artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
札幌国際芸術際2017 その1
[北海道]
札幌国際芸術際2017は、前回とは違って、ビルの空きフロアを活用した街なか展示が増えたのはよいのだが、きちんとしたマップがないために(公式ガイド本もいらいらする内容)、各会場をまわるのに苦労する。まず前回も会場だった札幌市資料館からスタート。ここの三至宝は素晴らしかった。いずれもアーティストの作品ではなく、郵便局長が描いた昭和新山の火山画、実はスイスの発祥らしい木彫り熊コレクション、そして赤平住友炭鉱の資料展示である。特に巨大な坑内模式図は見たことがない複雑さで、美しい図面だった(リベスキンドのマイクロメガスよりカッコいいのでは)。
写真:上から、札幌市資料館、木彫り熊コレクション、坑内模式図
2017/08/15(火)(五十嵐太郎)
札幌国際芸術際2017 その2
[北海道]
すすきの北専プラザ佐野ビルは、雑居ビルの5階と地下で展示を行なう。端聡はあいちトリエンナーレ2016と同じく循環系のインスタレーションも出品していたが、光の様態が変化するグレードアップ・バージョンだった。なお、この展示環境を実現するため、天井に相当数のスプリンクラーが新設されていたことにも驚かされた。地下は場の特性を生かし、怪しげな展示の四連発である(まだ営業しているお店も残っており、それをあいだに挟んでいた)。特に印象に残ったのは、キャバクラの内装を残した空間に設置された山川冬樹による福島の映像作品である。本人が山口小夜子のお面をつけて廃墟を歩くのだが、猿が能面をかぶって福島の廃墟を歩く、ピエール・ユイグの映像作品『ヒューマン・マスク』を想起させるだろう。今回のサブテーマが「ガラクタの星座たち」とあるように、レトロスペース坂会館別館、居酒屋てっちゃん、北海道秘宝館の展示は、サブカル・コレクションだった。その結果、横浜トリエンナーレのハイアートによるガラパゴスの星座と好対照をなす(言葉はかぶるが)。なお、春子の部屋の天井内装も凄い。中国風の格天井の下に、45度回転させた格天井を重ねている。シャッターが定期的に上下するAGS6・3ビルでは、建築空間に絡んでいく堀尾寛大の自動機械インスタレーションを挿入する。ただし、地下は調子が悪く、暗闇の中でバチバチと発光しなかった。数年間空きビルだったせいか、外壁を見上げると窓辺に大量の鳩がいつも安心してとまっているのが(実際、入口に鳩の糞注意という表記あり)、とても不気味な風景だった。札幌地下ギャラリー500m美術館の中崎透「シュプールを追いかけて」は、青森のACACで見たスキー展示の延長戦的なものだった。そして資料のリサーチを経て、札幌の冬季オリンピックの記録やスキー用具の変遷を紹介する。やはり本物の歴史は面白い。それにしても、よくオリジナルを公共空間の展示に持ち出せたと感心した。
写真:左上=すすきの北専プラザ佐野ビル 左下=端聡 右=レトロスペース坂会館別館
2017/08/15(火)(五十嵐太郎)
美術館ワンダーランド2017 イロ・モノノ ハコニワ
会期:2017/07/08~2017/09/01
安曇野市豊科近代美術館[長野県]
再び安曇野へ行ったついでに、若手作家の企画展が開かれている豊科近代美術館に寄ってみた。美術館は一見ロマネスク風の瀟洒な建物に見えるが、中に入ってみると意外と安普請だったりする。1階は高田博厚と宮芳平の常設展示室で、2階が企画展示室。2階は中庭を囲むようにテラスがあり(ただし現在は立ち入り禁止)、テラスを囲むように展示室があり、展示室を囲むように回廊があり、回廊の外側にも展示室があるという入れ子状の構造で、外見ともどもヨーロッパの修道院を思い出させないでもない。ひとつだけ離れに大展示室があるほか、部屋は小さく分かれているため、今回のような個展の集合体としての企画展には向いているが、テーマ展には使いづらそうだ。
さて「美術館ワンダーランド」展は、80-90年代生まれの若手アーティスト6人による展示だが、どういう基準で選んだのか、カタログはつくってないようだし、会場にもチラシにも展覧会の趣旨を書いた文章は見かけなかったのでよくわからない。地方美術館の場合たいてい地元作家が選ばれるものだが、長野県出身は2人しか入ってないので特に優遇されてるわけではなさそうだ。そこでヒントを与えてくれるのが、サブタイトルの「イロ・モノノハコニワ」だが、漢字に返還すると「色・物の箱庭」となり、勝手に解釈すれば、色彩や物体の受け皿としての絵画・彫刻となろうか。これもなにか語っているようでなにも語っていないに等しい。ともあれ出品作家で知っているのは水戸部七絵と齋藤春佳のふたりだけで、作品もこのふたりが群を抜く。特に絵画と映像を出している齋藤は展示に工夫を凝らしていて、コーナーに台座を置いて0号の極小絵画を立て掛けたインスタレーションは、目立たないだけに心をくすぐられた。
2017/08/15(火)(村田真)
鎌鼬美術館 常設展示
鎌鼬美術館[秋田県]
都心から8時間、秋田の中でも辺境に位置する田園地域の田代に、鎌鼬美術館が2016年の秋に開館した。写真集『鎌鼬』は、写真家の細江英公が舞踏家の土方巽と連れ立って、1965年9月の2日間、田代に滞在して生まれた。美術館の名は、この写真集に由来している。古民家を改装した美術館では、各国で販売された写真集や細江と土方の活動を紹介する資料が展示されている。美術館の周囲で、写真集に残された数々のハプニングが実際に行なわれた。展示以上に、この美術館の醍醐味は、館外に広がる田園への聖地巡礼にあるのだった。とても親切な館員に、幸いにも、車で聖地を案内してもらった。土方の躍動する身体が、村民を驚かせ、そそのかし、笑わせ、パフォーマーに仕立てた。その奇跡のような出来事の残り香を、車に乗りながら、嗅いでみる。田園地域の貧しい農民の暮らしをベースに、土方は暗黒舞踏と呼ぶ新しいダンスを生み出した。しかし、当の土方は秋田市に生まれ育った、比較的都会っ子だった。若くして当地のモダンダンス系の教室に足を運んでいたところを見ても、土方は知的でモダンな人間だった。いわば100年前のパリの画家たちが、アフリカ文化に新しい芸術の霊感源を求めたように、土方は田代のような村落の暮らしに新しいダンスの根拠を求めたわけだ。田代の今日的活用ということを、土方もまたこの美術館の運営者も考えている。そういう意味では、両者は同じ地平に立っているのかもしれない。しかし、その目的は異なる。土方は芸術のために、美術館は田代の活性化のために、田代の資源に可能性を見た。両者は互いの価値に寄生しているわけだが、芸術の活性化と地域の活性化が相乗効果を生み出せるか、どちらかだけではともに形骸化してしまう。そもそも舞踏の形成になぜ田代が、秋田の田舎の暮らしが必要だったのか、その本質に迫って初めて、活路が見えてくるのだろう。
2017/08/13(日)(木村覚)
兼子裕代「APPEARANCE──歌う人」
会期:2017/08/09~2017/08/15
銀座ニコンサロン[東京都]
気持ちのよい波動が伝わってくるいい作品だった。兼子裕代は1963年、青森県生まれ。明治学院大学フランス文学科卒業後、2002年に渡米し、サンフランシスコ・アート・インスティテュートで写真を学んだ。現在はカリフォルニア州オークランドに在住している。
今回発表された「APPEARANCE──歌う人」は2010年から撮影が開始されたシリーズである。タイトルの通りに「歌う人」を近い距離から撮影している。撮影時間はほぼ20分。そのあいだに「目の前で刻々と変化する感情の発露」の様子を観察し、シャッターを切る。モデルは彼女が住むオークランドやサンフランシスコ近辺の老若男女で、彼らが歌っている曲の題名以外はそのバックグラウンドは明示されていない。にもかかわらず、一人一人の出自や、背負っているものが少しずつ見えてくるような気がするのは、「歌う」ことに集中することによって彼らが普段身につけている厚い殻を脱ぎ捨て、無防備になっているからだろう。展示のコメントに、兼子自身が「外国人として疎外と受容とを繰り返してきた私にとって、その道のりを体現するようなプロジェクト」になったと記しているが、それはモデルになっている一人一人にもいえると思う。
プロジェクトの内容自体も微妙に変化してきている。被写体が「子供から大人へ」、カメラのフォーマットが「正方形から長方形へ」になった。おそらくそれは、兼子の視野が以前より大きく広がってきたことのあらわれなのではないだろうか。もう少し続けていくと、さらなる展開が期待できそうだ。なお、本展は9月7日~13日に大阪ニコンサロンに巡回した。
2017/08/11(金)(飯沢耕太郎)