artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

シリーズ・映像のクリエイティビティ ナム・ジュン・パイクとシゲコ・クボタ ─折元立身が70年代ニューヨークで出会ったアーティストたち

会期:2016/04/09~2016/07/24

川崎市市民ミュージアム・アートギャラリー1[神奈川県]

折元がニューヨーク滞在中の70年代にアシスタントを務めていたナム・ジュン・パイクと、妻の久保田成子のビデオアートを紹介。歴史的には価値ある作品だろうけど、時代的に先端であればあるほど色あせるのは早い。なにより折元展の感動覚めやらぬいま見せられてもね。

2016/06/12(日)(村田真)

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生きるアート 折元立身

会期:2016/04/29~2016/07/03

川崎市市民ミュージアム[神奈川県]

アーティストはだれしも自分の「生」とアートの一体化を夢見るが、「生」のほうは本人もコントロールできない偶然性に支配されるため、いつ、どこで、どんなふうにアートと合体するかわからない。折元の場合1990年代なかばに父が亡くなり、アルツ気味の母の世話をしなければならなくなったことから、なかば強引に生活とアートが合体した。せざるをえなくなった。それが「アート・ママ」シリーズだ。母の幼少期の苦い思い出を元に、巨大なハリボテの靴をはかせて写真に収めた《スモール・ママ+ビッグシューズ》、ベートーヴェンの「運命」に合わせて母の髪の毛を逆立てたりする映像《ベートーベン・ママ 川崎》など、母をモチーフにした連作を発表。いけない言い方だが、母がアルツを背負ってアートに闖入してきた感じ。折元にとっては新たなモチーフの発見であると同時に、母の再発見でもあったのではないか。さらに、介護の合間に抜け出して飲み屋で息抜きする1時間に、メモ用紙の裏に描いた500点ものドローイング《ガイコツ》や、海外で500人もの老婆を集めて食事をふるまうパフォーマンス《500人のおばあさんの昼食》など、「アート・ママ」から派生した作品もある。特にガイコツのシリーズは圧巻、ドローイングに感動するのは久しぶりだ。第2会場では、フランスパンを顔につけて街を練り歩く「パン人間」シリーズをはじめ、70-90年代の作品を中心に紹介しているが、どこか浮いているというか、「アート・ママ」ほどの説得力が感じられないのは、生とアートが一致していないからだろうか。逆にだから尾を引くような重苦しさがなく、安心して笑って見てられる面もある。いやあ見てよかった。

2016/06/12(日)(村田真)

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大石茉莉香個展 (((((事実のゲシュタルト崩壊))))))

会期:2016/06/07~2016/06/12

KUNST ARZT[京都府]

大石茉莉香はこれまで、崩壊する世界貿易センタービルや市街地を飲み込む津波など、メディアを通して大量に複製・流通した報道写真を極端に引き延ばし、銀色のペンキでドットを描いて覆うなど画像に物理的に介入することで、それらがドットやセルの集積でできた皮膜にすぎないことを露呈させ、不透明な物質性へと還元する絵画制作を行なってきた。本個展では、原爆のキノコ雲の写真を壁いっぱいに拡大してプリントし、オブラートで覆って、塩酸を塗りつけて溶かしていくライブペインティングが行なわれた。防護服とマスクを身に付けて臨む、危険な作業である。
塩酸によって溶けたオブラートは、ただれた膜となって表面にへばりつき、黒いインクも溶けて剥がれ落ち、紙の地色の「白」がところどころ露出している。その様は、熱線によって焼けただれた皮膚を想起させる(塩酸は、皮膚にかかると火傷の症状を引き起こす)とともに、それらが「インクの物質的な層がのった脆弱な表面にすぎない」という端的な事実をあっけらかんと露呈させている。痛ましい連想と、感情を挟む余地のない事実のあいだで、見る者は引き裂かれる。また、オブラートという素材の使用も示唆的だ。「オブラートに包む」という言い回しは、事実の婉曲的な表現、さらには情報の隠蔽や統制を連想させる。原爆投下の事実を当時の日本政府や軍部が隠蔽していたこと、そして3.11の原発事故においても情報の非公開があったこと。同様の構造の反復へと連想は広がっていく。大石は、原爆を投下した側からの特権的な視点でありつつ、既に私たちが慣れ親しみ、広く流通した「原爆のキノコ雲」という写真的経験を、文字通り溶解させ、不気味で「触れられないもの」へと再び変貌させることで、メディアに流通する映像の視覚的経験とは何かを問うている。
一方、何も描かれていない白いキャンバスをオブラートで覆い、同様に塩酸で溶かした作品は、戦後美術の反絵画的な試みを想起させ、美術史的な文脈への接続としても解釈できる。そこでは、炎で表面を焦がす、穴を開ける、切り裂く、破るなど、「絵画」という権威的・保守的な制度に対する攻撃が、キャンバスという物理的身体に直接的に加えられる暴力として顕現していた。大石によって溶かされた白いキャンバスは、そうした生々しい暴力性を増幅して見せるとともに、溶けて固まった透明なしずくがキラキラと光を反射する様は、「白」という単色の色彩とあいまって、審美的な静謐さを差し出してもいた。


会場風景

2016/06/12(日)(高嶋慈)

恩地孝四郎展 抒情とモダン

会期:2016/04/29~2016/06/12

和歌山県立近代美術館[和歌山県]

近代日本版画の第一人者である恩地孝四郎(1891~1955)の大回顧展。版画を中心に、油彩、素描、写真、書籍デザインなど約400点で構成されており、回顧展としては20年ぶり、これだけの内容は今後不可能ではないかと思わせる充実ぶりだった。本展で最も注目すべきは、戦後にGHQ関係者のウィリアム・ハートネットやオリヴァー・スタットラーが収集し米国に持ち帰ったコレクションが多数出品されていることであろう。しかし、筆者自身は「音楽作品による抒情」と題したシリーズが好きなので、どうしてもそちらに目がいってしまった。また本展では恩地の書籍デザインが多数出品されていたが、その斬新なグラフィックセンスには目を見張らざるを得ない。特に1930年代の仕事は先進的で、現代のデザインと比較しても劣るどころかむしろ魅力的であった。

2016/06/12(日)(小吹隆文)

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竹中工務店400年の夢 ─時をきざむ建築の文化史─

会期:2016/04/23~2016/06/19

世田谷美術館[東京都]

近世の社寺建築から近現代の仕事までを一気に紹介する好企画である。やはり、国立劇場や二国のコンペに勝利したことは大きな扱いになっていた。図面や模型、1964年に創刊した竹中の季刊誌『approach』の全バックナンバーのほか、竣工当時のパンフ、美術館らしく建物と関連する絵画作品も含む、濃密な内容が楽しめる。が、詰め込みすぎになった展示デザインはやや粗い。また最後のメディアアート風のインスタレーションは全然いただけない。

2016/06/11(日)(五十嵐太郎)

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