artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
人造乙女美術館
会期:2016/04/26~2016/05/22
ヴァニラ画廊[東京都]
ラブドールの展覧会。これまで4回オリエント工業の協力でラブドール展を開いてきたそうだが、今回は美術史家の山下裕二が監修し、池永康晟の美人画をモデルにドールを制作するという趣向だ。山下センセー、こんなところでもご活躍ですね。ダッチワイフ時代から長足の進歩を遂げたとは聞いていたが、間近に見るのは初めて。たしかにリアルだけど、チラシにあるように「不気味の谷」を越える安心感があるのも事実。それはたぶん動かないからだろうね。もしラブドールが最近のロボットみたいにぎこちなく動き出したら、男どもは喜ぶどころか興ざめも通り越して、一気に不気味の谷に突き落とされるはず。おそらくラブドールロボットの需要は当分ないだろう。てか、もうすでに開発されてて、ある種の人たちに愛用されてたりして。それこそブキミだ。話がそれた。別室ではラブドールに直に触れるコーナーもあり、いちおう並んで順番が来たらナフキンで手を拭いて、上半身を触らせていただいた。指にまとわりつくようなモチモチ肌……。
2016/05/20(金)(村田真)
椿会展 2016 ─初心─
会期:2016/04/28~2016/06/19
資生堂ギャラリー[東京都]
赤瀬川原平、畠山直哉、内藤礼、伊藤存、青木陵子、島地保武の6人。赤瀬川は雑誌『流動』のために描いた珠玉のイラスト。畠山はメキシコの風景写真6点を出しているが、1点だけ風景を撮る少女にピントを合わせた写真があった。これいいなあ。内藤は静脈が透けるような人肌みたいな絵肌のアクリル画と、床に小さい人形を20体ほど。絵を見ながら進むと人形を踏みつぶしそうになるが、あくまで囲いを設けない姿勢がうれしい。以下省略。
2016/05/20(金)(村田真)
オルセー美術館・オランジュリー美術館所蔵 ルノワール展
会期:2016/04/27~2016/08/22
国立新美術館 企画展示室1E[東京都]
オルセー美術館からコレクションを借りて、肖像画、風景画、子ども、花、裸婦などのテーマに分けながら、女性がふくよかになる彼の軌跡もたどりつつ、舞踏など同時代の背景も紹介する。次男ジャン・ルノワールの色鮮やかな映画『フレンチ・カンカン』も会場で流す。また会場では、公園のようなベンチを置く空間構成を試みており、場の雰囲気を変えていた。
2016/05/19(木)(五十嵐太郎)
森村泰昌「自画像の美術史 「私」と「わたし」が出会うとき」
会期:2016/04/05~2016/06/19
国立国際美術館[大阪府]
つくづく、森村泰昌は「考える」アーティストだと思う。美術史について、20世紀という時代について、日本文化について、つねに思考を巡らし、アイディアを練り上げ、作品化していく。その営みが1985年の石原友明、木村浩との三人展「ラデカルな意志のスマイル」にゴッホの自画像に扮した作品を出品して以来、30年以上もずっと続いているのは、本当に凄いとしかいいようがない。今回の国立国際美術館での個展では、まさに彼の思考の中心テーマであり続けてきた美術史における自画像の問題に真っ向から取り組んでいて、広い会場に並ぶ125点の作品を見終えると、ぐったり疲れてしまう。それだけ全力投球の力作が目白押しなのだ。
展示は第一部「自画像の美術史」と第二部「「私」と「わたし」が出会うとき」の2部構成になっている。第一部はさらに10章に分かれ(プロローグとして0章「美術史を知らなかったころの「わたし」がいる」が置かれる)、旧作と新作を織り混ぜながら、さまざまな画家たちの自画像への取り組みが、森村による解釈によって再構築される。特に興味深かったのは、日本のアーティストを取り上げた第5章「時代が青春だったときの自画像は美しい」と第6章「日本の前衛精神は眠らない」である。松本竣介、萬鉄五郎、村山槐多、関根正二、岡本太郎らを取り上げる森村の手つきが、西洋美術史の作品とは、微妙に違っているように見えるのだ。時代と切実に切り結ぶ日本のアーティストたちの自己イメージを、日本人である彼自身の内側から引きずり出そうとしているようでもある。
だが、本展の白眉といえるのは、70分という大作映像作品を上映する第二部「「私」と「わたし」が出会うとき」のほうだろう(撮影監督・編集、藤井光)。レオナルド・ダ・ヴィンチ、カラヴァッジョ、ディエゴ・ベラスケス、レンブラント・ファン・レイン、ヤン・ファン・エイク、アルブレヒト・デューラー、ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン、ヨハネス・フェルメール、フィンセント・ファン・ゴッホ、フリーダ・カーロ、マルセル・デュシャン(ただし「不在であることが存在の証」ということで欠席)、アンディ・ウォーホル、そしてヤスマサ・モリムラを招聘し、それぞれに自画像における「私」とは何かについて語らせるという、破天荒な構想の「シンポジオン」の記録映画であり、森村の長年にわたる思考実験の集大成というべき力のこもった作品である。たしかに饒舌で思弁的な映像ではあるが、それらがあくまでもアーティストの実感を基にして身体化されているのでとても説得力があった。気になったのは、第一部でも第二部でも、最後のパートに森村自身の個人的な記憶、経験が大きくクローズアップされていたこと。今後の彼の仕事のなかで、自伝的な語り口がより重要な意味を持ってきそうな予感がする。
2016/05/19(木)(飯沢耕太郎)
日伊国交樹立150周年記念 カラヴァッジョ展
会期:2016/03/01~2016/06/12
国立西洋美術館 企画展示室[東京都]
世界遺産入りの見通しが立ったことにより、大勢の人で賑わう国立西洋美術館へ。カラヴァッジョ展は、本人の作品点数こそ多くはないがけっこういい絵が来ており、同時代や後世の彼のフォロワーとを比較できるのが嬉しい。類似した絵と並べることによって、色、表情、構成など、カラヴァッジョの卓抜した力量を確認できるからだ。特になぜかちゃんと額装されていない、明らかに下手な絵があって、あまりにレベルが違う。
2016/05/18(水)(五十嵐太郎)