artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
六甲ミーツ・アート 芸術散歩2017
会期:2017/09/09~2017/11/23
神戸市の六甲山上に点在するさまざまな施設を会場に行なわれる芸術祭「六甲ミーツ・アート 芸術散歩」(以下、「六甲~」)。その名の通り、散歩感覚で山上を歩き、芸術作品との触れ合いながら、六甲山の豊かな自然環境や観光資源を楽しめるのが大きな魅力だ。今年は39組のアーティストが参加し、例年のごとく多彩な展示が行なわれている。筆者のおすすめは、六甲山カンツリーハウスの川島小鳥、六甲高山植物園の豊福亮と楢木野淑子、六甲オルゴールミュージアムの奥中章人と田中千紘、六甲山ホテルの川田知志である。一方、今年の展示は全体的に小ぶりで、やや地味な印象。「六甲~」自体も2010年の第1回から8年目を迎えたこともあり、そろそろマンネリ回避策を考えねばならない。具体的には、これまでの総括と、新たなテーマ設定、目標設定だろう。それと関係しているのかもしれないが、第1回から企画制作を担当してきた「箱根彫刻の森美術館」の名が今回から消えていた。筆者は、この芸術祭のクオリティーが保たれてきたのは、彼ら美術のプロたちの存在が大きかったと思っている。今後の「六甲~」はどこへ向かうのだろう。若干の不安を覚えたのもまた事実である。
2017/09/08(金)(小吹隆文)
浅井忠の京都遺産─京都工芸繊維大学 美術工芸コレクション
会期:2017/09/09~2017/10/13
泉屋博古館 分館[東京都]
洋画家・浅井忠(1856-1907)は、1900年(明治33年)に渡仏した。目的は洋画研究とパリ万博視察、作品監査であった。在仏中に、京都高等工芸学校の設立準備のためにヨーロッパを訪れていた化学者・中澤岩太(1858-1943)と出会ってデザイン教育の重要性を説かれ、1902年(明治35年)に帰国すると京都に移り、京都高等工芸学校図案科の教員となった。この展覧会は、浅井忠の京都時代の仕事と、彼が教員を務めた京都高等工芸学校(現在の京都工芸繊維大学の前身のひとつ)の図案教育を紹介するとともに、住友春翠(1865-1926)による同時代の美術工芸コレクションを対比する企画。
展示は3章で構成されている。第1章はパリ。当時のパリはアール・ヌーヴォー様式の全盛期で、その立役者サミュエル・ビング(1838-1905)は1900年のパリ万博に「アール・ヌーヴォー館」を出展して注目を集めていた。滞仏中に浅井はビングの店を訪れて、図案家と職人が協業するさまに注目している。浅井のパリの住居には、アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)のポスター《ジョブ》(1898)が貼られていた。中澤から京都高等工芸学校の教材になる資料収集の依頼を受けた浅井は、石膏像、フランス製陶磁器、ヨーロッパのポスターの選定に関わったという。この章では、それら京都高等工芸学校の草創期に教材、資料として収集されたヨーロッパの美術工芸品が展示されている(ただしすべてに浅井が関わったわけではない)。ヨーロッパのポスターや陶磁のほか、とりわけ美しく目を惹くのはルイス・C・ティファニーのガラス器だ。ヨーロッパで資料を収集していた中澤や浅井は、これらのアメリカ製品をどのようにして手に入れたのだろうか。第2章は京都時代の、画家としての浅井忠と京都洋画壇。浅井の作品は水彩が中心だが、東宮御所を飾るタペストリー《武士山狩図》の油彩原画も出品されている。また浅井は図案教育に携わるかたわら、聖護院洋画研究所を設立して後進の指導にあたり、1906年(明治39年)には関西美術院を創設しており、浅井とともに関西美術院の創設に関わった鹿子木孟郎(1874-1941)らの作品も紹介されている。浅井忠と住友春翠との間に直接的な関係はなかったようだが、関西美術院の創設にあたって住友家は1000円を寄付している。また春翠のコレクションには浅井作品が10点あったことが記録されているという。第3章は図案家としての浅井忠と京都の工芸。明治前期に繁栄を極めた工芸輸出は、明治半ばには陰りを見せていた。京都高等工芸学校設立(1902年)の背景には、工芸技術の改良および新しい図案の創出という意図があった。浅井は京都高等工芸学校で教鞭をとる一方で、1903年(明治36年)に同校の教員らと共に製陶家と図案家の研究団体「遊陶園」を設立。1906年(明治39年)には漆芸家との研究団体「京漆園」を結成。新しい図案と工芸作品を発表していった。ここでは、浅井が残した図案を集めた『黙語図案集』(1908)や浅井の図案に基づく陶器や漆器が出品されており、そこには、アール・ヌーヴォー、琳派、大津絵などさまざまな影響がうかがわれる。もうひとつ、この章で興味深いのは、住友家と京都高等工芸学校の陶磁器コレクションの対比だ。鑑賞あるいは実用を目的とした住友家の陶磁器と、教材として集められた京都高等工芸学校のコレクションは、同時代の収集品ではあるが意匠面で大きな相違がある。前者はイギリス上流階級の趣味にかなう精緻な磁器、後者はクラフト的であったり、アール・デコ的であったり、意匠の面白さに重点が置かれていることがうかがわれる。このほか本展では住友春翠が協賛会長、浅井忠が審査官を務めた第5回内国勧業博覧会関連の資料が出品されている。
さて、浅井らの目指した図案の改革は成功したのだろうか。残念なことに、浅井は京都に来てわずか6年で亡くなってしまった。彼の図案によって陶磁器や漆器が作られたが、その規模は商業的生産といえるようなものではなかった。意匠を見ても、輸出の不振を解消し海外の市場に受け入れられるようなものであったのかは疑問だ。また同時代の京都の工芸においては、琳派に傾倒した神坂雪佳(1866-1942)らの影響が大きかったようだ。1900年パリ万博を視察した浅井と、1901年グラスゴー万博を視察した雪佳は、いずれも1902年に帰国し、いずれも京都の工芸図案に関わっていく。アール・ヌーヴォーの受容に関する両者の対比はとても興味深い。アール・ヌーヴォーを受容した浅井忠に対して、雪佳は日本におけるアール・ヌーヴォーの流行を批判している。それは洋画家と日本画家との違いだったのだろうか。また一方で、陶芸や漆芸は伝統産業から近代工芸へと変わりゆく時期にあたった。新しい時代の工芸家たちは図案家の指導に頼るのではなく、自ら図案と素材と技法とを融合させた作品を創り出す個人作家となっていった。工芸作家にとって図案教育は必要であっても、図案家は必要だっただろうか。浅井忠の京都での活動はデザイン運動史の1ページとして重要であるが、その成果が十分なかたちにならなかったのは、浅井が早くに亡くなってしまったからなのか、他の様式が支持されたからなのか、それとも工芸のありようが変化したからなのか、十分な検討が必要に思う。[新川徳彦]
関連レビュー
うるしの近代──京都、「工芸」前夜から|SYNK(新川徳彦):artscapeレビュー
2017/09/08(土)(SYNK)
生誕150年記念 藤島武二展
会期:2017/07/23~2017/09/18
練馬区立美術館[東京都]
藤島武二の絵ってどこがいいのかよくわからない。いや別に悪いとは思わないけど、とりたてていいとも思わないし、ずば抜けた個性があるようにも見えない。代表作を挙げろといわれても《黒扇》か《東海旭光》くらいしか思いつかないし、これだってひとつ年上の黒田清輝とどこがどう違うのか説明できない。というか藤島という画家の存在自体、黒田の大きな影に隠れてしまって目立たないのだ。にもかかわらずそれなりに評価されているのが不思議だった。で、この展覧会を見てわかったのは、黒田の下で東京美術学校で後進の指導にあたり、生涯を美術教育に費やしたこと、思いのほか雑誌の挿絵や本の装丁などのグラフィックの仕事が多かったこと。要するに生活のため画業以外のバイトに精を出していたのであり、むしろそれが彼の地位と名声と大衆的な人気を確保したのではないか、ということだ。しかしいくら生活のためとはいえ、画家がバイトにのめり込むのは本末転倒、制作時間は削られるわ情熱や冒険心はそぎ落とされるわロクなことがない。藤島作品に通底するある種のハンパ感はそんなところに起因するのかもしれない。
もうひとつ興味があったのは戦争との関わりだ。藤島は日中戦争が始まった37年にはすでに70歳の重鎮で、その年に第1回文化勲章を受章。その6年後の太平洋戦争中に亡くなっているので、いわゆる戦争画は描かなかったが、戦争に関連した絵は同展にも何点か出ていた。例えば《ロジェストヴェンスキーを見舞う東郷元帥》は制作年は不明だが、日露戦争時の美談をテーマにした戦争画だし、《蘇州河激戦の跡》は日中戦争における戦跡を描いたもの。ほかに、直接戦争を描いたものではないけれど、晩年に宮中学問所のために制作した日の出のシリーズは、昭和前期という時代背景、中国やモンゴルという場所、皇室からの依頼、そしてなにより「日の出」というモチーフから広い意味での戦争画と呼べるかもしれない。《東海旭光》はその代表作といえるものだが、残念ながら《黒扇》ともども今回は出ていない。
2017/09/07(木)(村田真)
引込線2017
会期:2017/08/26~2017/09/24
旧所沢市立第2学校給食センター[埼玉県]
文字どおり「引込線」でやってたときには見に行ってたけど、会場が給食センターに移ってからは足が遠のいてしまい、訪れるのは今回が初めて。出品は遠藤利克や伊藤誠といったベテランから若手まで20組で、調理機器の置かれた大空間、事務室、休憩室、駐車場などに作品を展示している。おもしろいものもつまらないものもいろいろあるが、もっとも印象に残ったのは寺内曜子のインスタレーション《かまいたち》。とてつもなくスゴイというのでもないのだが、ちょっと傷口に触れるような、あるいは見てはいけないものを見たような妙な感触がある。角の部屋の窓を黒いシート(裏は赤)で覆い、2カ所をバツ印に裂いたもの。ひとつはそのままバツ印のかたちに光が入り、もうひとつは裏面をこちら側に裏返して、窓の上下左右に赤い三角形を広げている。ただそれだけなのだが、絶妙なのは裏を赤にしたことと、切り口を直線ではなくあえてギザギザにしたこと。そのことによってただのバツ印が赤らんだ傷口に見え、それを開いたところは舌か陰唇を連想させるのだ。いや、そんな連想をするのはぼくだけかもしれないが、たとえ作者にもそんな意図はなかったとしても(寺内は一貫して表と裏、内と外といった問題をテーマにしてきた)、こんな場所でエロスとタナトスを感じさせる痛々しくも艶やかな作品に出会えた喜びは大切にしたい。小雨のそぼ降るなか、屋外では吉川陽一郎がひとりシジフォスのように延々と円を描いていた。ごくろうさん。
2017/09/07(木)(村田真)
GLOBAL NEW ART タグチ・アートコレクションのエッセンス展
会期:2017/08/25~2017/11/12
ウッドワン美術館[広島県]
学芸員の案内により、ウッドワン美術館の「GLOBAL NEW ART タグチ・アートコレクションのエッセンス」展を見る。アメリカのポップアートに始まり、トーマス・ルフ、オノ・ヨーコ、会田誠の大作「灰色の山」など、テーマごとにさまざまな現代美術を紹介する。大型の絵画が多いように思われた。一方、新館はガレやマイセン磁器などを展示しており、がらっと雰囲気が変わる。
2017/09/06(水)(五十嵐太郎)