artscapeレビュー

大石茉莉香個展 (((((事実のゲシュタルト崩壊))))))

2016年07月15日号

会期:2016/06/07~2016/06/12

KUNST ARZT[京都府]

大石茉莉香はこれまで、崩壊する世界貿易センタービルや市街地を飲み込む津波など、メディアを通して大量に複製・流通した報道写真を極端に引き延ばし、銀色のペンキでドットを描いて覆うなど画像に物理的に介入することで、それらがドットやセルの集積でできた皮膜にすぎないことを露呈させ、不透明な物質性へと還元する絵画制作を行なってきた。本個展では、原爆のキノコ雲の写真を壁いっぱいに拡大してプリントし、オブラートで覆って、塩酸を塗りつけて溶かしていくライブペインティングが行なわれた。防護服とマスクを身に付けて臨む、危険な作業である。
塩酸によって溶けたオブラートは、ただれた膜となって表面にへばりつき、黒いインクも溶けて剥がれ落ち、紙の地色の「白」がところどころ露出している。その様は、熱線によって焼けただれた皮膚を想起させる(塩酸は、皮膚にかかると火傷の症状を引き起こす)とともに、それらが「インクの物質的な層がのった脆弱な表面にすぎない」という端的な事実をあっけらかんと露呈させている。痛ましい連想と、感情を挟む余地のない事実のあいだで、見る者は引き裂かれる。また、オブラートという素材の使用も示唆的だ。「オブラートに包む」という言い回しは、事実の婉曲的な表現、さらには情報の隠蔽や統制を連想させる。原爆投下の事実を当時の日本政府や軍部が隠蔽していたこと、そして3.11の原発事故においても情報の非公開があったこと。同様の構造の反復へと連想は広がっていく。大石は、原爆を投下した側からの特権的な視点でありつつ、既に私たちが慣れ親しみ、広く流通した「原爆のキノコ雲」という写真的経験を、文字通り溶解させ、不気味で「触れられないもの」へと再び変貌させることで、メディアに流通する映像の視覚的経験とは何かを問うている。
一方、何も描かれていない白いキャンバスをオブラートで覆い、同様に塩酸で溶かした作品は、戦後美術の反絵画的な試みを想起させ、美術史的な文脈への接続としても解釈できる。そこでは、炎で表面を焦がす、穴を開ける、切り裂く、破るなど、「絵画」という権威的・保守的な制度に対する攻撃が、キャンバスという物理的身体に直接的に加えられる暴力として顕現していた。大石によって溶かされた白いキャンバスは、そうした生々しい暴力性を増幅して見せるとともに、溶けて固まった透明なしずくがキラキラと光を反射する様は、「白」という単色の色彩とあいまって、審美的な静謐さを差し出してもいた。


会場風景

2016/06/12(日)(高嶋慈)

2016年07月15日号の
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