artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

大谷弘明/日建設計《愛媛県美術館》

[愛媛県]

竣工:1998年

大谷弘明/日建設計による、《愛媛県美術館》へ。丸みを帯びた展示室のヴォリューム群を太い柱で持ち上げ、それらを連結しつつ、ガラスで包む。震災前に東京で見たジブリのレイアウト展がちょうど巡回しており、超満員だった。ピクサー展と比較して、日本アニメの手による技や、天才型の作品制作がわかる。それにしても、ジブリの展示を訪れた100人に1人も、常設には流れていないというくらいのガラガラで残念である。せっかくジブリを契機に、美術館に足を運んだのだから、ここでつながらないともったいない。

写真:左=上から2つ《愛媛県美術館》 右=上から、《愛媛県美術館》、ジブリのレイアウト展

2016/06/19(日)(五十嵐太郎)

都築響一「エロトピア・ジャパン 神は局部に宿る」

会期:2016/06/11~2016/07/31

アツコバルー[東京都]

「神は局部に宿る」。さすが都築響一というべき素晴らしいネーミングのタイトルである。東京・渋谷のアツコバルーで開催された本展には、かつて日本各地に存在していた「秘宝館」の写真と実物の展示を中心に、まさにエロスのユートピア=「エロトピア」としかいいようがない日本人のエロス表現の諸相が盛りだくさんに並んでいた。
都築の冴え渡った編集能力によって構成された「ラブホテル」、「秘宝館」、「ベルベット・ペインティング」、「風俗詩」、「イメクラ」、「ラブドール」、「性のお達者クラブ」といった展示物を巡っていくと、あらためて日本人のエロスの風通しのよさに驚嘆させられる。江戸時代に異様なほどの活況を呈した「春画」を見ればわかるように、性的な営みを「罪」と見なすような西洋諸国とはまったく異質の、開放感あふれる性の表現が、少なくとも戦後の高度経済成長期まではその生命力を保ち続けていたことが、これらの出品物からいきいきと伝わってくるのだ。残念ながら、都築が撮影した11カ所の秘宝館が、伊勢の「元祖国際秘宝館」をはじめとして、「伊香保女神館」と「熱海秘宝館」を除いてはすべて閉館してしまったのを見てもわかるように、2000年代以降、そのエネルギーは枯渇しつつある。都築が精力的に撮影し、収集し続けてきたこれらのイメージが、もはや貴重な記録資料となってしまったことには、強い危惧感を覚えざるをえない。
「西洋のそれのように後ろめたく陰湿ではなく遊び心に溢れている」日本のエロス表現を、なんとか生き延びさせるにはどうすればいいのか。知恵を絞らなければならない時期が来ているようだ。

2016/06/19(日)(飯沢耕太郎)

杉本博司 趣味と芸術 ─味占郷展

会期:2016/04/16~2016/06/19

細見美術館[京都府]

『婦人画報』では「謎の割烹 味占郷」と題した連載が2013年9月より始まった。著者である「謎の割烹店亭主」が、著名人をゲストにむかえ、その人にあう料理とその席にあう古美術のコレクションでもてなす、という趣向。その中から、本展では3会場に25の床のしつらえが展示された。本展は、昨年、千葉市美術館で開催された展覧会の一部である。
魯山人か湯木貞一か、“趣味と芸術が重なるもてなしの場”という極まった想定からはそんな名前が連想される。しかし、ゲストも料理も存在しない展覧会では、写真家、古美術商、現代美術家という杉本博司(1948 -)の特異な経歴が浮き彫りにされる。本展で示されているのは杉本の趣味人としての見立てといってもよかろうが、それは古美術商としての見識であり、美術家としての美意識でもあるように思われる。例えば《つわものどもが夢のあと》では、軸装された平安時代の装飾法華経の前に南北朝時代の阿古陀形兜がひっくり返しておかれた。兜に生えた夏草は須田悦弘(1969 -)の彫刻だ。信じる者は救われると説く法華経と、戦乱の末の死と荒廃、さらにその上に栄華の儚さを偲ぶ句をのせる。それぞれの要素が精巧に組み上げられて、観る人のなかにはひとつのイメージが描きだされる。《時代という嵐》では、栗林中将司令官の洞窟で発見されたという硫黄島地図保管用鞄と硫黄島地図が展示された。意味ありげに一部が黒く塗り潰された地図は軸装されており、そこに用いられた菊桐紋の織模様が時代感を表現する。
宴席に招かれた客とまではいかないが、展示空間としては比較的小規模な本館ではじっくりと静かにその場を味わうことができる。[平光睦子]

2016/06/19(日)(SYNK)

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ユートピア・ヘテロトピア 烏鎮国際現代美術展

会期:2016/03/28~2016/06/26

烏鎮北柵紡績工場跡地、西柵観光地[中国・浙江省]

中国・浙江省の観光都市、烏鎮で催された国際展。烏鎮は「東洋のヴェニス」とも言われる水都で、地政学的には上海と杭州のあいだに位置する。古い街並みを人工的に保存した街は、中国人観光客の人気が高い。訪ねた初日は平日だったにもかかわらず、じつに多くの観光客で賑わっていた。
会場のひとつである西柵観光地は、ある種のテーマパークである。ビジターセンターで入場料を支払うと、巨大な湖を中心に形成された街に立ち入ることができる。あまりにも広大なため、ビジターセンターから街の中心部まで移動するには、無料で乗車できる電気自動車に頼るほかない。水路が入り組んだ街にはホテルや飲食店、土産物屋が軒を連ね、観光客は徒歩で、あるいは舟に乗って、ノスタルジックな風景を楽しむというわけだ。とりわけ夜間は、点在する灯りがロマンティックな雰囲気を醸し出し、多くの観光客が老酒を片手にまどろんでいた。
本展は、そのような観光都市の新たなコンテンツとして開発された。西柵観光地の敷地内には、いくつかの作品が野外展示されていたが、メインの会場は西柵観光地の敷地外にある北柵紡績工場跡地である。縦長の大きな工場を大幅にリノベーションした建物の内部は見事なまでに白く、快適な展示空間に仕上げられていた。ここで作品を展示したのは、マリーナ・アブラモヴィッチやビル・ヴィオラ、デミアン・ハースト、オラファー・エリアソン、キキ・スミス、ローマン・シグネール、リチャード・ディーコンといった西欧現代美術のビッグ・アーティストから、アイ・ウェイウェイ、ソン・ドン、シュ・ビン、マオ・トンチャンら中国人アーティスト。さらには日本からは荒木経惟と菅木志雄が参加した。全体的に旧作が多いとはいえ、これだけのアーティストの作品を一挙に鑑賞できるのは、本展のセールスポイントであると言えるだろう。

マオ・トンチャン《Tools》
菅木志雄《Law of Peripheral Units》

注目したのは、中国のリ・ビンユアン。パフォーマンス・アーティストで、各地で繰り広げた数々のパフォーマンスの記録映像を並べた。大量の金槌を同じ金槌で次々と叩き割ったり、刃物を仕込んだ靴を履いてバイクの後部座席に乗り火花を走らせたり、車道の両脇に立つ門柱のあいだを車が通過するたびに飛んで渡ったり、いずれも単純で愚直な身体行為が面白い。このようなパフォーマンス作品は日本においても見受けられる同時代的な傾向の現われと言えるが、彼のある種の馬鹿馬鹿しい作品が本展において際立って見えたのは、欧米アーティストによる身体表現の多くが──アブラモヴィッチしかり、シグネールしかり──、いずれも過剰なまでに思弁的な雰囲気を湛えていたからなのかもしれない。より直截に言い換えれば、息苦しくも強圧的な作品が立ち並ぶなか、リ・ビンユアンの軽妙な作品で救われたのだ。
しかし、このことはリ・ビンユアンの作品が例外的に評価できることを意味しているだけではない。西洋と東洋のあいだの身体表現をめぐる非対称性は、烏鎮ではじめられたこの国際展の行く末を暗示しているのではなかろうか。北京でもなく上海でもない、烏鎮というある意味で周縁的な都市で新たな国際展を開始するうえで、欧米のビッグ・アーティストを勢揃いさせた展示構成が有効であることは疑いない。けれども、この方針を引き続き継続するならば、本展は現在の世界に過剰供給されている国際展と芸術祭の、ワン・オブ・ゼムに終始してしまうことは火を見るより明らかだ。つまり重要なのは、欧米のアート・サーキットに乗ることより、むしろ烏鎮ならではの固有性と独自性を打ち出すことではないか。そのとき、例えばこの土地の風土や観光資源、歴史性が手がかりになるはずだが、残念ながら本展は欧米圏を志向するあまり、それらを有機的に統合するには至っていないようだ。展示の中心はあくまでも紡績工場跡地であり、これはテーマパークとしての西柵観光地の敷地外にあるため、観光客が流れてくることはほとんどないし、そもそも街中には国際展の開催を告知する広告物がまったくと言っていいほど見当たらなかった。辛うじて紡績工場の歴史性に言及したアン・ハミルトンの作品も、紡績工場跡地ではなく、なぜか西柵観光地内の劇場に展示されていたからだ。紡績工場跡地の会場にしても、国際展や芸術祭の祝祭性はほとんど見受けられず、どちらかと言えば静謐な美術館に近い。
今後の国際展と芸術祭のありようを考えるうえで、その土地固有の文化やローカル・アイデンティティが不可欠であることは言うまでもない。それがなければ、他の国際展や芸術祭と代替可能な凡庸なものに成り下がってしまうからだ。リ・ビンユアンのほか、中国国内のおびただしい監視カメラの映像をサンプリングすることで映画の予告編のような衝撃的な映像をつくり出したシュ・ビンなど、すぐれたアジアのアーティストがいるのだから、今後は彼らのようなアーティストを文化資源とすべきではなかろうか。

2016/06/18(土)(福住廉)

佐竹龍蔵展「ちいさなものたち」

会期:2016/06/18~2016/07/09

YOD Gallery[大阪府]

イノセントな瞳でこちらを見つめる少年少女像で知られる佐竹龍蔵。その作品をよく見ると、輪郭線は一切なく、すべてが薄く溶いた岩絵具を平筆で置いた小さな四角形の集合体、つまり点描画であることに気付く。絵画は光の集積にほかならない。その事実に改めて気づかされた。さて今回、佐竹が描いたのは、龍、風神、雷神、河童、しばてん(彼の故郷、高知県の妖怪)の4点である。なぜ聖獣や妖怪なのか、最初はその意図をつかみかねた。しかし少年少女を、性を超越した存在と考えれば合点がいく。彼が一貫して追求していたのは、スピリチュアルな、あるいは形而上的な存在なのか。それゆえ点描画なのか。次に彼に会った時、その辺りを詳しく訊ねたい。

2016/06/18(土)(小吹隆文)