artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
海のプロセス─言葉をめぐる地図(アトラス)
会期:2017/06/09~2017/06/18
東京都美術館ギャラリーB[東京都]
波の打ち寄せる海岸の写真や、ブリューゲルの《バベルの塔》(ただしウィーン美術史美術館の)の画像を使った井川淳子、海岸で拾い集めた色とりどりのガラス瓶のカケラを組み合わせて、1本の瓶を復元する平田星司ら、4人のグループ展。いちばん心にしみたのは、福田尚代の《エンドロール》。都美の古い陳列ケースのなかにしわくちゃの紙が何十枚も敷かれ、それぞれの紙には記号のようにも模様のようにも見える細かい線がびっしり埋め尽くしている。福田のノートに「ひとりの人間が一生のあいだにつづる膨大な文字とは、はてしのない、たったひとすじの息ではないか」とある。息するように字を書く……というより、字を書くことは生き続けること。これは絵も同じかもしれない。
2017/06/18(日)(村田真)
大坪晶|白矢幸司「Memories and Records」
会期:2017/06/18~2017/07/15
ギャラリーあしやシューレ[兵庫県]
「記憶と記録」をキーワードにした2人展。セラミック(白矢)/写真(大坪)という異なるメディウムによって、物質を用いた「触覚的な痕跡」の可視化/「場に潜在するが、見えない記憶」への想起という対照的なアプローチが提示された。
白矢幸司は、シリカ、アルミナ、カルシウムという3つの物質(白色の粉末)を水と混ぜ、焼き固めたセラミック作品を制作している。一見、ミニマルな白い平面に見えるが、調合の微妙な差異により、さまざまに異なる表情を見せる。干上がった大地に走るひび割れ、ゴツゴツと固まった溶岩、細かい砂利の混ざった地表……。そうした自然の物理現象の痕跡を思わせるものがある一方で、雨に晒して水滴の落下を受け止めたものは、無数の弾痕が穿たれた壁を想起させる。黒いフレームに標本のように収められていることも相まって、負の記憶が刻まれた壁の一部が切り取られ、人為的な破壊の痕跡を留める遺物として保存され、「展示」されているようにも見える。だがそれらの「白い」表面が実際に喚起するのは、アンビヴァレンツな印象だ。確かに、それらの表面の複雑な起伏に満ちたテクスチャーは、自然界の力、あるいは人為的な暴力を受け止めた痕跡を感じさせる一方で、純白に輝いており、「痕跡であるが無垢である」という矛盾した声を響かせるのだ。また、別の視点から見れば、「白の単色の平面」であることは美術史的な記憶をも喚起する。例えば、マレーヴィチの《白の上の白》、とりわけ触覚性に着目すれば、石膏やコットン・ボールなどを使用したマンゾーニの《アクローム》絵画が連想され、美術史的な記憶を投影される表面としても立ち現われる。
一方、大坪晶の写真作品《Shadow in the House》にも、「白い壁」を撮影した一枚がある。一見、真っ白な画面だが、元の壁を白いペンキで塗り直した刷毛のストロークが残り、さらにその表面には細かいひび割れが走り、時間の経過を物語る。ここでは、「白い表面」を写した写真の中に、元の壁が建てられた時間、白く塗り直された時間、そしてペンキの層が劣化して剥がれ始めるまでの時間、という複数の時間が積層しているのだ。
大坪の《Shadow in the House》は、「接収住宅」(第二次世界大戦後のGHQによる占領期に、高級将校とその家族の住居として使用するため、強制的に接収された個人邸宅)を被写体としている。接収された住宅の多くは、GHQの指示に従い、内装の補修や壁の塗装、配管や暖房設備、ジープを駐車する車庫の新設など、さまざまな改修がなされた。大坪の写真が記録として捉えるのは、そうしたGHQによる改修の痕跡に加え、陽に焼けて色褪せた壁紙や擦り切れた絨毯など、かつてそこで暮らしていた人々の日常生活の痕跡が宿るディティールである。さらに、写された室内空間に目を凝らすと、おぼろげな気配のように、あるかなきかの影が亡霊のように画面に写り込んでいることに気づく。
「接収住宅」の室内空間は、敗戦を契機に文化圏を超えて人々が移動したことで、異文化が接触した現場でもある。大坪は、多層的な記憶が深く沈殿した室内空間に、長時間露光によって影のような痕跡を写し込む操作を加えることで、場に潜在するが可視的でない記憶をどう想起するか、という困難な営みに向かい合う。「不在」によって存在を証立てる「影」は、強い指標性をもつ明確なシルエットではなく、指示内容が曖昧なままであることで、充填を待ち受ける空白として働く。接収前に住んでいた住人、GHQの将校とその家族、返還後の住人……。「影」の主はそのどれでもありえ、あるいはそれら複数の記憶が多重露光的に重なり合い、判別不可能になったものとも解釈できる。そのあるかなきかの儚さは、もはや明確な像を結ぶことのできない記憶の忘却を指し示すと同時に、それでもなお困難な想起へと向けて開かれた通路でもある。
2017/06/18(日)(高嶋慈)
エリック・カール展
会期:2017/04/22~2017/07/02
世田谷美術館[東京都]
『はらぺこあおむし』で知られるアメリカの絵本作家・エリック・カール(1929-)の回顧展。おそらく偶然だと思うが、三鷹市美術ギャラリーの「滝平二郎の世界」展と会期が同じだ。そして興味深いことに、エリック・カールと滝平二郎の絵本は、その手法──切り絵──の点で共通している。ただし、その表現では両者はかなり異なっており、エリック・カールの作品はコラージュと呼んだほうが正確か。すなわち、あらかじめ薄紙を絵の具で彩色する。筆やナイフのテクスチャーはそのとき薄紙の上に現れる。そして色の付いた紙をさまざまなかたちに切り抜き、貼り合わせて人や動物、虫たちを構成する。鮮やかな色彩の組み合わせは同じ紙の上で絵の具を塗りあわされて生まれることもあれば、別々に用意された紙のコラージュで表されることもある。淡い色の薄紙を重ね合わせれば虫の羽の透けたイメージが表現できる。コラージュの上からさらに筆が入れられることもあるが、カールのシャープな輪郭の色面は紙を切り抜くことで生まれるのだ。この手法は、彼の初期の仕事である雑誌広告に現れ、これに目を留めた絵本作家で詩人のビル・マーチン・Jr(1916-2004)との共同作業によってカールは絵本の世界へと進むことになった。
回顧展ではあるが、展示は時系列ではなく、前半は原画やダミーブックがテーマ別に分けられ、後半はカールの生涯と彼が影響を受けた画家たちの仕事、日本との関係を語る作品と資料で構成されている。切り絵によるコラージュと言えばアンリ・マチスの《Jazz》が思い浮かぶが、じっさいカールは影響を受けた画家としてヴァシリー・カンディンスキー、フランツ・マルクらとともに、アンリ・マチスの名前を挙げている。展示作品の中では、絵本の仕事を始める前のものと思われる素描や、1950年代はじめのリノリウム版画が興味深かった。
以前からうすうすと感じていたことであるが、作品を通して見て、(こう書くと大いに誤解を招きそうだが)彼はあまり絵が上手くないのでは、という印象を受けた。動物たちはまったくリアルでないし、色彩も忠実ではない。彼の描く人物に美男美女は(ほとんど)いない。技法による表現の制約もあるかもしれないが、ダミーブックに見られるスケッチを見ても同じ印象だ。デフォルメというのともまた違う。線やかたちに様式を感じない。それならば彼の作品の魅力はどこから生まれてくるのか。物語か、色彩か、テクスチャーか、レイアウトか、『はらぺこあおむし』に見られるような造本上の楽しい仕掛けか。おそらくそのすべて。彼の作品が一枚ものの絵画ではなく、物語を持った絵本である以上、本の大きさ、重さ、紙の厚みも含むすべての要素の調和によって作品の印象がかたちづくられている。作品の原画が一つひとつばらばらに展示されていたことで、そのことが改めて意識に上った。そしてそこに思い至って、彼のキャリアがグラフィック・デザイナー、アート・ディレクター、イラストレーターから始まっていたことを思い出した。[新川徳彦]
2017/06/18(日)(SYNK)
佐藤令奈『Slightly but quite different』
会期:2017/06/10~2017/07/16
ギャラリー・キドプレス[東京都]
昔、肌色というクレヨンがあった。でも人種によって肌の色は千差万別だから差別につながりかねない、てわけでいつのまにか肌色が消えた。そもそも同じ人間でも背と腹では肌の色は異なるし、夏と冬でも違う。もっといえば、同じ肌でもよくよく見ると、赤、白、黄色、たまに青も混じり合った複雑なマダラ模様をしているのがわかる。とりわけ新鮮な赤ちゃんの肌や、若い女性の乳房とか太ももあたり(あんまり見たことないけど)。つまり「肌色」というのは錯覚、イリュージョンにすぎないのだ。そんなビミョーな肌の色を追求しているのが佐藤令奈だ。いや肌色だけでなく、佐藤は柔らかい肌のプニプニ感も絵具で再現しようとしている。だから彼女は赤ちゃんを描くのだが、肌のドアップのため顔が画面からはみ出すし、あんまりかわいくないし。ただひたすら新鮮な肌を画面に再現しようとしているのだ。3年ほど前には「肌の秘密」と題して、乳白色の肌で知られる藤田嗣治と2人展をやったそうだが、肌のみに関しては藤田よりはるかに上だ。
2017/06/17(土)(村田真)
色あせない風景 滝平二郎の世界
会期:2017/04/22~2017/07/02
三鷹市美術ギャラリー[東京都]
筆者が滝平二郎(1921-2009)の仕事を知ったのは『モチモチの木』(斎藤隆介作、滝平二郎絵、1971年)、そして朝日新聞日曜版の連載であった。きりえならではのシャープなライン、人物の特徴的な目(顔の輪郭から目がはみ出しているが、それが睫のようにも見える)、ノスタルジックな主題。子供の頃に見たそれらの作品はいまでも印象に残っている。以来、筆者は滝平をきりえの画家と認識していたのだが、滝平二郎の仕事の軌跡をたどる今回の展覧会で、彼の画業が版画から始まっていたことを初めて知った。展示は戦前期のスケッチや多色刷り版画、戦後の版画作品、そして1960年代後半からはじまるきりえの絵本やイラスト作品で構成されている。滝平のきりえの手法は、版画の主版にあたる部分には黒ないし濃い色の紙(あるいは彩色された紙)を用い、線と線のあいだと背景を色紙もしくは水彩で彩る。伝統的な切り紙/剪紙のように必ずしもすべてがひとつにつながっているのではなく、しばしばバラバラのパーツが台紙に貼り込まれる。この表現手法は、滝平のもともとの仕事、すなわち木版画からのもののようだ。滝平による最初の絵本の仕事は多色木版画による『裸の王さま』(アンデルセン作、私家版、1951年)。『八郎』(斎藤隆介作、福音館書店、1967年)では木版と切り絵が組み合わされている。やがて技法は切り絵に重心が移るのだが、滝平自身の回想によれば「『印刷原稿は一枚あれば事足りるものを、大まじめに木版を一枚一枚彫るのは無駄な労苦ではないか、要求されているのは木版画風の様式だけだ』……このようにして、お粗末にも私の切り絵は実は木版画の代用品、にせ物として誕生したのであった」と(本展図録、91頁)。ちなみに「きりえ」という呼称は朝日新聞への連載にあたって記者が名付けたそうだ(同)。多くの模倣作家を生むことになった滝平二郎独自の技法を代用品と呼ぶことには躊躇するが、確かに同時期の木版画と切り絵作品とはとてもよく似ている。そして、本展で何よりも魅せられたのは今回初めて見た1950年代、60年代の版画作品だったことを考えると、彼の本領は版画にあったに違いない。戦後、中国の新興版画運動に影響を受けたという滝平の版画作品には、きりえに見られる優しい表情の人物とは異なり、強い意志を秘めた眼差しの人々が描かれている。なかでもベトナム戦争を背景として炎に包まれる母子を描いた作品「紅い炎」「青い炎」(1968)には、しばし見入ってしまった。「きりえ」の仕事は画家として大成功だったと思うが、彼が版画に専心していたらと思わずにはいられない。それほどに作品の印象は強烈なものだった。[新川徳彦]
2017/06/17(土)(SYNK)