artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
久松知子展「ひさまつ子の思い出アルバムpainting」
会期:2017/06/23~2017/06/29
トライギャラリーおちゃのみず[東京都]
日本近代美術史の内輪話を大作に仕立て上げてきた久松知子が、今度はプライベートな打ちあけ話を小品に描いている。おそらく東北芸工大の友人や先生らと学園祭や同好会、飲み会で撮った写真をベースにしたもの。本人たち以外にはどうでもいいような場面ばかりだが、それがなかなか魅力的に仕上がっているのは久松の画力が上がってきたからか。
2017/06/27(火)(村田真)
藤岡亜弥『川はゆく』
発行所:赤々舎
発行日:2017/06/11
本書の外箱に「川は血のように流れている 血は川のように流れている」というエピグラムが記されている。藤岡亜弥が撮影した広島では、太田川、天満川など市内を流れる6つの川は、特別な意味を持っているのではないだろうか。いうまでもなく、1945年8月6日の原爆投下の日に、川は死者たちの血で染まり、その周辺は瓦礫と化した。広島で川を見るということは、その記憶を甦らせることにほかならない。
「8・6=ヒロシマ」の記憶は、多くの写真家たちによって検証され続けてきた。土門拳、土田ヒロミ、石黒健治、石内都、笹岡啓子──だが藤岡の『川はゆく』はそのどれとも似ていない、まさに独特の位相で捉えられた「ヒロシマ」の写真集だ。原爆追悼の記念行事が集中する暑い夏と、原爆ドームをはじめとする爆心地近くの象徴的な空間が、中心的なイメージであることに違いはないのだが、写っているのはどちらかといえば脱力を誘うような日常の場面だ。にもかかわらず、その底には悪意と不安としかいいようのない感情が透けて見える。日常の裂け目やズレを嗅ぎ当てる彼女の鋭敏なアンテナは、幾重にも折り畳まれた光景から、「ヒロシマ」の死者たちの気配を引き出してくる。そしてその眺めを、「血のように流れている」川のイメージが包み込んでいる。
2016年度の伊奈信男賞を受賞したこの作品で、藤岡亜弥は写真家としてのステップをまたひとつ前に進めた。2007~12年のニューヨーク滞在時に撮影された《Life Studies》など、まだ写真集になっていないシリーズもある。先日のガーディアン・ガーデンの個展「アヤ子、形而上学的研究」をひと回り大きくした展示も見てみたい。
2017/06/26(月)(飯沢耕太郎)
性欲スクランブル
会期:2017/04/30~2017/10/09
クシノテラス[広島県]
アール・ブリュットで知られる鞆の津ミュージアムから独立したキュレーターの櫛野展正が昨年立ち上げたギャラリー、クシノテラスへ。いまや制度化されるアール・ブリュットから逃れていくアウトサイダーのアウトサイダーだけあって、エロをテーマにした「性欲スクランブル」展も「性」と「生」がせめぎあうド迫力の内容だった。注目すべきは、地元の広島から、人知れず「性」を創作につなげる活動を続けている逸材を発見し、半田和夫、城田貞夫らの仕事を紹介していること。普通にアート業界にいても絶対に出会わない人たちだ。
写真:上=城田貞夫 下=半田和夫
2017/06/26(日)(五十嵐太郎)
歿後60年 椿貞雄 師・劉生、そして家族とともに
会期:2017/06/07~2017/07/30
千葉市美術館[千葉県]
椿貞雄は岸田劉生の門下生で、平塚市美術館で開かれていた刺激的な企画展「リアルのゆくえ」にも出ていたので見に行く。出品は200点近くあるが、前半は椿だけでなく、劉生の《自画像(椿君に贈る自画像)》《椿君之肖像》など椿関連の作品も多く、少し得した気分(ちなみに《椿君之肖像》は6月11日までの平塚市美にも出ていたから忙しい)。肝心の椿の作品は初期こそ濃密な描写で劉生とタメ張っていたが、劉生没後は《髪すき図》やいくつかの《冬瓜図》を除き、次第に凡庸な静物画や家族の肖像画、趣味程度の水墨画に堕していく。想像するに、彼は生活のために学校で教え、家庭にも恵まれていたようだから、極端な冒険をする必要も求道的な生活を送る必要もなく、そこそこ幸せに暮らしたのかもしれない。別に不幸こそ芸術の友といいたいわけではないけれど。
2017/06/25(日)(村田真)
「洸庭」名和晃平|SANDWICH 図録刊行記念対談
会期:2017/06/25
神勝寺 無明院[広島県]
名和晃平×五十嵐で『洸庭』図録刊行記念対談@神勝寺無明院。今回、対談を通じて新しく知った事実について記しておきたい。あいちトリエンナーレ2013における彼の作品《foam》(最近、PerfumeのCMで似たセットが使われているが)になる前の別プランが、じつは闇の中で床いっぱいに水をしくものだった。結局、納屋橋の会場では闇が十分でなく見送ったが、これが発展して《洸庭》につながった。そして、もうひとつ思い出したことがあった。彼がキリンアートアワード2003に入賞したとき、筆者は審査員でその受賞展の担当だったが、「PixCell」の展示で彼が空間にとてもこだわり、影がでない特別な白い部屋を設けたこと。つまり、作品を単体で考えず、いかなる環境で見せるかを最初から重視していたのである。それを突き詰めると、今回のプロジェクトのように、建築をまるごとつくることに発展するのは必然だろう。
2017/06/25(土)(五十嵐太郎)