artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

生きるアート 折元立身

会期:2016/04/29~2016/07/03

川崎市市民ミュージアム[神奈川県]

1980年代から新作まで、270点以上の作品を二つの企画展示室を使って一堂に会した折元立身展。彼のパフォーマー、アーティストとしての軌跡を総ざらいする、圧倒的な迫力の展示だった。
1990年代の代表作である「パン人間」、今年97歳になるという母親との介護の日々を、数々のアート・パフォーマンスとして展開した「アート・ママ」、その発展形といえる「500人のおばあさんとの昼食」(ポルトガル/アレンテージョ・トリエンナーレ、2014)をはじめとする食事のパフォーマンス、日々描き続けられている膨大な量のドローイング、「子ブタを背負う」(2012)など、ユニークな「アニマル・アート」──どの作品にも、生とアートとを直接結びつけようという強い意志がみなぎっており、彼のポジティブなエネルギーの噴出を受け止めることができた。
折元はごく初期から、写真や映像を使ってパフォーマンスを記録し続けてきた。一過性のパフォーマンスをアートとして定着、伝達していくための、不可欠な手段だったのだろう。だがそれ以上に、写真や映像を撮影すること自体が、アーティストとパフォーマンスの参加者とのあいだのコミュニケーションのツールとして、重要な役目を果たしていることに気がつく。カメラを向けられることで、その場に「参加している」という高揚感、一体感が生じてくるからだ。写真や映像を記録のメディアとして使いこなすことで、彼のパフォーマンスは秘儀的な、閉じられた時空間に封じ込められることなく、より風通しのよいオープンなものになっている。写真作品としての高度な完成度を求めるよりも、パフォーマンスの正確な記録に徹することで、はじめて見えてくるものがあるのではないだろうか。現代美術家の「写真使用法」の、ひとつの可能性がそこにあらわれている。

2016/06/03(金)(飯沢耕太郎)

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没後50年 ”日本のルソー” 横井弘三の世界展

会期:2016/04/17~2016/06/05

練馬区立美術館[東京都]

横井弘三(1889-1965)の回顧展。長野県飯田市に生まれ、上京した後、独学で絵を学び、二科展に出品して第1回の樗牛賞を受賞して将来が期待されるも、関東大震災以後は二科展をはじめとする既成画壇と決別し、長野市に移住してからも素人画家として数多くの絵画を制作した。本展は、そうした横井の長い画業を200点あまりの作品と資料によって辿ったもの。横井については信州新町美術館がすでに数多くの作品を所蔵しているが、本展は時系列を軸に展示を構成することで、より体系的かつ網羅的にその画業を俯瞰した。
「日本のルソー」というフレーズが示しているように、横井弘三の絵画は素朴派として位置づけられることが多い。事実、石井柏亭はその画風の特徴を「素人画の稚拙さを保っている」点に見出していた。また、より厳密にその絵画を分析するならば、類型的な描写を反復させながら画面の隅々まで絵の具で執拗に埋め尽くした点は、いわゆるナイーヴ・アートの特徴と通底している。来るべき東京オリンピックを前に、ある種の「危険分子」が周到に排除されつつあるアウトサイダー・アートやアール・ブリュットと同じように、本展は明らかに横井作品の「人を微笑ませるのびやかな」(本展図録、p.5)純粋性を強調していたのである。
しかし横井弘三には、素朴派とは到底言い難い、別の一面もあった。本展ではわずかに言及されているだけだったが、それは既成団体と正面から格闘する、ある種のアクティヴィストとしての横井という一面である。1926年、関東大震災からの帝都復興を記念して、上野に東京府美術館が開館したが、その開館記念として催された「聖徳太子奉賛記念展」(5月1日〜6月10日)は、既成画壇の重鎮ばかりを優遇し、とりわけ洋画部門に限っては一般公募をせず、新人作家を締め出していた(ちなみに西洋画部門に出品したのは、古賀春江や神原泰である)。横井はこれに大いに激怒した。
「聖徳太子を奉讃する総合展を開くなれば、規定をつくる前に委員と目したものを全部集めて、皆の意見をきき、それを総合して規定をつくるべきが至當である。所が奉賛會は老朽の顧問なるものを僅か集め、それらの連中によつて、勝手キマゝの不都合横暴千萬の規定をこさへた。(中略)『但西洋畫に限り一般公募せず』なる最も非民衆的の塀をつくつて、有名作畫家のみが、いゝ氣持ちになつて、東京府美術館の、一番乗りの占領をし面白がらうとするのである」(横井弘三「大花火を打さ上げろ」『マヴォ』1925年7月号)。
つまり、横井はあくまでも民主的であるべきだと主張したのである。そのため、横井は奉賛展の旧態依然とした封建的なあり方に強く抗議する一方で、民主的な展覧会を自ら企画する。それが、奉賛展とほぼ同じ時期に(5月1日〜10日)、同じく上野の東京自治会館で催した「第一回理想大展覧会」である。これは、ある種のアンデパンダン展で、「日本畫、洋畫のへだてなく、新派舊派の別もなく、文字、彫塑、ダダ、構成作等、又、新案日用生活品から、發明品構築物、其他、各出品者が、創造したあらゆる、造型を出陳する、抱擁力」(横井弘三「理想・展覧会・規約」)を誇っていた。
日本におけるアンデパンダン展といえば、1919年の黒耀会によるものが嚆矢として知られているし、理想展の直前には、画家の中原實が画廊九段で催した「首都美術展覧会」(1924)や「無選首都展」(1925)などがすでにあった。だが、理想展がそれらのアンデパンダン展と一線を画していたのは、横井の主張に見受けられるように、あらゆる人々の、あらゆる造型を受け入れ、実際に展示する、その間口の圧倒的な広さにある。事実、理想展にはじつに106名が参加したが、その内訳は村山知義や岡田龍夫らマヴォの面々をはじめ、会社員、看板屋、画学生、百姓、高等遊民、労働者、小学生、コック、官吏、青物問屋、職工、写真業、乞食、僧侶、煙草屋、デットアラメ宗宗主など、怪しげな者も含む、文字どおり多種多様な人々だった。決して大きくはない空間のいたるところに展示された333点の出品作も、絵画をはじめ、詩、看板、小学生の自由画、漫画、はたまた手相による運命鑑定、バケツを叩きながらの美術の革命歌の合唱、吃又の芝居、さまざまなダダ的パフォーマンス、さらには「『リングパイプ』と名づけた金属製の新案指輪煙草ハサミだのこれ亦新案特許を得てゐる室内遊戯具『コロコロ』を大型な野外運動具に拵え直したもの」、「中には『犬小屋』藝術をほこる男もあればアメリカ帰りの富山直子夫人が創作的な『お料理』を出さうと言う騒ぎ」(『読売新聞』1926年3月23日朝刊3頁)。つまり現在はもちろん、当時の基準からしても、到底「美術」とは考えられないような、文字どおりあらゆる造型や行為が披露されたのである。初日の5月1日はメーデーであったことから、日比谷公園から上野公園に流れてきたおびただしい労働者たちが会場に押し寄せたことも、理想展の混沌とした魅力を倍増させたようだ。
「人を喰つた美術の革命展」(『読売新聞』1926年5月6日朝刊2頁)、「葉櫻の上野に珍奇な對照 五色のうづまく奉賛展 人を喰つた理想展」(『やまと新聞』1926年5月2日朝刊2頁)。当時の新聞記事を見ると、横井のねらいどおり、理想展は奉賛展に対するアンチテーゼとして報じられていたことがよくわかる。むろん、その挑戦は美術の体制を転覆するほどの革命的な力を発揮したとは言い難い。けれども敵対勢力を言論上で批判するだけでなく、それらとの接触領域を、一時的とはいえ、現実的に出現させた点は、大いに評価されるべきである。なぜなら、あの「読売アンデパンダン展」ですら、あるいはその後の「アンデパンダン’64展」ですら、過激な表現行為を繰り出したことは事実だとしても、これほど直接的な敵対関係に基づいてはいなかったからだ。60年代のアンデパンダン展は、既成画壇と敵対しながらも、それとの接触領域ではなく、むしろそれと隔絶した自律的領域を構築した。対照的に、20年代のアンデパンダン展を組織した横井は、例えば数人の仲間たちとともに隣接する東京府美術館にわざわざ出向き、その前で理想展の目録をどんどん配布して叱られたという(横井弘三「理想郷の理想展祭り」『美の國』1926年6月号)。横井は東京府美術館という権威的な空間の傍らに、まことに民主的な美術の理想郷を建設しただけでなく、その理想郷を権威的な美術館と接触させることで、そこにある種の生々しい生命感を生んだのだ。
アート・アクティヴィストとしての横井弘三。これは、あくまでもナイーヴ・アートとしての横井に焦点を当てることに終止した本展からは見えにくいが、しかし、横井にとってはもっとも本質的な、すなわちもっとも魂が躍動した、まことに芸術的な経験だったにちがいない。既存のオーソドックスな展示構成に呪縛されるあまり、このような横井弘三の真骨頂を大々的に取り上げることができない公立美術館には、いったいどんな接触領域が有効なのだろうか。

2016/06/03(金)(福住廉)

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ポール・スミス展 HELLO,MY NAME IS PAUL SMITH

会期:2016/06/04~2016/07/18

京都国立近代美術館[京都府]

ファッションの展覧会といえば、歴代のコレクションがズラリと並ぶ服飾展を連想するのが当然だ。しかし本展の主役は、イギリスを代表するファッション・デザイナーであるポール・スミス自身。彼が10代の頃から収集してきた約500点もの美術品や、雑然としたオフィスやデザインスタジオ、わずか3メートル四方の第1号店などの再現、一風変わった郵便物、自身の頭の中をテーマにした映像インスタレーション、ストライプのカラーリングを施したミニ(自動車)とトライアンフ(バイク)などが並び、歴代コレクションは最後にやっと登場するといった具合だ。展示総数は約2800点。あまりにも数が多くて集中力が続かないほどだが、ポール・スミスの人柄は確かに伝わった。きっと彼は、デザイナーである以上に、プロデューサー体質なのだろう。でなければこんな展覧会は実現しない。記者発表には本人も出席し、気さくなリアクションを連発していたのが印象的だった。その席で英国のEU離脱問題について彼がどう考えているか聞きたかったが、タイムオーバーで質問できなかったのが残念だ。

2016/06/03(金)(小吹隆文)

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須崎祐次「Hole of Human」

会期:2016/05/13~2016/06/11

EMON PHOTO GALLERY[東京都]

須崎祐次の個展「Hole of Human」を見て、あらためて写真展示における「パレルゴン」(額縁、マット、台紙、ピンなど)の意味について考えた。画像そのものを本質として考えれば、それらは余分な装飾的な要素にすぎない。写真の純粋性を究めるならば、なるべくシンプルでミニマムな展示のあり方がいいという考え方もあるだろう。だが、今回の須崎の作品でいえば、古いゴシック的な額縁を使ったり、画像の上に穴がたくさんあいたプラスチック板を重ねたりといった「パレルゴン」的な操作は、写真の内容と分ちがたく結びついており、一体化して、面白い視覚的な効果を生じさせている。凝りに凝った「コスプレ」のマスクや衣装(自分でデザインして特注したもの)を身につけた女性たちの身体の一部を、複数の穴から覗けるようになっているのだが、その仕掛けが無理なく、効果的に働いているのだ。
須崎は日本大学芸術学部写真学科卒業後、1988~92年にニューヨークで写真家として活動した。帰国後、92年に写真「ひとつぼ展」の前身にあたる、ガーディアン・ガーデンのコンペでグランプリを受賞して注目されるが、その後は模索の時期が続いていた。だが、前回のEMON PHOTO GALLERYでの個展「COSPLAY」(2013)のあたりから、自分のこだわりを形にしていく技術力の高さと、研ぎ澄まされたフェティッシュな嗜好とがうまく合体して、独自の写真の世界が生み出されつつある。視覚的なエンターテインメントとしてのレベルの高さも感じるので、日本の「コスプレ」文化に関心が深い、海外での本格的な展示も期待できそうだ。

2016/06/02(木)(飯沢耕太郎)

中島千波とおもちゃシリーズ 画家のひみつ

会期:2016/05/31~2016/07/10

渋谷区立松濤美術館[東京都]

現代日本画壇事情には疎いが、それでも中島千波といえば桜の絵を代表とする花鳥、人物、風景の画家として著名であることは知っている。多岐にわたる制作活動の中で、中島千波が生涯描き続けたいと語っているのが、本展で特集されている「おもちゃシリーズ」だ。描かれているのは「おもちゃ」といってもトイではなくて、陶製や木製の動物たちの置物──いわゆる民芸品で、メキシコの陶製・木製の動物をはじめてとして、ペルーやフランス、ベルギー、インド、日本など、産地はさまざま。「おもちゃシリーズ」では、だいたい前景にいくつかのおもちゃと花が組み合わされ、背景に窓が描かれている。最初におもちゃを描いた作品は1972年の《桜んぼと鳩》(本展には出品されていない)。そこにはその後のシリーズの原型がすでにある。銅版画家・浜口陽三のサクランボの作品のようなものを日本画にしたらどうなのだろうというところから始まったという。窓は「結界」で、デュシャンやマグリットの影響。初期の作品に描かれている窓の外にただよう雲や、割れたワイングラスや壊れたテーブルの脚は社会の不安を表し、平和の象徴である鳩と対比している。しかし、近年描いているおもちゃシリーズはメルヘンの世界だという。じっさい出展作品の大部分は純粋に楽しく見ることができるものばかりだ。地階展示室は、主に2008年に高島屋美術部創設100年を記念して開催された展覧会のために描かれたもの。2階展示室は、初期作品と近年の作品とが並ぶ。これは本人が語っていたことだが、おもちゃシリーズは売れないのだそうだ。これは意外だった。やはり桜の画家としてのイメージが強いのだろうか。2008年の展覧会出品作品は大部分が手元に戻ってきて、半分は自宅に、半分はおぶせミュージアム・中島千波館(長野県)に寄贈し、それゆえ今回まとまって出品することができたのだという。
本展では、おもちゃシリーズの作品とモチーフになったおもちゃ、花のデッサンが合わせて展示されている。とくに地階展示室ではおもちゃが露出展示されており、ディテールを間近で見ることができる。花はそれぞれの旬にデッサン、着彩されたもの。どの作品に用いるかは関係なく描きためられたもののなかからモチーフが選ばれるという。おもちゃはほとんどの場合デッサンを経ることなく、実物を見ながら直接描いているとのこと。作品と見比べると、色や模様はデフォルメされることもあるようだ。このようにふだん見ることができない創作のプロセスを見せているがゆえに、展覧会のサブタイトルは「画家のひみつ」なのだ。
モチーフに用いられたおもちゃのなかでも、メキシコ・トナラの陶製の動物、オアハカの木製の動物たちはとても魅力的。画のモチーフになったもの以外にも画家はたくさんのおもちゃを所有しているそう。いつの日か、中島千波コレクション展を見てみたい。[新川徳彦]


展示風景

★──中島千波『おもちゃ図鑑』(求龍堂、2014)8~9頁

2016/06/02(木)(SYNK)

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