artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

プレビュー:神戸港開港150年記念「港都KOBE芸術祭」

会期:2017/09/16~2017/10/15

神戸港、神戸空港島[兵庫県]

今年は神戸開港150年ということで、神戸市内ではさまざまな催しが行なわれている。本展は美術系イベントの中核を成すものだ。出展作家は、小清水漸、新宮晋、林勇気、藤本由紀夫、やなぎみわなど国内組16組と、韓国・広州ビエンナーレ参加作家と中国・天津の作家から成る海外組。地元組で手堅くまとめた印象で、目新しさに欠ける感もあるが、ここは彼らに頑張ってもらうしかない。注目すべきは鑑賞法で、「アート鑑賞船」に乗って神戸港を遊覧しながら、全体の2/3程度の展示が見られる。このプランは過去に「神戸ビエンナーレ」でも実施されたが、港町・神戸の魅力を肌で感じられてとても良かった。問題は船と作品の距離。どうしても遠距離からの鑑賞になるので、強烈な存在感を放つ作品を揃えることがポイントになるだろう。神戸空港島での展示は未知数だが、地元民でも馴染みが薄い場所なので逆にポテンシャルを感じる。今回の展示が上手くいけば、将来的に空港島でのアートイベントが増えるかもしれない。この芸術祭は単発イベントであり、規模やラインアップを見ても中庸感が否めない。大風呂敷を広げるのではなく、地元市民にどれだけ認知され、体験してもらえるかが勝負だ。

2017/08/20(日)(小吹隆文)

杉戸洋 とんぼ と のりしろ

会期:2017/07/25~2017/10/09

東京都美術館 ギャラリーA・B・C[東京都]

画家なのだけど、ただ絵を展示するのではなく、あいちトリエンナーレ2013での名古屋市美術館、宮城県立美術館、豊田市美術館に続いて、今回も建築空間そのものを批評的に読みとくインスタレーションである。すなわち、図と地が反転するような仕掛けであり、必然的に何度も見ていたはずの前川國男による建築のテクスチャーを改めてじっくり観察し、ディテールを再発見するきっかけになった。

2017/08/19(土)(五十嵐太郎)

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川俣正「工事中」再開

会期:2017/08/18~2017/09/24

アートフロントギャラリー+ヒルサイドテラス屋上[東京都]

川俣正の「工事中」をリアルタイムで知ってる人はもう50歳以上のはず。1984年、川俣は代官山のヒルサイドテラスで「工事中」と題するプロジェクトを行なった。アートフロントギャラリーの企画で、この建物の内外を材木で覆っていく計画だったが、テナントから実際に「工事中」に間違えられて客足が遠のくとクレームがつき、途中で断念。ところがこれを写真週刊誌がスクープして人が集まり始めたため、テナントは手のひらを返すように続けてほしいとお願いしたらしい。ともあれ、川俣はその直後ACCの奨学金で渡米し、3年後にはドクメンタ8に参加。その年に出版した初の作品集はドクメンタの出品作品を表紙に使い、タイトルを『工事中 KAWAMATA』とした。「工事中」は初期の川俣にとってエポックメーキングなプロジェクトだったのだ。
あれから33年、「工事中」を「再開」するという。なぜいま? と訝しく思うが、「再開」にいたるまでにはいくつかの伏線があった。まずひとつは「代官山インスタレーション」の終焉。これは1999年からヒルサイドテラスを中心とする代官山界隈を舞台に、隔年で開催されたサイトスペシフィックなインスタレーションの公募展。企画はやはりアートフロントギャラリーで、「工事中」に刺激されたであろうことは審査員のひとりに川俣が選ばれたことからもうかがえる。さらに川俣のように都市と切り結ぶアーティストを発掘したいとの思惑もあっただろう。だが、目標は達成されたとはいいがたく、そこそこ楽しめる作品はあったものの、とびきり優れた作品もアーティストも輩出することなく4年前に幕を閉じてしまう。きっと川俣は歯がゆく思ったに違いない。「自分ならこうするのに」と。
ふたつ目は、ヒルサイドテラスの前に架かる歩道橋がこの秋、撤去されることになったこと。それがなぜ「工事中」の再開につながるのかというと、今回は建物の内外ではなく屋上に材木を組んでいるのだが、屋上でやるのは上からの視点を想定しているということであり、件の歩道橋の上から眺めるために制作したということだ。こうして川俣のインスタレーションを見るためにみんな歩道橋に上り、歩道橋の存在も記憶に刻まれるというわけだ。
そしてもうひとつ、この夏、「東京インプログレス」の一環として6年前に南千住に建てられた汐入タワーが解体され、廃材が大量に出たこと。この廃材が代官山に運ばれ、インスタレーションの材料として使われることになった。こうしていくつかの偶然が重なり、たまたま2017年の夏に実現することになったわけだ。実際に歩道橋の上から見ると、こんもりと材木が盛り上がっている感じ。カチッとしたモダン建築にザラッとした大量の材木が積み重なっているさまは、なにか心をざわつかせる。もはや陳腐なたとえだが、津波で流された廃材が建物に引っかかっている光景を彷彿させないでもない。屋上に上がってみると、材木を組んだ内部は人が動けるくらいの空洞になっていて、重なった材木越しに代官山の風景を見ることができる。1階のギャラリーには84年の「工事中」の写真・資料も展示され、アートフロントの北川フラムさんも、写真家の安斎重男さんも、PHスタジオの池田修(現BankART代表)も当たり前だが若い。池田くんなんか体積が半分くらいしかない。

2017/08/18(金)(村田真)

七菜乃「My Aesthetic Feeling」

会期:2017/08/11~2017/08/20

神保町画廊[東京都]

主にヌードやコスプレで撮影される「特殊モデル」として活動していた七菜乃(なななの)は、2015年ごろから撮る側に回るようになった。神保町画廊で最初に開催した個展「裸体というドレス」(2015)では、「セルフヌード」作品を展示したのだが、次の「私の女神たち」(2016)では、ほかの女性モデルたちにもカメラを向けるようになった。今回の神保町画廊での個展「My Aesthetic Feeling」でも、前回に続いて「集団ヌード」の撮影にチャレンジしている。
今回は「裸は単に裸で、もともと裸体に特別な意味はない。ただ私の美意識がそこにあるだけ」ということを表現したかったというが、たしかに、都内のスタジオで11人のモデルたちをヌードで撮影した写真には、気負いのない、自然体の撮影の仕方が貫かれている。窓からの自然光で浮かび上がる室内の空気感はまったりとしていて、ことさらにポーズをつけない、あるがままの「裸」のあり方がとてもうまく定着されていた。デジタルのほか、フィルムやチェキでも撮影しているが、その淡い色味や粒子の感触もしっかりと使いこなしている。そう考えると、モデルとして「撮られる」側の心理や身体の置きどころを心得ているということは、「撮る」立場になった時には、かなり有利に働くのではないだろうか。いまの方向を突き詰めていくことで、日本ではあまり例の見ない、複数の裸体が互いに反響していくような「集団ヌード」の可能性が、もっといろいろな形で拓けていくのではないかと思う。次の展開も楽しみだし、このシリーズはぜひ写真集にまとめてほしい。

2017/08/18(金)(飯沢耕太郎)

野村佐紀子「Ango」

会期:2017/08/15~2017/09/17

PETIC SCAPE[東京都]

町口覚が新たに編集・造本した『Sakiko Nomura: Ango』(bookshop M)は、1946年に発表された坂口安吾の短編小説『戦争と一人の女』に、野村佐紀子の写真をフィーチャーした“書物”(日本語版、英語版、ドイツ語版を刊行)である。まさに町口の渾身の力作と言うべき写真集で、そのグラフィック・デザインのセンスが隅々まで発揮されている。ページが少しずつずれるように製本されているので、写真そのものも台形にレイアウトされており、ページをめくっているとなんとも不安定な気分になるのだが、それはむろん計算済みだ。文字のレイアウトにも工夫が凝らされており、薄いグレーのインクで印刷されているのは「女は戦争が好きであった」など、GHQによる検閲で削除された部分だという。森山大道と組んだ『Terayama』や『Odasaku』などで練り上げてきた町口のデザイナーとしての力量が、全面開花しつつあることがよくわかった。
野村の写真、それにPETIC SCAPEの柿島貴志による会場構成も、それぞれの代表作と言いたくなるほどの出来栄えだった。野村の写真シリーズで、女性を中心的に描かれるのはかなり珍しいことだが、今回は戦時下をしたたかに、「肉慾も食慾も同じような状態」で体を張って生き抜いていく「一人の女」を取り上げた安吾の小説にふさわしい内容になっている。デスパレートな雰囲気を漂わせる風景写真との組み合わせもうまくいっていた。柿島の会場構成は、写真集の台形のレイアウトを活かしてフレーミングしたゼラチンシルバープリントと、文字を配した大きめのインクジェットプリントを巧みに組み合わせ、観客を作品の世界へと引き込んでいく。町口も野村も柿島もむろん戦後生まれだが、それぞれの「戦争」に対する身構え方がきちんと打ち出されていて、気持ちのいい作品に仕上がっていた。

2017/08/18(金)(飯沢耕太郎)