協力のもと制作した完結編《毛を刈ったフタコブラクダのために、そのラクダの毛で鞍をつくる》(2015)の3作品が展示された。毛を刈り、梳き、糸車で紡ぎ、紡いだ糸を手編みや織機で布に仕立てるまでを現地の人々に教わる様子を記録した映像と、すべて手作業でつくられたセーターやマフラー、鞍、そしてそれらを身に着けた動物たちの写真でそれぞれ構成されている。セーターやマフラーは野趣あふれる佇まいながら、化学染料で染められていない優しく繊細な色合いが魅力的だ。


[撮影:曽我高明]


増山の3つのプロジェクトは、飄々としたユーモアをはらみつつ、資本主義社会や産業化と「コミュニティ・アート」、双方への批評的なアプローチを含む点に意義がある。牧畜や遊牧を営む「遠い」土地に赴き、家畜の毛を刈り、貨幣で代価を支払う代わりに、セーターやマフラーを編んでプレゼントする。伝統的なスローな技術を用い、生産と加工を同じ場で連続的に行なう振る舞いは、近代産業化や大量生産に対する批判的応答である。

また、生産物を相手に「贈与」する振る舞いは、「アーティストがコミュニティに入り、現地の素材や技術を用いて、現地の人々とともに作品をつくる」昨今の流行に対し、「アートによる一方的な搾取ではないか」という批判がなされることへの応答でもある。さらに増山の「贈与」の相手が、現地の人々ですらなく「(毛の提供者すなわち二重の「搾取」の対象である)動物」である点に、ユーモアに秘められたラディカルさがある。


[撮影:曽我高明]

2019/03/02(土)(高嶋慈)

第22回 岡本太郎現代芸術賞展

会期:2019/02/15~2019/04/14

川崎市岡本太郎美術館[東京都]

416点の応募のなかから選ばれた25組の作品を展示。応募数は長期的には減りつつあるようだが、入選作を見る限り相変わらず中身が濃いので安心というか、ますます濃くなっているのが心配というか。そのうち読売アンデパンダン展の末期みたいになればおもしろいけどね。

今回、年齢を公表している入選者のなかに還暦過ぎが2人いる。これは喜ばしいことだ。多くのコンペが年齢制限を設けているなかで、年齢も国籍も問わないのは、表現の自由と多様性を確保するうえで欠かせない条件だと思う。そのひとり本堀雄二は、捨てられた段ボール箱で薬師三尊と十二神将をつくり、もうひとりの武内カズノリは、陶磁の人面と杉枝などによるインスタレーションを発表。どちらも自然の力や環境問題に目を向けており、なんか世代的に「気持ち」がわかるなあ。武内は特別賞を受賞。

岡本太郎賞を受賞した檜皮一彦は、積み上げた車椅子の山からLEDライトをランダムに照射するといういささか暴力的な作品を出展。壁には車椅子を必要とする人物の映像が流れ、かなりインパクトがあった。岡本敏子賞の風間天心は僧侶もやっているそうで、水引を施したお城のようにリッパな祭壇をつくり「平成」を弔った。これから平成ネタの作品が増えそう。特別賞の國久真有は、台の上にキャンバスを置き、周囲を巡りながら手の届く限り線を引くという公開制作を実施中。線は腕のストロークを表わす円弧となり、それが幾重にも重なって大きなキャンバスの中央に矩形の余白ができる。こうした「ストローク画法」はほかにもあるが、彼女はそれによって単なる偶然による絵画ではない、もう一段上の表現を目指しているようだ。同じく特別賞の田島大介は、未来都市のような超高層ビルの俯瞰図を遠近感を強調して描いている。いまどきパソコンで作図できるのに、紙にインクで細密に手描きするという愚直さに惹かれる。

賞は逃したが、捨てがたい作品に、大きなサンドペーパーに木の枝や石ころで風景画を描いた藤原史江の《森羅万象》がある。描かれているのは樹木や川辺など、その枝や石を採取した場所だそうだ。採取したもので採取した風景を描くという自己言及的な絵画であり、それをサンドペーパーを支持体にすることで、「描く」「書く」の元が「掻く」「欠く」行為だったことを思い出させもする。ただいかんせん作品として地味。

2019/03/02(土)(村田真)

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齋藤陽道「感動、」

会期:2019/01/19~2019/03/30

東京都人権プラザ[東京都]

齋藤陽道は2010年に「キヤノン写真新世紀」で優秀賞(佐内正史選)を受賞し、翌年デビュー写真集の『感動』(赤々舎)を刊行した。今回の東京・浜松町の東京人権プラザでの個展は、その写真集におさめた作品全点を一堂に会するものである。タイトルに「、」がついているのは、そこから継続して歩み続けているという意思表示だろう。

まさに齋藤の写真行為の原点というべき写真群だが、こうしてあらためて見ると、それらがまったく色褪せないどころか、より輝きを増しているようにすら感じられる。聾唖の写真家である齋藤にとって、「障がい者プロレス」の仲間たちや、マイノリティと目される人たちの存在は、文字通り他人事ではなかったはずだ。写真に写り込んでいる彼らの姿は、ポジティブな視点で光とともに捉えられており、そこには「ポルノグラフィ的な消費される『感動』」ではなく、「絶句して、嗚咽して、なおおのれの存在が奮い立つような『感動』」を確かに捕まえたという強い思いが、ストレートに表明されている。齋藤の被写体に対する反応が、先入観にとらわれることなく、生きものが生きものに皮膚感覚で接するようなものであることがよくわかった。

このシリーズの「キヤノン写真新世紀」優秀賞受賞時のタイトルは「同類」だった。写真集出版の時期が東日本大震災の直後だったこともあり、あまりにも「自意識過剰なタイトル」だということで「感動」に変えたのだという。だが、この写真群にはむしろ「同類」というタイトルのほうがふさわしいのかもしれない。ひとりぼっちで世界に投げ出されて、か細く震えていた生きものが、「同類」に出会ったことの歓びが、どの写真にも溢れているからだ。

2019/03/01(金)(飯沢耕太郎)

清水裕貴「地の巣へ」

会期:2019/02/19~2019/03/04

ニコンプラザ新宿[東京都]

清水裕貴は2007年に武蔵野美術大学造形学部映像学科卒業後、コンスタントに写真作品を発表し続けてきた。2011年には「ホワイトサンズ」で第5回写真「1_WALL」のグランプリを受賞、2016年には「熊を殺す」で第18回三木淳賞を受賞した。今回の個展はその三木淳賞の受賞新作展として開催されたものである。

最近は小説も発表している清水の展示は、いつでも言葉と写真とが絡み合い、結びついて展開される。今回の「地の巣へ」でも、最初のパートに「あれ」と称される生きものが登場する、かなり長い詩が掲げられていた。「夜の間に腹から伸びた無数の足が/泥を掻いて川を下りてくる/水路を駆け巡りあなたを探している」と書き出される詩の内容と、写真とのあいだに直接的な関連はない。大小のプリントが壁に直貼りされ、床にも広がってきている写真のほうは、水やシルエットになった人物が繰り返し登場するのだが、これまた詩と同様に謎めいた内容である。ただ、以前の作品と比べると、テキストと映像とのあいだの緊張感を孕んだ関係の構築の仕方に説得力が出てきた。もう一歩先まで進んでいけば、高度な言葉の使い手としての才能と、繊細な感受性を備えた写真家としての能力とが、よりダイナミックに融合してくるのではないだろうか。

今回の展示は、会場のスペースを二人で分割していたために、照明を落とすなどの工夫はあったものの、清水の作品世界を緊密に展開するには問題があった。インスタレーションの能力も高いので、どこか大きな会場での展示を実現したい。なお、本展は3月21日~3月27日に大阪ニコンサロンに巡回する。

2019/02/27(水)(飯沢耕太郎)

幸本紗奈「遠い部屋、見えない都市へ」

会期:2019/02/19~2019/03/09

ふげん社[東京都]

幸本紗奈は1990年、広島生まれ。2018年の写真「1_WALL」でファイナリストに選出されるなど、このところ急速に表現力を伸ばしている。東京・築地のふげん社で開催された「遠い部屋、見えない都市へ」が、最初の本格的な個展になる。

幸本はこれまで、「この場に居ながら異邦人であり続けることを目標のひとつとして」作品を制作してきた。それらは現実世界を一歩引いて眺め渡すような距離感を備えた、「もうひとつの世界」として成立していたが、あまりにも内向的であり、外に踏み出していけないもどかしさを感じさせるものだった。ところが、今回展示されたシリーズでは、「姉の住む遠い国に行き、さまよった体験」を基点にして作品を構築している。そのことによって、写真に浮遊と移動の感覚が備わり、彼女の目と心の動きにシンクロすることができるようになった。もともと、物語性を感じさせる写真の質だったが、その要素がさらに強まってきている。こうなると、写真とテキストを綯い交ぜにした展示や写真集も見たくなってくる。自分で書いてもいいし、誰かいい書き手とコラボレーションしてもいい。ぜひ実現してほしいものだ。

写真をあえて小さめにプリントして、壁にリズミカルに配置したインスタレーションもとてもうまくいっていた。写真相互のバランスをとって、気持ちのいいハーモニーを生み出していくセンスの良さはなかなかのものだ。さらなる飛躍を期待したい。

2019/02/27(水)(飯沢耕太郎)