artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
富士ゼロックス版画コレクション×横浜美術館 複製技術と美術家たち─ピカソからウォーホルまで
会期:2016/04/23~2016/06/05
横浜美術館[神奈川県]
6月5日(日)
富士ゼロックスの版画コレクションに、横浜美術館の写真コレクションなどを加えた「複製芸術」の展示。なぜ富士ゼロックスかというと、横浜美術館と同じ、みなとみらい地区に本社があるから。しかもコピー機の会社だからコレクションは版画。主催者からすれば近い、軽い、安い、の3拍子そろってるので、こりゃ便利。でも見る側からすれば、タイトルにある「複製技術」と聞いただけで行く気が萎える。同じ作品が複数あるので、アウラ(平たくいえば、ありがたみ)が薄く感じられるからだ。それが最終日まで行くのをためらった言い訳だ。で行ってきました。ピカソ、マティス、デュシャン、斎藤義重、リキテンスタイン、荒川修作、ドナルド・ジャッドなどがあり、最後はウォーホルのポラロイドによる9点組の肖像シリーズで、そのうちの1枚は亡くなったばかりのモハメド・アリだった。懐かしかったのは、ゼロックスコピーを使った高松次郎の《日本語の文字(この七つの文字)》と《英語の単語(These Three Words)》という作品。最初にこれを見たとき(もう40年以上前だが)、めまいがするほど感動した。あの感動はいまどこに?
2016/06/05(日)(村田真)
山谷佑介&松川朋奈「at home」+沢渡朔「Rain」
会期:2016/06/04~2016/07/02
YUKA TSURUNO GALLERY[東京都]
不思議な組み合わせの3人展だ。山谷佑介は赤外線カメラでネガ像に転換したボール紙のようなペラペラの感触の「家」の写真を、松川朋奈は同世代の女性たちの日常の痕跡を描いた油絵を「at home」というタイトルで出品している。沢渡朔はここ10年ほど折に触れて撮影してきた「Rain」のシリーズから、夜に撮影された縦位置の写真を展示した。方向性はまったくバラバラだが、そこにはどこか共通の視点も感じられる。山谷が「ホラー感」という言葉で的確に表現していたのだが、どの作品にも何とも不穏な雰囲気、どことなく不安げで危険な匂いが漂っているのだ。
それが一番強く感じられるのは、やはり沢渡の「Rain」だろう。雨に濡れそぼった街、繁茂する植物、その中を軟体動物のようにぬめぬめと漂う車や人間たち──この作品には、あらゆる事物をエロティシズムの原理が支配する世界に封じ込めようとする沢渡の志向がよくあらわれている。じつはこのシリーズは以前、ヌードの女性たちの絡みの写真群とカップリングして発表されたことがあった。国書刊行会から展覧会にあわせて同名の写真集が刊行されているのだが、残念なことにヌードのパートは割愛されている。ぜひ、別ヴァージョンの「Rain」の写真集としてまとめてほしいものだ。
なお、YUKA TSURUNO GALLERYは本展を最後にして東京・東雲から天王洲アイルに移転する。今回の展示の3人中2人が写真家であることでわかるように、これから先も現代写真にスポットを当てた展示が期待できそうだ。
2016/06/04(土)(飯沢耕太郎)
幻の海洋写真家・木滑龍夫の世界
会期:2016/05/23~2016/06/04
表参道画廊[東京都]
表参道画廊ではここ3年ほど、5月~6月のこの時期に、「東京写真月間」にあわせて写真史家の金子隆一の企画による写真展を開催している。一昨年の大西茂、昨年の写真雑誌『白陽』の写真家たちに続いて、今年は北海道・小樽で写真家として活動した木滑龍夫(1897~1941)の作品が展示された。
木滑は東京・東大久保に生まれ、海軍除隊後、函館の汽船会社の社員となって、無線局長として船に乗り組んでいた。そのかたわらアマチュア写真家としても活動する。1939年に『アサヒカメラ』が主催した「海洋写真展覧会」で「激浪」が一等になり、一躍「海洋写真家」として名前が知られるようになった。その後も、写真展や写真雑誌上で作品を発表していたが、1941年に北千島に向かう途中で海難事故のために亡くなった。
残された1930年代のヴィンテージ・プリント20点を見ると、木滑が同時代のモダニズム=「新興写真」の美学に基づいて作品を制作していたことが明確に伝わってくる。船体の一部を斜めのアングルで切り取った作品や、街頭のスナップ写真、岩のクローズアップなどの造形意識は、まさに典型的な「新興写真」的なアプローチといってよいだろう。だが、彼のホームグラウンドというべき、逆巻き、砕ける波を船の甲板から写した数枚には、「新興写真」の枠組みにはおさまりきらない、ダイナミックな現実描写の方向性があらわれている。それらを見ていると、彼がもう少し写真の仕事を続けていけば、どうなったのだろうかと想像してみたくなる。「海洋写真」というユニークなジャンルを、さらに発展させていったのではないだろうか。
2016/06/04(土)(飯沢耕太郎)
北井一夫「流れ雲旅」
会期:2016/05/28~2016/06/08
ビリケンギャラリー[東京都]
北井一夫は1970年に『アサヒグラフ』に連載された「流れ雲旅」の写真撮影のために、漫画家のつげ義春に同行して下北半島、東北の湯治場(福島、秋田、山形、岩手)、国東半島、福岡県篠栗などを旅した。この連載は『つげ義春 流れ雲旅』(朝日ソノラマ、1971)として単行本化されているのだが、今回、北井の個人写真集としてワイズ出版から出版されることになった。本展では、それにあわせて印刷用にプリントされた北井の写真を展示している。
それらを見ていると、1960年代から70年代初頭にかけて『ガロ』に掲載されたつげ義春の「旅もの」の漫画が、同時代の表現者たちに共感を持って迎えられ、強い影響を及ぼしていったことがよくわかる。北井が写真集のあとがきとして書いた文章によれば、「その頃の私は、つげさんのマンガとそっくり同じような写真を撮っていた。つまり私の写真の被写体になった人たちは、いつも決まってカメラに向かって凝視しているという写真だった」ということだ。知らず知らずのうちに、個人的な「関係性」を起点とするような漫画が描かれ、写真が撮影されていく。高度経済成長下に解体していったムラの共同体のあり方を、ある種のノスタルジアを込めてふり返るような気分が、若い表現者たちに共有されていたということだろう。北井はやがて、1975年に第一回木村伊兵衛写真賞を受賞する「村へ」のシリーズを撮り進めていくのだが、まさにその起点というべき写真撮影のスタイルが、この時点ではっきりと芽生え始めていたことが分かる。
つげ義春の「旅もの」に共振する感性は北井一夫に留まらず、より若い世代にも引き継がれていった。猪瀬光が写真を撮り始めたきっかけが、つげの漫画だったという話を聞いたことがある。さらにその影響力は、尾仲浩二や本山周平や村上仁一にまで及んでいそうだ。そのあたりの系譜を辿ってみるのも面白そうだ。
2016/06/04(土)(飯沢耕太郎)
中ハシ克シゲ「もっと面白くなるかもしれない。」
会期:2016/06/04~2016/06/22
SUNABA GALLERY
石塀に松といった典型的な日本の情景や、第2次大戦中の戦闘機にまつわる記憶をテーマにした「ゼロ・プロジェクト」などで知られる中ハシ克シゲ。ところが本展で彼が見せたのは、これまでのコンセプチュアルな作品とは真逆の作品だった。それは、両手で持てるぐらいの粘土の塊を、押す、引っ張る、ねじる、ちぎるなどして造形したもの。雑念(=造形的意識)が生じる前に一気に作り上げており、ある種アール・ブリュットにも通じる魅力が感じられる。作品は日々制作されるが、作家が定期的に「一人合評」を行ない、一定回数以上選ばれたものだけが作品として認められるそうだ。実績のある作家が過去のキャリアをリセットするのは決断のいる行為だが、中ハシの新作は果たしてどのように評価されるのだろうか。今後もずっと新鮮さを保ち続けられるか否かが鍵となるだろう。なお、中ハシは6年前から座禅に取り組んでおり、その経験が本作に大きな影響を与えているようだ。
2016/06/04(土)(小吹隆文)