artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
WALLS TOKYO COLLECTION
会期:2016/05/10~2016/05/23
代官山蔦屋書店1階ギャラリースペース[東京都]
バンクシー、バリー・マッギー、カウズらストリートアーティストの売り絵。バンクシーはエディション600のシルクスクリーン作品なのに、1点200万円とダントツに高い。こんなの買うやつの気がしれないが、その売り上げが次のプロジェクトの資金になるのであれば反対はしない。
2016/05/22(日)(村田真)
川内倫子「The rain of blessing」
会期:2016/05/20~2016/09/25
Gallery 916[東京都]
東京ではひさびさの川内倫子展。もはや、どんなテーマでも自在に自分の世界に引き込んでいくことができる、表現力の高まりをまざまざと示すいい展覧会だった。展示は4部構成で、2005年刊行の写真集『the eyes, the ears,』(フォイル)の収録作から始まり、2016年1月~3月に熊本市現代美術館で開催された「川が私を受け入れてくれた」の出品作に続く。次に昨年オーストリア・ウィーンのクンスト・ハウス・ウィーンで開催された個展「太陽を探して」からの作品のパートが続き、最後に新作シリーズ「The rain of blessing」が置かれている。
どの作品も充実した内容だが、特に「川が私を受け入れてくれた」の、言葉と映像との融合の試みが興味深い。熊本で暮らす人々に「わたしの熊本の思い出」という400字ほどの文章を綴ってもらい、その内容をもとにして川内が撮影場所を選んでいる。会場には写真とともに、川内がそれぞれの文章から抜粋した短い言葉が掲げられていた。謎めいた、詩編のような言葉と、日常と非日常を行き来するような写真とが絶妙に絡み合い、なんとも味わい深い余韻を残す作品に仕上がっている。新作の「The rain of blessing」は、出雲大社の式年遷宮、ひと塊になって飛翔する鳥たちの群れ、熱した鉄屑を壁にぶつけて火花を散らす中国・河北省の「打樹花」という祭事の三部作である。出来事のなかに潜んでいる「見えない力」を引き出そうとする意欲が伝わってくる、テンションの高い写真群だ。別室では同シリーズの動画映像も上映されていて、こちらも見応えのある作品に仕上がっていた。
川内が日本を代表する写真の表現者として、揺るぎない存在感を発しつつあるのは間違いない。今後は、欧米やアジア諸国の美術館での個展も、次々に実現できるのではないだろうか。むしろ彼女の作品世界をひとつの手がかりとして、「日本写真」の輪郭と射程を測ってみたい。
2016/05/22(日)(飯沢耕太郎)
1945年±5年 激動と復興の時代 時代を生きぬいた作品
会期:2016/05/21~2016/07/03
兵庫県立美術館[兵庫県]
最近の芸能人の不倫騒動や、東京都知事の辞任問題を見て感じるのは、とにかく白黒をはっきりつけたがる、相手に少しでも落ち度があれば徹底的に叩いても構わないという、硬直した風潮である。現実はもっと複雑で、世の中の事象の多くはグレーのグラデーションではないかと思うのだが(悪質な犯罪は除く)。それは過去を振り返る場合も同様で、ステレオタイプな印象で判断すると、本質を見失いかねない。1940年~50年の日本の美術をテーマにした本展を見て感じたのはそういうことだ。例えば、太平洋戦争初期の1942年には、まだお洒落な洋装の女性を描いた油彩画が発表されていた。戦後に国家を断罪する作品を描いた美術家が、戦中は大東亜共栄圏を賛美する作品を手掛けていた。戦争画を描いた画家のなかには、満州のロシア人地区など海外の珍しい風景をスケッチしたいがために従軍した者が少なからずいた。それは研究者にとっては既知の事実かもしれないが、少なくとも筆者には初耳の新事実であった。もちろん当時は国家総動員体制で、思想統制・報道統制が敷かれており、戦況の悪化とともに国民は耐乏生活を強いられ、戦地・銃後を問わず多くの人が亡くなった。それは紛れもない事実だが、一方で別の事実があることも知っておかなければ、人は知らず知らずのうちに偏見に絡め取られてしまうだろう。近代日本史上最大の激動期を、白か黒かではなくグラデーションとして提示した点に本展の価値はある。
2016/05/21(土)(小吹隆文)
麗しき故郷「台湾」に捧ぐ 立石鐵臣展
会期:2016/05/21~2016/07/03
府中市美術館[東京都]
立石鐵臣という名を聞いてタイガー立石(立石太河亞)の親族だと勘違いしたのは、単に名字が同じだったからだ(臣と亞も似てるでしょ?)。略年譜を見ると、鐵臣の長男は偶然にもタイガーと同年の1941生まれ。でも親子ではなさそうだ。ま、それはともかく、立石鐵臣は台湾に生まれ、日本で日本画を学んだあと、岸田劉生や梅原龍三郎に師事。第2次大戦までは日台を往復しながら絵を描いていたが、戦後は日本で国画会を中心に発表してきた。といってもいわゆる団体展系の絵とは違って、日本画、梅原、細密画、シュルレアリスムといった相反する要素が作品ごとに割合を変えながら出現するという不可解な画風なのだ。例えば今回日本初公開になる《台湾画冊》は、戦前の台湾の風俗を墨で絵日記風に描いたもので、絵と言葉による的確な描写は歴史的資料としても貴重なものだろう。その一方で、植物や昆虫の図鑑のために描いた細密画は、もはや図版用の原画の域を超えて超絶技巧が一人歩きしている(そういえば彼は初期の美学校で細密画工房をやっていて、それで名前を見たことがあるのだ)。さらに晩年にはこれらのスキルを総動員して、《月に献ず》《春》《身辺 秋から冬へ》みたいなシュールな細密画を試みたかと思えば、最晩年には《焼岳(昼)》のように梅原流の表現主義的な風景画に戻ったりもしている。この、どこに着地するかわからない振れ幅の大きさこそ、いまどきのアーティストに欠けているものではないか。
2016/05/21(土)(村田真)
ナティー・ウタリット “Optimism is Ridiculous"
会期:2016/05/10~2016/06/04
メグミオギタギャラリー[東京都]
東南アジアのアーティストには珍しい、一見古典的な静物画。矢が刺さった子鹿をはじめウサギやカモなどの獲物が描かれているので、17世紀オランダあたりで流行った狩猟画というべきか。これも静物画の一種ではあるけれど、「スティル・ライフ(静かな生)」というより「ナチュール・モルト(死んだ自然)」と呼ぶのがふさわしい。しかしタイトルの「Optimism is Ridiculous(楽天主義はバカバカしい)」を見ると、なにか政治的意図が隠されているのかもしれない。
2016/05/20(金)(村田真)