artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
第2回PATinKyoto 京都版画トリエンナーレ2016
会期:2016/03/06~2016/04/01
京都市美術館[京都府]
2013年に第1回展が行なわれ、好評を博した「京都版画トリエンナーレ」。その特徴は、作家の選出にあたりコミッショナーの推薦制をとっていること、一作家あたりの展示面積を広く取っていること(10m以上の壁面または50平方メートルの床面)、表現の幅を広く取っていることだ。今回は、小野耕石、加納俊輔、金光男、鈴木智恵、中田有華、林勇気、増田将大など20名の作家を選出。「刷る」ことに重きを置いた版画ならではの表現、美術館と版画の歴史に言及したコンセプチュアルな表現、服飾や文章など別分野の創作をフィードバックさせる表現、映像や立体のインスタレーションといった具合に、多様な作品を揃えることに成功した。作品の質が高いことに加えて、展示スタイルもバラエティに富んでおり、この手の美術イベントとしては上々の部類に入るのではないか。今後も継続して、日本の版画分野のなかで独自の地位を築いてほしい。
2016/03/05(土)(小吹隆文)
MOTアニュアル2016 キセイノセイキ
会期:2016/03/05~2016/05/29
東京都現代美術館[東京都]
入口の正面に、ウオッカをラッパ飲みする女子高生の大きな写真が掲げられ、右側の壁には黒一色の落書きがされている。奥に進むと、陳列ケースに展示物はなく、キャプションだけが置かれた状態……。テーマを知らずに入ったせいか、どの作品も投げやりに見えてあまりいい印象ではない。ここでプレスツアーが始まったのでついていく。今回のアニュアル展は美術館の学芸員だけでなく、アーティストたちの組織「アーティスツ・ギルド」と協働で企画されたこと、社会規範を揺るがしたり問題提起を試みたりする表現行為に焦点を当てたこと、などを知る。なるほど、ウオッカを飲む少女の写真はコスプレイヤー齋藤はぢめの作品で、壁の落書きはルーマニア出身のダン・ペルジョヴスキが表現の自由や検閲批判を表わしたもの。キャプションだけの展示は、東京大空襲に関する資料館の建設計画がストップし、展示物が放置されていることに反応した藤井光のインスタレーションということだ。こうして解説を聞くと、表現の規制を問題にするといういささか挑戦的な企画の枠組みが見えてきて、最初の印象は修正しなければならない。昨年、会田誠の作品をめぐって撤去騒動を起こした同館だけに、よくぞ企画が通ったもんだと感心する。その一方で、「あなた自身を切ることができます」とのコメントとともに包丁を壁に突き立てた橋本聡の作品には、透明アクリルケースがすっぽり被せられているし、高さ2メートルほどのフェンスを設け、その向こうに「フェンスを乗り越え、こちら側に来ることができます」と書いた同じ作者の作品の手前には「作家の意図とは異なりますが、危険ですので登らないでください」との注意書きがある。そのチグハグさには笑ってしまうが、この作品は同展においてこの自主規制によって成就したともいえる。ほかに、「小学生以下はお控えください」と「中学生以下はお控えください」という2コースを設けた(素人目には違いがわからない)横田徹の戦闘シーンの映像や、妻の自殺現場を写した古屋誠一のコンタクトプリントなど、かなりハードな展示も。
2016/03/04(金)(村田真)
スタジオ設立30周年記念 ピクサー展
会期:2016/03/05~2016/05/29
東京都現代美術館[東京都]
「トイ・ストーリー」「ファインディング・ニモ」「アーロと少年」など、高度なCGアニメを生み出してきたピクサー社のアーティストやデザイナーによるドローイング、パステル画、デジタル画、彫刻、ゾートロープなど約500点を展示。アートかどうかは別にして、これは楽しい。「平面に描かれたアートワークを、デジタル技術を用いて動きのある動画コンテンツへと生まれ変わらせ、幅10メートルを超える大型スクリーンに投影するインスタレーション」もあって、これを「アートスケープ」と呼ぶそうだ。どっかで聞いたことあるような。
2016/03/04(金)(村田真)
野村佐紀子「もうひとつの黒闇」
会期:2016/02/26~2016/03/13
野村佐紀子は2008年に同じAkio Nagasawa Galleryで個展「黒闇」を開催した(同名の写真集も刊行)。今回展示された「もうひとつの黒闇」のシリーズは、その「黒闇」の写真群に、ソラリゼーションを施して再プリントしたものだ。マン・レイが好んで用いたソラリゼーションの技法は、暗室作業中にフィルムや印画紙に過度の露光を与えることで、画像の一部の白黒を反転させるともに、光が滲みだすような効果を生み出す。だが、野村のソラリゼーションはより極端なもので、画像はほとんど黒一色となり、目を凝らすとようやく被写体の輪郭のラインが浮かび上がってくる。もともと野村の写真は、闇の中に溶け込んでいくような表現に特徴があったのだが、それがより強化され、写真とグラフィックのぎりぎりの境界領域が模索されているのだ。
野村はこのところ表現の幅を大きく広げつつあるが、この実験作もその一環として捉えていいのではないだろうか。そういえば、彼女の師匠の荒木経惟も、かつて高温現像のネガによるプリントのなどを試みたことがあった。写真表現の振り幅をどれだけ広げられるかという課題を、野村もまた荒木とは違った方向に展開しつつあるということだろう。なお、本作は昨年アルル国際写真フェスティバルで開催された「もう一つの言葉 8 Japanese Photographers」展(キュレーション:サイモン・ベーカー)に、森山大道、深瀬昌久、深瀬昌久、猪瀬光、横田大輔らの作品とともに出品された。また、展覧会にあわせて600部限定の写真集『Another Black Darkness』(Akio Nagasawa Publishing)が刊行されている。
2016/03/03(木)(飯沢耕太郎)
西村裕介「The Folk」
会期:2016/03/03~2016/04/02
IMA gallery[東京都]
先月、銀座メゾンエルメスフォーラムでフランスの写真家、シャルル・フレジェの「YÔKAÏNOSHIMA」の展示を見たばかりだったので、同じようなテーマの写真展が続けて開催されたのが興味深かった。とはいえ、西村裕介のアプローチは、フレジェとはかなり違っている。
映画製作から写真に転じ、主に雑誌や広告の分野で活動している西村は、3年半ほど前に明治神宮の祭事で郷土芸能を見て、その力強さに衝撃を受ける。それから北海道から沖縄まで全国を回り、「現場に黒幕を張り、演者の姿を封じ込める」という手法で撮影を続けてきた。開放的な雰囲気で、どちらかといえばクールに、衣装やマスクを中心に撮影しているフレジェと比較すると、西村は「猛々しい迫力」を発する演者の所作に強い関心を寄せているように見える。黒バックで、ストロボに照らし出されて浮かび上がってくるダイナミックな動きの表現は、たしかに魂を震わすようなパワーを感じさせる。ただ、黒バックの「封じ込め」は諸刃の剣でもある。周囲とのつながりを欠くために、ドキュメントとしての情報量が限定され、各行事がむしろ均一なものに見えてしまうのだ。
このような祭礼や民間行事への関心の深まりは、もしかすると東日本大震災以後の状況ともかかわりがあるのかもしれない。震災以後、家族や共同体との「絆」がクローズアップされる中で、郷土芸能を受け継いでいくことの意味があらためて問い直されつつあるのだ。ただ、単純なアリバイづくりでは物足りない。むしろ、民衆の自発的なエネルギーの発露としての芸能の起源に着目していかなければならないだろう。
2016/03/03(木)(飯沢耕太郎)