artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

安村崇『1/1』

発行所:オシリス

発行日:2017/12/15

安村崇の「1/1」のシリーズは、前に個展(MISAKO&ROSEN、2012)で見たことがある。その時は面白い試みだとは思ったが、あまりピンとこなかった。だが今回写真集として刊行された『1/1』を見て、その目に鮮やかに飛び込んでくる印象の強さに驚きを覚えた。おそらく、ギャラリーの展示が精彩を欠いていたのは、壁に並ぶ作品が一度に目に入ってくることと、作品以外の要素(ノイズ)が作用して、このシリーズの純粋性が損なわれてしまうからではないだろうか。しかし、写真集のページをめくって一点一点の作品を味わうことで、安村が4×5インチ判の大判カメラのファインダーを覗いて被写体と対面している視覚的体験を追認しているようにも感じられた。

安村が撮影しているのは「主に地方の公園や港、市民会館など公共の場」の壁、床面、屋根などであり、それらの表面の凹凸や色彩が、一切の妥協なくまさに「1/1」の画像に置き換えられている。にもかかわらず、清水穰が写真集の解説の文章(「イクイヴァレント2017──安村崇によるスティーグリッツの再解釈」)で指摘するように、「その厳格な方法論から見れば人間的な要素を一切排除した極北の写真」であるはずなのに「まさにそのことによって、人間くさい世界を回帰させる」という逆説が生じてくる。そこに写っているのは、経年変化で趣味の悪さがさらに露呈してしまった「公共の場」の、身も蓋もなく散文的な外観であり、日本社会の縮図ともいうべき眺めなのだ。

安村がデビュー作の「日常らしさ」(1999、「第8回写真新世紀」グランプリ)以来追い求めてきた、写真を通じて具体的な世界を「見る」ことの探究が、また一段階先に進んだのではないだろうか。

2018/02/19(月)(飯沢耕太郎)

「せんだい・アート・ノード・プロジェクト」第2回アドバイザー会議

会期:2018/02/12

せんだいメディアテーク[宮城県]

せんだいメディアテークにて、アートノードのアドバイザー会議に出席した。この日は2017年度の活動と2018年度の計画が報告され、川俣正の貞山運河にかける「みんなの橋」の進捗状況(ちょうど7階にて展示中だった)、藤浩志による「雑がみプロジェクト」、東北リサーチとアートセンター(TRAC)のイベント、複数の企画者によるTALKシリーズなど、多様なプロジェクトが動いていることがうかがえる。もっとも、メディアとしてのタブロイド紙やホームページなどを閲覧しないと、それぞれの企画の参加者に対し、これらが全体としてアートノードという枠組のアイデンティティをもっていることが理解しにくいのではないかと思った。こうした疑問に対して、せんだいメディアテークはあえてそれでよいと考えている。すなわち、もともと全国で乱立する芸術祭とは一線を画するべく、特定の期間に展示とイベントが集中させて、ピークをつくる方法を避け、リサーチをベースにした複数のプロジェクトがいつも同時進行しているスタイルを選んだからだ。

会議の終了後は、TALKシリーズを運営した7名による総括の公開会議が行なわれた。いわば反省会をかねたメタ・イベントなのだが、予想以上に参加者が多く、市民の関心の高さを感じた。これも改めてギャラリー、古書店+カフェ、舞台制作などを営むメンバーが一堂に会して、全体を俯瞰すると、アート、音楽、文学、映画、民俗学など、多様なジャンルのイベントがあちこちの場所を活用しながら開催されていたことがわかる。おそらく、それぞれの個性的な企画者に参加者もついていると思われるが、アートノードを契機にして、普段は聴講しなかったようなタイプのトークにどれくらい足を向けたのかが興味深い。それこそが結節点としてのアートノードである。もちろん、企画者同士が同じ場を共有し、交流することも、これまであまりなかったから、まずはその第一歩となった。


展示風景

川俣正「みんなの橋プロジェクト」(左)と「みんなの船」(右)の構想模型

2018/02/18(日)(五十嵐太郎)

小島久弥「Critical Point True Colors of the Ghost -お化けの正体-」

会期:2018/02/17~2018/03/10

CAS[大阪府]

「1945年、ニューメキシコにおける人類初の核実験の写真」に着想を得た新作インスタレーションが発表された個展。DMに印刷された写真には、上空に出現した巨大な火の球と、その真下の発射台を包むようなドーム状の半円形の球体が写っている。会場では、この光景を「再現」した映像が、アナログな仕掛けの露呈とともに提示されている(特撮のようにミニチュア模型を用いて撮影した衝撃的な「映像」とそのからくりを同時に見せる手法は、伊藤隆介とも共通する)。スクリーンに映し出されるのは、街並みのシルエットと上空で炸裂する巨大な火の球だが、実は「街並みのシルエット」は手前の机の上に置かれた文房具やミントの容器、糸巻などの投げる影であり、スクリーンの裏側では蛍光灯が明滅を繰り返しているのだ。よく見ると、「発射台」の位置には「大阪の通天閣のフィギュア」が置かれており、「通天閣」が「第二の原爆ドーム」になるような悪夢的な未来のビジョンがギャグのように提示される。

「チープで典型的なお土産品」を用いた悪ノリのような手つきは、「原爆ドーム」と「大浦天主堂」の自作のスノードームへと引き継がれる。小島によれば「ニューメキシコでの核実験の写真がスノードームを思い起こさせた」と言うが、「半円形の球体」という形状的な連想は、原爆ドーム、「傘」すなわち核の傘、シェルターといった連想を経て、ミニチュアの世界へと再び着地する。しかしこの「スノードーム」に閉じ込められた空間は、シェルターのように保護された空間なのか、それとも隔離された立ち入り禁止の空間なのか。舞い散る「スノー」は、実は「死の灰」ではないのか。私たちはそれを、「映像的体験」としての原爆とともに、無害なお土産品として──つまりキッチュな記号として消費してしまうのだ。そうした感性への批評こそを本展の根底に見出すべきである。


《Critical Point -True Colors of the Ghost》
映像インスタレーション/2018 サイズ可変

2018/02/17(土)(高嶋慈)

DOMANI・明日展PLUS×日比谷図書文化館 本という樹、図書館という森

会期:2017/12/14~2018/2/18

日比谷図書文化館[東京都]

文化庁の海外研修制度(在研)の成果を発表する「DOMANI・明日展」の関連展示。きっかけは昨年の「DOMANI・明日展」の出品作家の折笠良が、ギャラリートークで彫刻家の若林奮の著書『I.W─若林奮ノート』について触れたこと。若林も在研の初期のころフランスに滞在した経験があり、そのとき訪れた先史美術の遺跡について書いたのが『I.W─若林奮ノート』だ。同展は、当時若林が収集した石片や絵葉書、写真、スケッチブックなどを中心に、「本」に関連する在研経験者の作品を選んだってわけ。会場をあえて日比谷図書文化館にしたのもそのためだ。手描きアニメの折笠や、ペラペラマンガみたいなアニメの原型を出した蓮沼昌宏、ヨーロッパの古い図書館を鉛筆で描いた寺崎百合子らの作品は直接的に本をイメージさせるが、小林孝亘や宮永愛子らはいささかこじつけっぽい。


帰りぎわに上階の図書室にも藤本由紀夫の展示があるといわれたものの、時間がないのでスルーしようと思ったが、やっぱり急ぎ足で見ることに。いやー見てよかった。本棚の隙間にアルファベットのパスタを散りばめたり、「Look」「Book」と1字ずつ変えながら「Head」「Read」へとアナグラムしたり、「ECHO」という文字を鏡の上にのせたり(天地逆転しても変わらない)、全紙サイズの種類の異なる紙を閉じた超大型の白紙本を置いたり、文字と本をテーマに遊んでいるのだ。これこそ「本という樹、図書館という森」を楽しむ作品群にほかならない。やっぱり図書館でやるなら展示室より書棚や閲覧室を使いたい。っていうか、よく使わせてくれたもんだ。

2018/02/17(村田真)

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第21回岡本太郎現代芸術賞展 

会期:2018/02/16~2018/04/15

岡本太郎美術館[神奈川県]

絵画でも立体でも映像でもインスタレーションでもパフォーマンスでも、とにかく縦横高さ各5メートルの空間内に収まる未発表作品であればOK、国籍も年齢も問わないという公募展。さすがに岡本太郎の名を冠しているだけあって毎回ベラボーな作品が多い。というか、ベラボーさを競い合ってるみたいな。まあかつての読売アンデパンダンほどではないにしろ(見たことないけど)、いまどき珍しく熱のある貴重な展覧会といえる。今年は応募作品558点のうち26組が入選。20倍強の狭き門だ。

同展はテーマもないし審査員も固定しているのに、毎回なんとなく異なる傾向が見られるのもおもしろい。今回の傾向のひとつはモノの集積だ。同じモノを描くのでも1個より100個描いたほうが100倍効果があるとはウォーホル以来の常識だが、規定のスペース内で目立つためには量で勝負、空間いっぱいに作品をつくりたいけど、大きな立体をつくる場所もないし搬入出も大変だ、そこで大量の断片を集積して空間を埋めてやれみたいなセコい考えもあるかもしれない。だが岡本太郎賞のさいあくななちゃんによる《芸術はロックンロールだ》は、紙やキャンバスに描いた稚拙な「女の子絵」を壁3面と床の一部にびっしり並べたもので、そんな邪推を一掃する破壊力を秘めている。1点1点はピンクを主調としたカワイイ系の絵だが、それが5メートル立方の空間を余白なく埋め尽くすことでグロテスクな洞窟(グロッタ)と化している。岡本敏子賞の弓指寛治の《Oの慰霊》は、記号のような鳥を描いた数万枚の木の札で壁と床を埋めたもの。床には棺桶のような木の箱、正面の壁にはアイドルだったOが飛び降り自殺したビルなどを描いた絵が掲げられている。ほかの入選作品にも、新聞紙でつくった数百体ものクラゲの人形を床に置いた木暮奈津子の《くらげちゃん》、千台以上の中身のないスマホを並べて人のかたちを描いた橋本悠希の《拓》、日本各地を旅した記録を展示するワタリドリ計画(麻生知子・竹内明子)の《祝・ワタリドリ計画結成10周年!》など、集積作品は少なくない。

と、ここで念のため去年のレビューを見てみたら、前回も集積系が多いと書いているではないか! ガーン……。でも今回はもうひとつ、特筆すべき傾向があった。それは死の香りだ。さいあくななちゃんは200字ほどの「作家の言葉」のなかで、「死ねなら死ねでいいし」「どうせ死ぬんでどうでもいいです」と3回も「死」という語を使っているし、弓指寛治はアイドルのOと母の自殺が制作の動機となっている。特別賞の市川ヂュンは1万5千個のアルミ缶を溶かして鋳造した半鐘を出しているし、やはり特別賞の冨安由真はポルターガイスト現象を生じさせるお化け屋敷をつくってみせた。また、黒木重雄はテロにより爆撃された都市風景を描き、笹田晋平は高橋由一の《鮭図》を涅槃図と結びつけ、○△□(まるさんかくしかく)は太陽の塔や《明日の神話》をモチーフに死と再生を表現している。ほかにも死を予感させる作品がいくつかあった。これはいったいどういうことだろう。

2018/02/16(村田真)

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