artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

アートフェア東京2019

会期:2019/03/07~2019/03/10

東京国際フォーラム[東京都]

2005年に始まり、今年14回目を迎えたアートフェア。あれ? 数えてみると15回目でね? と考えた人は注意深いけど素人。アートフェア東京は1992年に横浜でスタートしたNICAF(日本国際コンテンポラリーアートフェア)を前身とするが、始まったのがバブル崩壊直後で徐々に出展数が減り続けたため、1995年から隔年開催となり、東京に移って「アートフェア東京」に一新してからも隔年開催は受け継がれることになった。そのため2006年は開催しなかったが、2007年に海外のアートバブルのあおりで売り上げが急増したため、3回目には再び毎年開催に戻したというわけ(ところが直後にリーマンショックが起こり、再び低迷を余儀なくされた)。

今年は国内外29都市から160軒のギャラリーが出展。驚いたのは、入場料がなんと5,000円もすること。いつの間にこんなに高騰したんだ(ちなみに昨年は3,500円)。
いくらなんでもこれから作品を買ってもらおうという人に、5,000円も払わせるか(ぼくはプレスパスで入ったので文句をいえる立場ではないが)。今年の入場者数は60,717人。昨年の60,026人をわずかに上回ったが、これを増加と喜ぶべきか伸び悩みと見るべきかビミョーなところ。その前年も57,800人だったので、この6万人前後という数字が日本のアートピーポーの総数ということになる。入場料5,000円でも6万人が訪れるのだから裕福になったものだ。ちなみに売り上げは29億7,000万円で、これも昨年の29億2,000万円より微増。これもビミョーだなあ。

会場で目についたのは、岡本太郎や山口長男、猪熊弦一郎、熊谷守一といった日本近代または昭和の洋画家の作品だ。そんなに数が多いわけでもないが、こうしたアートフェアでは珍しいのでつい気になってしまった。ひょっとしたら具体やもの派が再評価されているので、その前の「近代洋画」を対外的に売り出そうという魂胆か?

2019/03/09(土)(村田真)

田沼武能「東京わが残像 1948-1964」

会期:2019/02/09~2019/04/14

世田谷美術館[東京都]

展覧会の会期中に90歳になるという田沼武能は、現役最長老の写真家のひとり。今回の世田谷美術館での回顧展には、彼が写真家として出発した1940年代から60年代にかけて東京を撮影した写真180点を出品している。ほかに、柳田國男から福田繁雄まで、世田谷在住の文化人24人を撮影したポートレートも特別展示されていた。

1949年から木村伊兵衛の助手を務めた田沼の基本的なスタイルは、師匠譲りの、被写体を取り巻く空気感を丸ごと写し込むスナップショットである。それらを見ながら、あらためて写真の細部を「読む」ことの面白さを感じた。例えば、展覧会のポスターやチラシにも使われた《路地裏の縁台将棋》(1958)には、将棋に夢中になっている男の子たちとそれを見守る女の子をはじめとして、じつに多くの人、モノが写り込んでいる。花火を楽しむ浴衣姿の子供たちもいるし、その奥には戸口に入ろうとする女性の姿も見える。洗濯物、流しと洗面器、桶、三輪車などのモノたちもそれぞれ自己主張している。さらに濡れた地面の湿り気の感触が、いかにも下町の路地裏らしい雰囲気を醸し出す。それらすべてが一体化して、1950年代の東京の「残像」がまざまざとよみがえってくるのだ。

このような「読む」ことのできるスナップショットは、当時のフォト・ジャーナリズムの要請によって成立したものであり、その後、より個人的、主観的な解釈が強まるにつれて、あまり撮影されなくなっていく。だが、60年の時の隔たりを通過すると、それらがじつに味わい深い「微妙な含みをもつ暮らしの匂い」(酒井忠康)を発しはじめていることがわかる。ひるがえって、2010年代の現在の東京もまた、田沼や木村伊兵衛のように撮っておくべきではないだろうか。写真は画像に写し込まれた匂いや手触りや空気感を介して、過去と現在と未来とをつなぐ役目を果たすことができるからだ。

2019/03/08(金)(飯沢耕太郎)

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薄井一議「Showa96」

会期:2019/03/08~2019/03/30

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

ZEN FOTO GALLERYで開催されてきた薄井一議の「Showa」シリーズは、「Showa88/昭和88年」(2011)、「Showa92」(2015)に続いて今回が3回目になる。ちょうど平成の最後の時期の開催というのも感慨深いものがあるし、シリーズとしても今回で完結ということのようだ。

展覧会に寄せたコメントで、薄井はこう書いている。

「“昭和”が付くからと言って、別だんノスタルジーを追い求めている訳では全くない。僕は、この言葉を“生き抜く力”の象徴と考える。昭和がまだ別の時空で続いていたらどんな世界か、そんなファンタジーを追い求め、平成の終わりに第三弾が完成した」

「Showa」を「“生き抜く力”の象徴」と見る捉え方は、とても面白い。たしかに30年余り続いた平成時代は、日本人の生のエネルギーが、根こそぎ奪われていった時期に思えるからだ。薄井はそんな「Showa」を呼び起こすために、さまざまな場所に足を運び、奇妙な人物たちとの出会いを写真におさめていく。時にはその場所から何か特異な気配を感じ取り、演劇的な要素を取り入れてストーリー仕立てで展開したりもする。今回展示された写真でいえば、東京・大森の旧金子國義邸が取り壊される前に、ヌードや芸妓の格好をした女性を配して撮影した写真がそうである。2016年に日本青年館が閉鎖される前日に、わざわざ宿泊して撮影したという写真も興味深い。開いた窓からは、工事が始まったばかりの国立競技場の建築現場が見える。

薄井が「Showa」シリーズで積み上げてきた写真群は、ZEN FOTO GALLERY刊行の3冊の写真集にまとまり、かなりの厚みを持ち始めている。ぜひ、それらを、大きな会場で一度に見ることができる機会をつくってほしい。それとともに、薄井がこのシリーズの次にどんな展開を考えているのかも楽しみだ。

2019/03/08(金)(飯沢耕太郎)

生誕130年 佐藤玄々(朝山)展

会期:2019/03/06~2019/03/12

日本橋三越本館1階[東京都]

もう40年くらい前、なにかの用で日本橋三越本店に行ったら、売り場中央の吹き抜け空間にとんでもなく大きくてハデな彫刻が目に入り、思わず涙が出そうになった。なぜ涙が出そうになったのか思い出してみると、当時70年代末だったと思うが、もの派の呪縛で美術界が低迷し、銀座や神田の画廊を回ってもモノクロで貧相な作品にしか出会えなかった時期に、いきなりキッチュでアナクロでしかもダイナミズムにあふれた彫刻が目に飛び込んできたため、パニック状態に陥ってしまったのだ。いや、そんなもっともらしい理由ではなく、ただ異形の存在に圧倒されただけだったのかもしれないが、とにかく想像もしなかった表現に不意討ちを食らったのは事実だ。

そのとんでもない彫刻をつくったのが佐藤玄々(1888-1963)で、彫刻は《天女(まごころ)像》というそうだ。知らなかった。展覧会はこの天女像につながる1階の売り場フロアで開催。出品は天女像を含めて35点だが、高さ11メートルのこの巨大彫刻を除けばほとんど小品ばかり。初期のころは《達磨》《如来像》《観音像》など仏教彫刻が目立つが、1930年前後には大きなヒキガエルを重石のように彫った《冬眠》、木をタケノコに変えた《筍》、原寸大の《鼠》《子》など、橋本平八を彷彿させる秀作が並ぶ。ところが戦後は《天女(まごころ)像》に集中していたせいか、その派生物みたいな装飾的な動物像が増え、彫刻というより置物みたいな工芸的作品に堕していく。なぜ三越はこの彫刻家にこんなデカイ天女像を任せたのか、理解しがたい。いやそれより、なぜ彼はこんなとんでもない彫刻を実現することができたのか、不思議でならない。

2019/03/07(木)(村田真)

佐藤信太郎「The Origin of Tokyo」

会期:2019/02/27~2019/04/13

PGI[東京都]

佐藤信太郎が2008年に刊行した『非常階段東京 TOKYO TWILIGHT ZONE』(青幻舎)は、ビルの非常階段から大判カメラで黄昏時の東京の光景を捉えたユニークな視点の写真集だった。今回のPGIでの展示はその続編というべきもので、これまでは主に東京の東側の地域を題材としてきたが、その撮影領域を東京の中心部にシフトしている。それだけでなく、デジタルカメラを使うようになって、写真をパノラマ的につなげてプリントできるようになった。今回展示された5点のうち最大のものは、0.86×11.5メートルという絵巻物のような作品だった。展覧会にあわせて、後半部分に近作のパノラマ作品をおさめた新刊写真集『非常階段東京 The Origin of Tokyo』(青幻舎)も刊行されている。

いうまでもなく東京の中心に位置するのは皇居であり、そこにカメラを向けると、画面の下部に黒々とした部分が大きく広がる。佐藤はあえてその闇の領域を取り込むことで、「日常と非日常の間、天と地の間、数歩先に進めばこの世からいなくなるような、この世とあの世のあわい」に位置する「非常階段」という視点を強調している。東京という都市の歴史的な地層を読み解くうえで、彼が発見したポジションは絶妙の視覚的効果を発揮しているといえる。ただ、東京を江戸以来の光と闇の二元論で捉える試みは、これまで多くの文学者、アーティストたちによって積み上げられており、ややクリシェ化していることも否定できない。これから先は、さらなる多層的な視点が必要となるだろう。その点において、パノラマ作品とともに展示されていた佐藤の初期作品「Geography」は注目に値する。「平面を平面のまま撮る」というコンセプトで地表を撮影したシリーズだが、もう一度見直すと思わぬ発見がありそうだ。

2019/03/06(水)(飯沢耕太郎)