artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
ポンピドゥー・センター傑作展 ─ピカソ、マティス、デュシャンからクリストまで─
会期:2016/06/11~2016/09/22
東京都美術館[東京都]
「ポンピドゥー・センター傑作展」である。「ピカソ、マティス、デュシャンからクリストまで」である。コンセプト重視、斬新な切り口、新しい見せかたの展覧会が主体の昨今にあって、なんとアナクロなタイトルだろうか。そんな展覧会が東京都美術館で3ヵ月以上にわたって開催される。それでもこの展覧会に早々に出掛けたのは、展示デザインを建築家の田根剛が手がけていると聞いたからだ。田根が2014年のミラノサローネでシチズン時計のために制作したインスタレーション「LIGHT is TIME」(と、その東京凱旋展)、2015年に21_21 DESIGN SIGHTで開催された「建築家 フランク・ゲーリー展」のディレクションは強く印象に残っている。なので、この展覧会については作品そのものよりも、作品をどのように見せるのかということへの関心が先にあった。ところが展示デザインのみならず、作品セレクションの方法もとても興味深いものであった。
出品作家、作品のセレクションのルールは一見シンプル。ポンピドゥー・センターの所蔵作品から、フォービズムが始まる1906年からポンピドゥー・センターが開館する1977年までの71年間について、1年1作家1作品を選んでクロノロジカルに展示するというものだ。絵画、彫刻、映像、写真、デザイン、建築など、ジャンル、様式の縛りがなく、まるでキュレーションを放棄したかのように見えるかもしれない。しかしながらじっさいにはセレクションのルールは複雑だ。作品はその年に制作されたもの。同じ作家は一度だけしか登場しない。ピカソ1935年の作品《ミューズ》を選んだら、その年には他の作家の作品は入らないし、別の年にピカソの他の作品が登場することもない。また、作家はフランス人もしくはフランスに滞在して作品を制作したことがあるアーティストだ。こうした制約条件の下で選ばれた出品作品は、それぞれの時代に共通する空気と多様性の双方を見せると同時に、「そもそも傑作とは何か」という問いかけにもなっている。
作品はすべて仮設の展示台に設置され、既存の壁面は使用されていない。展示台はフロア毎に地階は赤、1階は青、2階は白のトリコロールを基調にしつらえられている。ただフランス国旗の色そのままではなく、同じフロアでも展示台ごとに少しずつ色調、明るさが異なっている。筆者は言われるまで地階の赤と2階の白にヴァリエーションがあることに気がつかなかった。田根によれば、
作品画像をもとに背景の色味をシミュレーションして決めたという。展示台のスタイルもフロア毎に異なる。地階は本来の壁面に対して仮設のパネルが斜めに配されている。1階は本の見開きをイメージしたというジグザグのスタイル。2階展示室は円形で、これはポンピドゥー・センターの展望台のイメージだそうだ。展示室全体の明るさもまた上階に進むほど明るくなっている。全体に共通するエレメントは、作品、作品解説、作者のポートレート写真、そして作者のことば。ただし、これらのエレメントの配置はフロア毎に異なっていて、上階に進むほど、作品と作家解説のあいだに距離がある。展示室に入れば、そのデザインを意識せずにはいられない。だからといって作品鑑賞が妨げられることはない。作品数が多いためにレイアウトに苦労したと田根は語っていたが、仮設の壁面をうまく利用して、ゆったりと作品に集中できる空間になっていると思う。ポンピドゥー・センターの建物をモチーフにした文字を用いたチラシのデザインはGlanzの大溝裕。
最も印象に残った作品は1923年、建築家ウジェーヌ・フレシネが設計した《オルリーの飛行船格納庫》の建設現場を撮影した約8分の映像。高さ約60メートル、アーチ状の鉄筋コンクリート製巨大格納庫が3基のクレーンを除きほぼ人力で建造されるさまに圧倒される。また、第二次世界大戦終戦の年、1945年のパネルは空白(図録の当該年の見開きページは黒く塗りつぶされている)。なにもないパネルの前に立つと、エディット・ピアフが歌う「バラ色の人生」(1945年作詞)が聞こえてくる。[新川徳彦]
2016/06/10(金)(SYNK)
アート・アーカイヴ資料展XIV「鎌鼬美術館設立記念 KAMAITACHIとTASHIRO」
会期:2016/06/01~2016/07/15
慶應義塾大学アート・スペース[東京都]
細江英公は1965年9月、舞踏家、土方巽をモデルとして秋田県羽後町田代で「鎌鼬」を撮影した。このシリーズは、1968年3月の銀座ニコンサロンでの個展「とてつもなく悲劇的な喜劇」に出品され、69年には田中一光のデザインで現代思潮社から写真集『鎌鼬』として刊行されて、細江の代表作のひとつとなった。それから50年あまりが過ぎたが、撮影の舞台となった田代の住人たちのなかには、わずか2日間あまりの土方との邂逅の記憶が深く刻みつけられているという。東北の農村に、土方はまさに折口信夫のいう「マレビト」として出現したのではないだろうか。
本展は、田代の旧長谷山邸が「里のミュージアム 鎌鼬美術館」として生まれ変わるのを期して、東京・三田の慶應義塾大学アート・スペースで開催された。細江撮影の「鎌鼬」のオリジナルプリントとコンタクトプリントに加えて、桜庭文男が現代の田代を撮影した「稲架(はさ)のある里/四季」、藤原峰のドローン空撮による映像作品、ポスターなどの関連資料が出品され、会場の一角には、細江の写真に印象深く写り込んでいる「稲架」も再現されていた。展示スペースがやや小さいのが残念だが、ひとつの写真シリーズが呼び起こした反響を、時代を超えて検証しようとする興味深い企画である。今後「鎌鼬美術館」の活動が展開していくなかで、さらに多様なコラボレーションが期待できるのではないだろうか。
なお、展覧会を主催した慶應義塾大学アート・センターは、土方巽のほかに、瀧口修造や西脇順三郎の関連資料も多数所蔵している。その一部を見せていただいたのだが、展示企画に結びつきそうな写真資料もかなりたくさんあった。ぜひ展覧会や出版物のかたちで、積極的に公開していってほしいものだ。
2016/06/08(水)(飯沢耕太郎)
笹岡啓子「SHORELINE」
会期:2016/05/24~2016/06/19
photographers’ gallery[東京都]
笹岡啓子が2015年から東京・新宿のphotographers’ galleryで開催している「SHORELINE」展も今回で3回目になる。展覧会にあわせて刊行される同名の小冊子も、もう24号になった。主に川筋を辿りながら、「時制を超えた「地続きの海」を現在の地形から辿り、連ねていく」というシリーズだが、今回は静岡県の大井川沿いの山間部(「奥大井」)と沿岸部(「遠州灘」)を撮影している。
会場に並ぶ13点を見ると、風景の細部に向かう笹岡の眼差しが、少しずつ練り上げられ、厚みを帯びてきているように感じる。かつてルイス・ボルツ、ロバート・アダムズ、ジョー・ディールらが1970年代に試みた、地勢学的な風景の描写(「ニュー・トポグラフィックス」)の現代版といえなくもないが、笹岡のアプローチはそれとも違っている。「ニュー・トポグラフィックス」の厳密で冷ややかなモノクロームの描写と比較すれば、笹岡のカラー写真はもっと柔らかなふくらみがあり、風水的な気の流れが写り込んでいるようでもあるからだ。独特の感触を備えた、日本の風土に即した風景写真が、かたちをとりはじめているのではないだろうか。
なお、隣接する展示スペース、KULA PHOTO GALLERYでは、「飯舘」のシリーズ8点を展示していた。いうまでもなく、福島第一原発の事故による放射能汚染で、いまだに居住制限地域、帰還困難地域が大きな面積を占める土地だ。2014年4月、8月、2016年3月に撮影された笹岡の写真にも、除染された汚染土を袋詰めして、あちこちに放置してある光景が写り込んでいる。数千万年、数億年という単位で「地続きの海」が見えてくる「奥大井」、「遠州灘」と、5年前の震災の記憶がまざまざと甦えってくる「飯舘」を対比的に展示したところに、笹岡の批評的な企みがあるのだろう。
2016/06/07(火)(飯沢耕太郎)
奥村雄樹による高橋尚愛
会期:2016/06/04~2016/09/04
メゾンエルメス8階フォーラム[東京都]
奥村はベルギーのある画廊の活動をまとめた本を通じて、60年代にそこで個展を開いた高橋尚愛というコンセプチュアル系のアーティストを知る。彼に興味をもった奥村は、当時の画廊主を探し出して、倉庫で作品に対面し、作家本人に会うことにも成功。高橋はミラノでルーチョ・フォンタナ、その後ニューヨークで長くラウシェンバーグのアシスタントを務めたという。なぜ高橋に興味をもったかといえば、奥村と同じく「私の作品」「作者」という概念に批判的な問題意識を持っているからだ。ここからふたりのコラボレーション、というより奥村による高橋への自己同一化の試みが始まる。今回のふたりの「個展」では、高橋としてインタビューに答える奥村の映像、ラウシェンバーグらとともに撮った写真から高橋だけを浮き上がらせた画像、高橋がラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズ、ジョセフ・コスースら22人のアーティストに記憶だけで描いてもらったアメリカ地図などを出している。この地図の作品は、サイ・トゥオンブリは極限まで単純化し、荒川修作は女の横顔に見立てて描いていておもしろいのだが、彼らの作品であると同時に高橋の作品であり、また今回は奥村の作品にもなっているのだ。この方法を拡大すれば「ひとり国際展」も不可能ではない。ちなみに高橋の若き日のポートレートを見ると、どことなく奥村に似ている。
2016/06/06(月)(村田真)
BankART AIR オープンスタジオ 2016
会期:2016/05/27~2016/06/05
BankART Studio NYK[神奈川県]
50組のアーティストが2カ月間BankARTの2フロアをスタジオとして使用、その成果を発表している。成清北斗は苗字の「成」の字を円で囲んで大きな看板にし、赤く塗ってBankARTの外壁に飾った。2カ月間これつくってたんかい。台湾から来た廖震平は、横浜の風景をフレーミングして半抽象画に仕上げている。なかなか丁寧な仕事だ。片岡純也は透明な四角柱の上からコピー用紙を1枚ずつ落下させる装置を制作。紙はバランスよく水平を保ったままゆっくりと落ちていく。それだけだけど、お見事。アートファミリー(三田村龍神+わたなべとしふみ)の三田村は寺の坊主でもあり、仏教に親しんでもらうために映像を制作。お堂のなかで笑いながらパフォーマンスしていてなんだか楽しそうだ。河村るみは、壁にドローイングしているところを映像に撮り、それを壁に投射しているところにドローイングを重ね……という行為を延々繰り返していくパフォーマンス映像。時間と空間のズレが視覚化されていておもしろい。以上、50組中5組に注目。打率1割、まあまあだ。
2016/06/05(日)(村田真)