artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
江成常夫「After the TSUNAMI 東日本大震災」
会期:2019/02/28~2019/03/06
ポートレートギャラリー[東京都]
江成常夫は東日本大震災直後の2011年5月から、岩手、宮城、福島の三県にまたがる津波の被災地を撮影し始めた。今回の写真展は、2018年8月~9月に相模原市民ギャラリーで開催した同名の個展の再展示で、2018年5月まで7年間にわたって撮り続けてきた写真から56点を出品している。江成の撮り方はまさにオーソドックスなドキュメンタリー写真そのもので、会場には被写体の細部までしっかりと捉え切ったモノクロームの大全紙プリントが、息苦しいほどの緊張感を発して並んでいた。
このような、いわば古典的な手法で震災後の光景に向き合うことが、果たして妥当なのかどうかは問い直されなければならないだろう。また、津波の跡を撮影した写真群は、かなり多くの写真家たちによって発表されており、知らず知らずのうちに「見慣れた」眺めになってしまっていることも否定できない。だが、江成の愚直とさえいえそうな写真群は、二重の意味で大事な営みなのではないかと思う。ひとつは、彼がこれまで達成してきた日本と日本人の戦後を再検証する仕事の延長として、この「After the TSUNAMI 東日本大震災」を見ることができるということだ。『花嫁のアメリカ』(1981)、『シャオハイの満州』(1984)、『ヒロシマ万象』(2002)、『鬼哭の島』(2011)と続く彼のドキュメンタリーの仕事の系譜に、この作品も位置づけることができる。東日本大震災をこのような歴史的な視点で捉え直す作業は、これまであまりなかったのではないだろうか。もうひとつは、今回の写真群が6×6判という、どちらかといえば個人的、主観的な視線を感じさせるカメラで撮影されていることの意味である。あくまでも客観的な記録に徹しながら、江成常夫という写真家の自発的、能動的な撮影のあり方を、写真から感じとることができる。「After the TSUNAMI 東日本大震災」は、その意味で、とてもユニークな成り立ちの写真記録といえる。
なお、写真展にあわせて冬青社から同名の写真集が出版された。写真一点ごとに詳細な解説が付されており、その重厚な装丁・印刷が内容に見合っている。
2019/03/05(火)(飯沢耕太郎)
志賀理江子「ヒューマン・スプリング」
会期:2019/03/05~2019/05/06
東京都写真美術館[東京都]
志賀理江子は東日本大震災の1年後の発表された「螺旋海岸」(せんだいメディアテーク、2012)の頃から、「春」をテーマにした作品を構想していたのだという。2008年に宮城県名取市に移住した彼女にとって、長く厳しい冬が終わって突然に訪れる東北の春は、恐るべきエネルギーを発散する特別な季節と感じられたはずだ。それとともに、春になると「全くの別人となる」人物との出会いもあったのだという。そこから育っていった「ヒューマン・スプリング」の構想は、「自分ですらコントロール不可能な内なる自然」の力を、生と死を往還する儀式めいたパフォーマンスを撮影した写真を中心として検証する試みとなった。タイトルは、どこか宮沢賢治の『春と修羅』(1922)を思わせるが、おそらく賢治の仕事も意識しているのではないかと思う。
志賀の展覧会は、いつでもインスタレーションに大変な精力を傾注して構築されている。今回は、等身大を超えるサイズの写真を4面+上面に貼り巡らせた20個の箱を、会場に不規則に配置していた。観客はその間を巡礼のように彷徨うことになる。箱の片側の面には、「人間の春・永遠の現在」と題された、顔を紅く塗った半裸の若い男性のまったく同じ写真がリピートされ、反対側、および側面にはここ1年ほどのあいだに集中して撮影されたという写真群が並ぶ。上面はほとんど見えないが、そこには「人間の春・彼が彼の体にある、ということだけが、かろうじて彼を彼たらしめている」と題した、寄せては返す波の写真が貼られている。展示自体は「螺旋海岸」や「ブラインドデート」(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、2017)の、あの観客を包み込み、巻き込むような圧倒的なインスタレーションと比較すると、やや素っ気ない印象すら受ける。だが「写真を見せる」という意図はこれまで以上にはっきりしているし、暗闇や音響の力を借りなくとも、観客を作品世界に引き入れることができるという自信がみなぎっているように感じた。
「ヒューマン・スプリング」に関しては、制作のプロセスもこれまでとはやや違ってきている。木村伊兵衛写真賞を受賞した『CANARY』(赤々舎、2007)、では、まず志賀自身のヴィジョンが明確にあり、それに沿ってパフォーマンスが展開される場合が多かったのではないかと思う。ところが、「螺旋海岸」「ブラインドデート」そして「ヒューマン・スプリング」と進むにつれて、被写体となる人物たちとの対話を重視し、撮影現場の偶発性を写真に取り込むようになってきた。特に今回は、若い男女の「チーム」が、志賀とともに制作のプロセスに大きくかかわり、彼らとのコラボレーションという側面がより強まってきている。何が出てくるかわからないような状況に身を委ねることで、作品自体の手触り感がより流動的なものになった。それにしても、一作一作新たな領域を模索し、実際に形にしていく志賀の底力にはあらためて感嘆するしかない。それがまだまだ未完成であり、伸びしろがあるのではないかと思ってしまうのも、考えてみれば凄いことだ。
2019/03/04(月)(飯沢耕太郎)
写真の起源 英国
会期:2019/03/05~2019/05/06
東京都写真美術館[東京都]
志賀理江子「ヒューマン・スプリング」展と同時期に開催された「写真の起源 英国」展は、カロタイプや、湿板写真などの古典技法によって撮影・プリントされた小さめの古写真が並ぶ、どちらかといえば地味な印象の展覧会である。だが、それぞれの写真に込められた、世界をこのように見たい、このように定着したいという思いの熱量はただごとではない。志賀理江子展の巨大プリントとはまったく対照的だが、これはこれで写真という表現メディアのひとつの可能性を開示しているのではないだろうか。
フランスとともに、写真発祥の地のひとつであり、19世紀のピクトリアリズム(絵画主義)の流れをリードしたイギリスだが、それ以後は写真表現のメイン・ストリームからは外れてしまった。それでも世界最初の写真技法の発明者であるウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット、サイアノタイプ(青写真)で藻類のフォトグラムを制作し、女性写真家の草分けとなったアンナ・アトキンス、ガラスのネガを使用する湿板写真(湿式コロジオン法)を発明したフレデリック・スコット・アーチャーなど、1830~50年代のイギリス写真の輝きはほかの国を圧倒している。いうまでもなく、それは絶頂期を迎えつつあった大英帝国の威光に支えられたものであり、写真表現と政治・経済の状況との関係も面白いテーマになりそうだ。
展示の最終章にあたる「英国から世界へ」のパートで紹介された、1858年のエルギン伯爵、ジェイムズ・ブルース率いる外交使節団に同行したナソー・ジョンソンが撮影した『外国奉行たち』、エジンバラ出身の御雇外国人、ウィリアム・バートンが開催に協力した「外国写真展覧会」(1893)目録に掲載されたジュリア・マーガレット・キャメロンの《美しき乙女の庭》(1868)など、イギリスと日本との関係もとても興味深い。できれば19世紀だけでなく、それ以後のイギリス写真の展開もぜひフォローしてほしい。
2019/03/04(月)(飯沢耕太郎)
雨ニモマケズ(singing in the rain)
会期:2019/03/01~2019/03/24
BankART Station+R16 Studio[神奈川県]
BankARTの新しい拠点、みなとみらい線の新高島駅に直結する「Station」と、国道16号線沿いの東横線の廃線跡をスタジオに再利用した「R16」。この2カ所をつなぐ展覧会が「雨ニモマケズ」だ。なんでこんなタイトルかというと、行けばわかるが、R16は高架下の吹きっさらしの場所で、雨にも風にも冬の寒さにも負けそうになるハードな空間なのだ。ちなみに英語タイトルは "singing in the rain" と、なぜか明るい。
まずR16のほうは、土屋信子、渡辺篤、金子未弥、マツダホームらここをベースとする作家を中心に作品を公開。そのためオープンスタジオ的な普段着の展示だ。その点、Stationのほうは外からアーティストを招いている上、空間が大きく密閉されているせいか、気合いが入った見ごたえのある作品が多い。その両方に出しているのが小田原のどかで、長崎の爆心地に立てられた矢形の標柱をネオンで再現したもの。爆心地に記念碑を建てるという発想はだれでもするが、まさか矢印を立てるとは! グーグルマップじゃあるまいし。小田原はこの爆心地と記念碑(彫刻)を巡って『↓(2019)』という小冊子も出しているので、一読を勧めたい。Stationのほうの作品はいちばん奥まった倉庫のような暗い空間にポツンと立っているので効果的だ。
山下拓也は、高さ2メートルほどもあるマンガのキャラクターみたいな版画を対にして10体くらい立てている。巨大なケヤキの切り株を輪切りにした衝立を版木にして、表裏に彫って刷っているのだ。ダイナミックな版表現と、描かれたひょうきんなキャラとのギャップがすばらしい。西原尚は2枚の薄い金属板を帆のように張った車を前後に行き来させ、金属板の奏でるホワンホワンという音を聞く作品。無用の装置と無用の音が周囲を脱力させる。村田峰紀は、ウィーンウィーンとつぶやきながら仮設壁にボールペンでぐりぐり穴が開くまで引っ掻き、そのまま線を引きながら裏に回って同じように引っ掻くパフォーマンスを披露。その痕跡を見るだけでも、彼が優れた造形センスを有するアーティストであることがわかる。
「Station」はその名のとおり駅に隣接する、というより駅に付随する空間なので制約も多いが、逆に可能性も高い。通行人を呼び込んだり、近隣企業を巻き込んだり、ここだけでなく別の駅とつないだ企画展も考えられるだろう。消滅したBankARTスタジオNYK以上の活動も期待できるぞ。つーか、期待してね。
関連記事
小田原のどか個展「STATUMANIA 彫像建立癖」|高嶋慈:artscapeレビュー(2017年04月15日号)
2019/03/03(日)(村田真)
カメラが写した80年前の中国──京都大学人文科学研究所所蔵 華北交通写真
会期:2019/02/13~2019/04/14
京都大学総合博物館[京都府]
「華北交通」とは、日中戦争勃発直後の1937年8月に南満州鉄道株式会社(満鉄)の北支事務局として天津で発足し、日本軍による華北の軍事占領と鉄道接収後、39年4月に設立された交通・運輸会社である。傀儡政権として樹立された中華民国臨時政府の特殊会社で、満鉄と同じく日本の国策会社であり、北京、天津、青島などの大都市を含む華北占領地と内モンゴルの一部を営業範囲としていた。旅客や資源の輸送のほか、経済調査、学校や病院経営、警護組織の訓練なども担っていた。また満鉄と同様、弘報(広報)活動にも力を入れ、内地に向けて「平和」「融和」をアピールし、日本人技術者や労働者を中国北部に誘致するため、日本語のグラフ雑誌『北支』『華北』の編集や弘報写真の配信を行ない、線路開発、沿線の資源や産業、遺跡や仏閣、風土や生活風景、年中行事、学校教育などを撮影し、膨大にストックしていた。日本の敗戦後、華北交通は解散するが、35,000点あまりの写真が京都大学人文科学研究所に保管されており、近年、調査や研究が進められ、2019年2月にはデジタル・アーカイブも公開された。本展は、2016年の東京展に続き、2回目の展示となる。
展示構成は、写真を保存・整理するために作成された「旧分類表」に基づき、「華北交通(会社)」「資源」「産業」「生活・文化」「各路線」のテーマ別のほか、京大人文科学研究所の前身である東方文化研究所が行なった雲岡石窟調査の写真も含む(調査費の半額を華北交通が援助した)。また、旧分類とは別に設定された「鉄道・列車」「民族」「教育」「日本人社会」「娯楽」「検閲印付写真」のテーマによる紹介は、華北交通写真のプロパガンダとしての性格に迫るものであり、興味深い。鉄道へのゲリラ攻撃を防ぐために、インフラの警備組織を沿線住民に担わせようとした「愛路」工作。一方、検閲で不許可とされた写真には、列車事故現場が生々しく写る。ロシアからの移住者、モンゴル人の各部族、ユダヤ教徒や回教徒(イスラム教徒)など、沿線範囲に住む民族の多様性。イスラム教徒の子どもにアラビア文字を教える教育場面や、「愛路婦女隊」のたすき掛けをした農村の女性に日本語や料理、看護を教える授業風景。「新民体操」と呼ばれたラジオ体操にはげむ子どもたち。グラフ雑誌『北支』の表紙には、優雅な民族衣装に身を包んだ若い女性、無邪気に笑う子ども、雄大な遺跡や仏閣の写真が並ぶ。これらは「帝国によって守られるべき」かつエキゾチシズムの対象であり、山岳に残る史跡を背に煙を上げて進む機関車を写した写真は、「前近代的時間」/「進歩・技術・近代」の対比を視覚的に切り取ってみせる。いずれも典型的な植民地プロパガンダの表象だ。
ほぼ同時期に、「満洲」で展開された写真表現を検証する展覧会として、2017年に名古屋市美術館で開催された「異郷のモダニズム─満洲写真全史─」展がある。同展で紹介された、満鉄が発行したグラフ雑誌『満洲グラフ』の写真は、モダニズム写真の実験性とプロパガンダとしての質が危うい拮抗を保って展開されていたことが分かる。本展もまた、写真とプロパガンダの関係のみならず、中国現代史、植民地教育史、民俗学、仏教美術研究など幅広い射程の研究に資する内容をもつ。
ただ惜しむらくは、展示の大半が引き伸ばした複製パネルで構成されており、現物のプリントはガラスケース内にわずかしか展示されていなかったことだ。元のプリントの鮮明さに引き込まれる体験に加え、70年以上の時間を経た紙焼き写真の質感、台紙の紙質や反り具合、キャプション情報や撮影メモの手書き文字、スタンプの刻印や打ち消し線などの情報のレイヤーといった、アーカイブのもつ「感覚的体験」「触覚的な質」が削がれた「資料展」然だったことが惜しまれる。
また、展示構成のなかで、ウェブ上で全写真データが公開されている「華北交通アーカイブ」に触れられていても良かったのではないか。「華北交通アーカイブ」では、膨大な写真を撮影年や駅名別に検索できるほか、「機械タグ」のワードリストも載っている。ただ、画像自動認識による即物的なタグ付けで、アーカイブの潜在的な豊かさを開くことにどこまで貢献できるだろうかという疑問が残る。中立性の担保よりも、むしろ個別的な眼差しの痕跡を積み上げて可視化していくような試みが、ウェブ上のデジタル・アーカイブという場でできないだろうか。例えば、ユーザーがそれぞれの関心に従って「検索タグ」を多言語で追加できたり、その検索結果であるイメージの集合体を公開履歴として蓄積できるような機能。とりわけ、民族衣装をまとった中国人・モンゴル人女性や「愛路婦女隊」、「大日本国防婦人会」のたすき掛けをした和装の日本人女性など、ジェンダーやエスニシティの表象は、撮影者である「日本人男性」すなわち帝国の眼差しの反映であり、それらを多言語かつ複数の眼差しで読み解き、積み重ねていくことで、支配者の眼差しをズラし、相対化していくことにつながる。その時アーカイブは、複眼的かつ生産的な批評の営みの場となる。
華北交通アーカイブ:http://codh.rois.ac.jp/north-china-railway/
関連レビュー
異郷のモダニズム─満洲写真全史─|高嶋慈:artscapeレビュー(2017年07月15日号)
2019/03/02(土)(高嶋慈)