artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
国立西洋美術館開館60周年記念 ル・コルビュジエ 絵画から建築へ—ピュリスムの時代
会期:2019/02/19~2019/05/19
国立西洋美術館[東京都]
美術館に入りいつもの調子で地下に向かうと、通常とは違い、オリジナル側の空間が企画展の会場になっている。言うまでもなく、今回はル・コルビュジエの展覧会ゆえに、彼の建築をダイレクトに感じられる場所を使っているのだ。導入部となる吹き抜けの下の空間は、30年前のル・コルビュジエ展の際、いくつかの大学の研究室が制作した模型を主に活用し、主要な建築作品を紹介していた(このエリアは撮影可能)。3Dプリンタで制作された都市計画の新しい模型もあったが、現状では小さい単位には使えても、大きいヴォリュームはまだ昔ながらの模型のほうが空間を表現しやすいように思われた。ちなみに、古い模型群は広島市現代美術館で保管していたものだが、意外に劣化してないことに驚かされた。
さて、本展の主眼となるのは、建築ではなく絵画である。ゆえに、ル・コルビュジエという名前を使うようになる前の、本名ジャンヌレとして活動していた時代がクローズ・アップされていた。すなわち、最初はキュビスムに喧嘩をふっかけ、1918年に画家のオザンファンとともにピュリスムを立ちあげた。ところが、やっぱりキュビスムはすごいと認識を改め、むしろその影響を受けた後期ピュリスムのパートでは、重ね合わせの表現が出現した背景を紹介している。最後のパートは、ピュリスムの活動が終焉し、建築家としての仕事が忙しくなるなかで、私的に制作された自由な作風の絵画もとりあげている。興味深いのは、後期ピュリスムにおける重ね合わせが、《サヴォア邸》などの建築空間にも認められることを本展が示唆している点だ。もっとも、これはキャプションの文章で指摘されているのみで、もう少し突っ込んだ建築の分析がほしい。コーリン・ロウの透明性の議論でも重ね合わせについては指摘されていたが、せめて本展にあわせて、図解、もしくはレイヤーをわかりやすく表現するような分析模型を新規に制作するといったひと工夫があれば、「絵画から建築へ」というサブタイトルの期待に応えられたのではないか。
2019/02/19(火)(五十嵐太郎)
アイムヒア プロジェクト写真集出版記念展覧会 “まなざしについて”
会期:2019/02/16~2019/02/24
高架下スタジオ・サイトAギャラリー[神奈川県]
ギャラリーの入口には、無惨に破壊された石膏ボードの扉の残骸が残っている。オープニングのパフォーマンスとして扉を壊して入ったらしい。会場内も、壁の手前にもう1枚壁を設け、目より低い位置にギザギザの亀裂をつくり、そこから内部の壁面に飾られたモノクロ写真を見る仕掛け。昨年R16(国道16号線スタジオ)のオープンスタジオでは、立方体の箱をつくって内部の壁に写真を展示したが、その構造を反転させたかたちだ。写真はネットで募集したもので、ひきこもりの人たちが自分の部屋を撮影した自撮り写真。ゴミ屋敷のように乱雑きわまりない部屋から、本がきちんと積み上げられた部屋、人の気配もない部屋まで数十枚ある。ひと口にひきこもりといっても一人ひとり事情が異なるらしく、それが部屋に表れているのかもしれない。
作者の渡辺篤は自身も3年ほど部屋にひきこもった経験があることから、ひきこもりに関する作品を制作するようになった。入口を突き破って入ったり、壁に痛々しい切れ目を入れたのは、ひきこもり生活を無理矢理こじ開けてのぞき見ようとする残酷な眼差しと、社会に無理矢理連れ出そうとする大きなお世話の暴力性を表現しているようだ。思い出したのは、ベルリンにあるダニエル・リベスキンド設計のユダヤ博物館。実物は見たことないけど、建物本体がジグザグに折れ曲がり、ところどころに切れ目の入った「傷だらけ」の建築で、傷の大きさは比ぶべくもないが、痛みの表現としては通底するものがある。
公式サイト:https://www.iamhere-project.org/photobook-exhibiton/
2019/02/19(火)(村田真)
石田真澄「evening shower」
会期:2019/02/02~2019/02/24
QUIET NOISE arts and break[東京都]
石田真澄は、1998年生まれという最も若い世代の写真家。高校時代から注目され、2018年にデビュー写真集『light years-光年-』(TISSUE PAPERS)を刊行した。今回展示されたのは、彼女が19歳から20歳にかけて撮影した写真である。
奥山由之や草野庸子など、若い世代の写真家たちのなかにフィルムカメラを使用して撮影・発表する者が目立つが、石田もそのひとりである。われわれにとっては、ややノスタルジックな思いにとらわれてしまうのだが、彼女たちにはフィルムや銀塩プリントの淡く、ややざらついた質感がとても新鮮に思えるのだろう。そのあたりのギャップを頭に入れたとしても、彼女が見せてくれる世界のあり方そのものが、あまりにも後ろ向きに思えてならない。色や形や光に対する鋭敏な感受性、被写体の動きをあらかじめ予測してシャッターを切っていく能力の高さ、画面構成の巧みさなど、写真家としての美質は充分過ぎるほど持っているのだが、この場所に自足してしまいそうな妙な安定感が気になってしまう。
写真展に寄せた文章に、「もうくせだと思うけれど/いつもいつも目先の不安ばかり気にしてしまい/今ここにあるものを大切にできない時がある/写真を撮ると少しだけ不安が消える気がしている」と書いているのだが、「今ここにあるものを大切」にする必要などないのではないか。むしろ「不安」を大事に育て上げ、それを梃子にして写真を撮り続けなければ、次のステップに進めないのではないだろうか。まばゆいほどの才能の輝きが色褪せないうちに、心揺さぶる不確実な世界に目と体を向けていってほしい。
2019/02/19(火)(飯沢耕太郎)
ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代
会期:2019/02/19~2019/05/19
国立西洋美術館[東京都]
美術館の入口を入って内覧会の受付を済ませ、そのまま地下に向かおうとしたらスタッフに戻るように指示された。ああそうかとすぐに納得。ル・コルビュジエの展覧会だからもちろん企画展示室ではなく、本館の1、2階を使うよなあ。まずは建物の中心に位置する19世紀ホールへ。見上げると、三角形の天窓から光が注ぎ、中央の円柱から梁が十字に広がり、奥にはジグザグの斜路が2階につながっている。幾何学的構成が美しい空間だと、あらためて気づく。
2階では、第1次大戦後から1920年代半ばまで続いたピュリスム(純粋主義)の時代の絵画を中心に、盟友オザンファンをはじめ、ピカソ、ブラック、レジェらキュビストの作品、コルビュジエの建築マケット、オザンファンとともに出していた『レスプリ・ヌーヴォー』誌などを展示。はっきりいって、ジャンヌレ(コルビュジエの本名)の絵はおもしろくない。ピュリスムはキュビスムを批判的に乗り越えるべくオザンファンとともに始めた運動で、キュビスムより幾何学的で平面的・構成的だが、大ざっぱにいえばキュビスムの亜流にしか見えないし、なにより絵の師であるオザンファンの作品とほとんど区別がつかないからだ。建築家として成功していなければ絵画は見向きもされなかっただろうし、いまでも建築との関係で注目されているだけだろう。
では、建築と絵画の関係はどうかというと、絵に描かれたモチーフが建築に使われる(またはその逆)といったあからさまな対応はなく、村上博哉副館長によれば、両者は「『幾何学』という大きな原理を共有」していたというくらいのつながりだ。でも力関係でいえば、彼は明らかに建築家として偉大だったが、画家としては凡庸だったから、絵画が建築にインスピレーションを与えることはあっても、その逆はなかったに違いない。つまり、サブタイトルにもあるように「絵画から建築へ」という一方通行。だとすれば、彼にとって絵画は建築のトレーニングにすぎず、いい建築をつくるために絵を描いていたということになるのだろうか。そのへんがよくわからない。
2019/02/18(月)(村田真)
新山清「VINTAGE」
会期:2019/02/13~2019/04/27
gallery bauhaus[東京都]
新山清(1911~69)は愛媛県生まれ。東京電気専門学校卒業後、1935年から理化学研究所に勤め、戦後の1958年に旭光学に移った。そのあいだ、アマチュア写真家としてコンスタントに活動を続け、各写真雑誌に多数の作品を発表したほか、ドイツのオットー・シュタイネルトに呼応して、「国際主観主義写真展」(1956)、「サブジェクティブ・フォトグラフィ3」展(1958)にも参加している。今回の展覧会には、1969年に58歳で不慮の死を遂げた彼が生前に残した1940~60年代のヴィンテージ・プリント(写真家が撮影してすぐに制作したプリント)、49点が出品されていた。
本展もそうだが、このところ新山に限らず、迫幸一、大藤薫、後藤敬一郎など、「主観主義写真」の時代の写真家たちの仕事に注目が集まってきている。彼らの写真が、戦前のアマチュア写真家たちが切り拓いてきた「新興写真」、「前衛写真」の伝統を受け継ぐとともに、独特の切り口で戦後社会を切り取ったものであることがようやく見えてきたからだ。今回展示された作品を見ると、花、静物、風景、スナップなど、新山のアプローチの幅はかなり広い。ヌード写真や女性モデルを撮影したファッション写真風の作品まである。そこには、好奇心の赴くままに、さまざまな被写体に向き合っていく、アマチュア写真ののびやかさがよくあらわれている。また、35ミリ判と6×6判のカメラを自在に使いこなして、的確なフレーミングで画面に収めていく技術力の高さを窺える作品が多かった。
アマチュア写真家たちの創造性は、1970年代以降に急速に枯渇していくので、新山の仕事はその最後の輝きを示すものといえる。戦前の仕事も含めて、彼の作品を集大成した写真展や写真集をぜひ見てみたい。
2019/02/13(水)(飯沢耕太郎)