artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
名所絵から風景画へ─情景との対話(後期)
会期:2017/05/27~2017/06/25
三の丸尚蔵館[東京都]
久々に三の丸尚蔵館へ。大手町から皇居東御苑に入ると外国人が多くなる。皇居だから西洋人ばかりだと思ったら、中国人や韓国人も意外と多かった(言葉やファッションでわかる)。まあ日本に来るくらいだから反日は少ないだろうけどね。で、三の丸尚蔵館。昭和天皇の崩御後、国に寄贈された御物の保存・研究を目的に建てられたもので、当初は一般公開するつもりがなかったらしく(美術館などへの貸し出しを考えていた)、収蔵庫(約1000平方メートル)に対して展示室(約160平方メートル)は異様に小さい。だからひとつのテーマで展示するときも2、3回に分けることが多い。今回も3期に分けたうちの後期の展示。タイトルどおり、近世の名所絵から山水画、真景図、近代以降の風景画まで、風景画の変遷をたどっている。出品は江戸期の雲谷派による《唐土名勝図屏風》、明治期の石油の産出現場を描いた児玉果亭の《石脳油産地之真景》、山本森之助による印象派風の油絵《夾竹桃》、丸山晩霞の美しい水彩画《犀川の秋》など、珍しい絵ばかり計12点。数も少ないし、入場無料だし、みんな気楽に見ている。
2017/06/24(土)(村田真)
「そこまでやるか」壮大なプロジェクト展
会期:2017/06/23~2017/10/01
21_21 DESIGN SIGHT[東京都]
チラシの表には写真がなく、数字が出ているだけ。いわく、「湖面を渡る100,000m2の布」(クリストとジャンヌ・クロード)、「連続制作時間96時間」(淺井裕介)、「500人が入れる風船」(ルツェルン・フェスティバル アーク・ノヴァ)……。湖面を渡る10万平方メートルの布というのは、昨年クリストとジャンヌ・クロードがイタリアのイセオ湖で実現させた《フローティング・ピアーズ(浮き桟橋)》というプロジェクトのこと。湖に浮かぶ島に行き来できるようにオレンジ色の布で覆った浮き桟橋を渡し、話題を呼んだ。規模の中途半端さや準備期間の短さなど、いささかクリストらしからぬプロジェクトだが、これが同展の目玉に据えられているところを見ると、むしろこのプロジェクトを紹介するために展覧会が企画されたのかもしれない。
クリストも含めて全部で8つのプロジェクトが紹介されているが、ホントに「そこまでやるか」なプロジェクトは、石上純也の「幅1.35m×高さ45mの教会」だ。数字で書いてもフーンだが、絵でも模型でもいいから視覚化してみれば、そのとんでもなさがわかるはず。底辺が1に対して高さが33.333……つまり1枚の壁が突っ立ってるようなもん。これが実際に中国山東省で進行中というから、「そこまでやるか」というより「そこまでやらせるか」と驚く。
ただこういう展覧会で残念なのは、クリストも石上もそうだが、作品の性質上実物を持ってくるのが不可能なため、プランや模型や映像による紹介に終わりがちなところ。それでも今回、淺井裕介は巨大壁画を、ヌーメン/フォー・ユースは透明テープを使ったコクーンを、ジョルジュ・ルースは錯視を応用したインスタレーションを、西野達は使用可能なカプセルホテルを、それぞれ館内で実現させている(ちなみに西野のキャッチコピーは「実現不可能性99%」だが?)。本展のディレクターは、建築からデザイン、アートまでこなすエディター・ライターの青野尚子さん。そこまでやったか。
2017/06/24(土)(村田真)
異郷のモダニズム─満洲写真全史─
会期:2017/04/29~2017/06/25
名古屋市美術館[愛知県]
1920年代~敗戦直後の四半世紀に「満洲」で展開された写真表現を検証する企画展。展示は5章から構成され、1920年代の「記録・啓蒙」、1930年代の作家主導による「芸術写真」、1940年代の官僚主導による「統制・プロパガンダ」という流れが提示される。
第I章では、〈満蒙印画協会〉を創設した写真家、櫻井一郎の精力的な仕事を紹介。1924年、大連で創刊された『満蒙印画輯』は、毎月10点の写真を解説付きで台紙に貼付し、購入者に届ける「写真頒布会」の制度により、各地の生活風俗、祭祀、寺院仏閣などの歴史的建造物、砂漠や山岳などの景観を記録し、内地に紹介した。その撮影範囲は満蒙(満洲と東モンゴル)から中国東部まで及び、砂漠、遊牧民、ラクダ、広大な大地といったイメージに加え、雲崗の石窟、三峡の景観、水都蘇州など、エキゾチシズムをかき立てる情景を精密なカメラアイで写し取っていった。毎月届けられるこれらの写真は、1年後にアルバムの表紙が送られて「写真集」が完成するというシステムからも、文化史・生活史の記録的価値とともに、領土獲得と一体となった「イメージの所有と収集」への欲望が伺える。
第II章では、櫻井の急死後、1928年に南満洲鉄道株式会社(満鉄)の弘報課嘱託として大連に渡った淵上白陽と、彼が1932年に組織した「満洲写真作家協会」のメンバーの写真が紹介される。1932年は「満洲国」建国と同年であり、翌年にはグラフ雑誌『満洲グラフ』が創刊された。大地を突き進む列車のスピード感を、印画紙をたわめて焼き付けた淵上の《列車驀進》は、今見ても斬新。また、さまざまな印画法を駆使して絵画的な質感や構図で表現するピクトリアリズム写真の実践は、農村の情景の牧歌的な理想化へと向けられた。ロシア革命と迫害を逃れて移住した白系ロシア人の村を撮影した写真群は、「ソ連批判」のメッセージを暗に担うが、異郷でつつましく暮らす人々への親密な眼差しが感じられる。また、工場や製鉄所といった近代産業建築が多く選ばれていることには、植民地経営の基幹のアピールとしての意味合いを含むが、建築的な構成美や煙と蒸気がもたらす光と影のドラマティックな効果を追求した画面は、政治的な意味合いをほとんど凌駕するほどに美しい。いや、むしろ「美」こそが、政治性を隠蔽する装置なのだ。
しかし、こうした写真表現としての実験的な視覚性の追求/国家と巨大資本による宣伝、という両者が通底しつつも拮抗する緊張感がはらむ美は、1940年代になると失速する。1940 年、官僚主導の下に「登録写真制度」が導入され、審査に通った写真家の登録という囲い込み/排除のシステムにより、国家的な統制が強まる。ピクトリアリズムや実験的な写真は否定され、表現としての強度も「主題」も平板化した「分かりやすい」写真が並んでいく。例えば、「民族の協和」といったイデオロギーの可視化、開拓移民の勤労などだ。また、欧米に倣って、洗練された誌面のグラフ雑誌が対外宣伝として多数刊行される。壁一面を覆い尽くす表紙の集合は圧巻だ。
そして、地下に降りた最終章の展示室で待ち受けるのが、打ち壊されて「廃墟」となった官庁舎、工場、製鉄所、発電所の姿である。これらはソ連軍による破壊と略奪の跡であり、敗戦後の日本の賠償能力について海外資産を調査するポーレー対日賠償調査団によって撮影された。米国国立公文書館が所蔵する報告書『ポーレー・ミッション・レポート』に添付された写真を大きく引き伸ばしたプリントも、破壊の衝撃を増幅する。大島渚の言を引けば「敗者は映像を持たない」ことの証左であるとともに、「ここにない」イメージ、つまり日本が大陸各地で行なった破壊行為のネガとしても顕現する。
こうした膨大な写真群を通して本展は、エキゾチシズムの表象、「芸術写真」の実験、プロパガンダの可視化、戦後処理の調査など、「満洲」という虚の空間において、複数の主体による要請がいかに駆動してイメージの可視化(と不在)を構成していたかを示していた。なお本展は、1994 年に同館で開催された「異郷のモダニズム 淵上白陽と満洲写真作家協会」展をバージョンアップした内容であり、第I章の『満蒙印画輯』と最終章の『ポーレー・ミッション・レポート』に収められた写真が新たに追加されている。アルバム状の印画集やアーカイヴの集合性の中から写真を取り出し、複写し、額装や引き伸ばしなどの手を加えて、美術館という凝視のための空間の中に置き換え、「作品」という自律的な単位の写真と並列的に並べること。そうした等価的な手続きをもって本展は、元の文脈からの切断というリスクを負いつつも、「資料」と「作品」への眼差しを均質的に均していこうとする意志でもって、「芸術性」を特権化することなく、満洲における写真実践を検証する姿勢を開いていた。
2017/06/24(土)(高嶋慈)
のっぴきならない遊動:黒宮菜菜/二藤建人/若木くるみ
会期:2017/05/25~2017/07/02
京都芸術センター[京都府]
二藤建人は期待を裏切らないダイナミックな作品で、室内いっぱいにインスタレーションを行なう。黒宮菜菜は揺れるようなドローイングである。そして髪を剃って顔を描く、本当に体をはった若木くるみのボディ・キャンバスと、和室にそのままペイントした部屋が衝撃的だった(そして頭部の後や横に、別の顔が出現するイメージは怖くもある)。
写真:左上から=黒宮菜菜、二藤建人 右2枚=若木くるみ
2017/06/23(金)(五十嵐太郎)
TWSエマージング2017 第1期
会期:2017/06/10~2017/07/09
トーキョーワンダーサイト本郷[東京都]
黒石美奈子、黒田恭章、神祥子の3人。黒石は草花、山、人物などをモチーフにしたエッチング。というか、山や人物もびっしり植物パターンに覆われているので、モチーフは草花というべきか。女子像など体全体が草花模様なので、まるで刺青か皮膚病みたいでステキ。銅版画の道具の展示は余計だ。黒田は格子柄の織物を絵画のように見せている。もともとキャンバスは麻糸を縦横に編んだ織物であり、絵画とはその上に絵具で物語を紡ぎ出すものだとすれば、これは絵画のゼロ地点といえるかもしれない。長方形と正方形の織物パネル計5枚を組んだ4畳半絵画は陰陽も思わせる。
神は一見とても頼りなさそうな絵画を出しているが、そこで繰り広げられているのは「見る」「見える」という現象を巡る哲学的考察だ。頼りなさそうな絵といっても、例えば《明るい部屋》は、スタンドの明かりを消そうとする自分を正面の鏡に映し出し、その背後の窓ガラスに映る自分の背中も映し出している情景を描いたもの。鏡や窓という絵画のメタファーを用いながら、錯綜する空間構造を見る者に読み取らせるだけの技量は備えている。だけでなく、鏡や手前のテーブルの位置など画面の収め方も絶妙だ。絵のなかの鏡に映る自分の姿(自画像でもある)に手を触れようとする《ふれる》や、人らしき姿を映し出す両目の絵と映像によって、まぶたの裏の残像まで描き出そうとした《まばたき/あらわれ》も、頼りなさそうな絵であるがゆえに真実味を帯びている。これは期待しちゃう。
2017/06/23(金)(村田真)