artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
今井祝雄「白のイヴェント×映像・1996-2016」
会期:2016/03/05~2016/04/02
Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku[東京都]
今井祝雄は1966年に東京・銀座の松屋デパートで開催された「空間から環境へ」展に「白のイヴェント×映像」と題する作品を出品した。1メートル角の白いラバースクリーン(4面)の一部が、前後にピストン運動する鉄棒によって隆起を繰り返している。そこに2台のプロジェクターで80点のカラースライドを5秒ごとに投影するという作品である。カラースライドを提供したのは大辻清司、東松照明、奈良原一高、横須賀功光。現代美術アーティストと写真家が合体したユニークなプロジェクトだった。今回Yumiko Chiba Associates viewing room shinjukuで再現されたのは、そのうちの一面のみだが、当時の臨場感が伝わってくる面白い展示になっていた。
なお、大辻(ヌード)と東松(顕微鏡写真、モンタージュ作品)のカラースライドは1966年当時のものだが、奈良原と横須賀は特定がむずかしかったので、鷹野隆大の「毎日写真」のシリーズに置き換えられている。だが、逆にそのことによって、1966年の時空間が2016年のそれと接続し、伸び縮みする映像の生々しさがより際立ってきていた。鷹野の素っ気ない風景写真に写り込んでいる建物の一部が、呼吸するようにうごめく様が、奇妙なユーモアを醸し出していたのだ。今後はほかの現代写真家の画像を使って、作品を更新し続けていくこともできそうだ。
今井は1946年の生まれだから、当時は弱冠20歳だったわけで、それを考えるとやや忸怩たる思いがある。最近の若い写真家やアーティストたちの作品は、小綺麗にはまとまっているが、未知の状況にチャレンジしていく意欲を欠いているように思えてしまうからだ。本作のような、現代美術や写真のジャンル分けを踏み越えていく破天荒な作品をもっと見たい。
2016/03/17(木)(飯沢耕太郎)
田中信行 イメージの皮膚
会期:2016/03/12~2016/03/30
上野の森美術館ギャラリー[東京都]
表面が波打った乾漆の大作が3点。2点は壁掛けで、1点は床置き。これらは絵画だろうか彫刻だろうか。壁掛けが絵画で、床置きが彫刻という分け方もできるけど、どれも麻布の表面に漆を塗ったものだからタブローの変種ともいえるし、絵画を中心とした「VOCA展」と同時開催だし、「イメージの皮膚」というタイトルから推測するに量塊(マッス)より表面を問題にしているようだし、床置きも含めて絵画として見るべきか。でもやっぱり工芸だよね。
2016/03/17(木)(村田真)
VOCA展2016 現代美術の展望─新しい平面の作家たち
会期:2016/03/12~2016/03/20
上野の森美術館[東京都]
今年は全体的にレベルが高かったような気もするが、印象に残る作品は少なかったような気もする。単にぼくの感受性と記憶力が摩耗しただけかもしれないけれど。そんななかで印象に残った作品をいくつか挙げると、まず、自宅のガラス窓に感光材を塗って外の風景を焼きつけた鈴木のぞみの《Other Days, Other Eyes》。ニエプスの史上初の風景写真のように、モノクロの風景が白く飛んでいて、自宅の窓に染みついたノスタルジーまでもが増幅されている。窓枠が額縁の役割を果たしているのもグッド。グラフィティの要素を抽出してキャンバスに構成した大山エンリコイサムの《FFIGURATI #117》は、壁の代わりにキャンバスに描いたというより、キャンバスを壁化したというべきか。絵画の公と私、内と外を考えさせる。ピンク色のオールオーバー絵画3幅対を出した今実佐子の《そして今日もまた眠るだけ》は、口紅やファンデーション、アイシャドウなどの化粧品を塗ったもの。絵として見てもけっしておもしろいもんではないけれど、もともと顔に塗られるべき素材がキャンバスに塗られていること、洞窟壁画以前の最初の絵画はおそらく化粧や刺青であったこと、などを考えると興味深いものではある。これは自画像である、と比喩でなくいえる。
2016/03/17(木)(村田真)
カラヴァッジョ展
会期:2016/03/01~2016/06/12
国立西洋美術館[東京都]
日本でのカラヴァッジョ展は10数年ぶりだろうか、前回はホンモノがわずかしか来なかったと記憶しているが、今回はけっこう来ているなあという印象だ。それでも出品作品50点ほどのうち、カラヴァッジョはわずか11点にすぎない。なのにたくさん見た気になるのは、残りの40点ほどが彼の影響を受けたカラヴァジェスキの同工異曲の作品なので、ついカラヴァッジョをたくさん見たと錯覚してしまうからだ。それにしてもなぜ11点しか来ないのかというと、もともと全部で60点余りしかないうえ、大作・代表作の多くが壁にはめ込まれて移動不可能だからだ。11点しか来ないのではなく、11点も来てくれたことに感謝すべきかもしれない。イヤミはさておき、おもな作品を列挙すると、背景が明るい初期の《女占い師》、果実の描写が見事な《果物籠を持つ少年》、有名な《バッカス》、有名ではないほうの《エマオの晩餐》、首を斬り落とされた《メドゥーサ》、やけに艶かしい《法悦のマグダラのマリア》など。その合間にホセ・デ・リベーラ、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール、アルテミジア・ジェンティレスキ、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニらカラヴァジェスキの作品が挿入される構成だ。目を引くのは「斬首」を特集した部屋。先の《メドゥーサ》をはじめ、ダヴィデに倒されたゴリアテや、ユディトに寝首を掻かれたホロフェルネスなどの絵を6点ほど集めている。殺人を犯したカラヴァッジョならではの項目立てだが、西洋では「斬首」だけで展覧会が成立するほど人気ある主題でもあるのだ(実際1998年にルーヴル美術館で「斬首の光景」展が開かれている)。さて、カラヴァッジョを離れてもっとも興味深かった1点は、タンツィオ・ダ・ヴァラッロの《長崎におけるフランシスコ会福者たちの殉教》という作品。題名どおり長崎の信者が磔にされる場面を描いたもので、日本に行ったことはおろか極東に関する情報も皆無に近い当時の西洋人にありがちなように、登場人物はほとんど日本人離れしているのだが、でもわずかに2、3人は日本人らしい風貌と服装をしている点に注目したい。
2016/03/17(木)(村田真)
長島有里枝「家庭について/ about home」
会期:2016/03/16~2016/04/23
MAHO KUBOTA GALLERY[東京都]
東京・神宮前に新しいギャラリーがオープンした。元白石コンテンポラリーアートの久保田真帆さんがオーナーの、現代美術専門の商業ギャラリーだが、そのこけら落としとして、長島有里枝の「家庭について/ about home」展が開催された。
長島は1993年のデビュー以来、「家族」をテーマにした写真作品をコンスタントに発表し続けてきた。だが、2010年に刊行した『SWISS』(赤々舎、展示は白石コンテンポラリーアート)のあたりから、その取り組みの姿勢が変わってきたと思う。以前のように、直接的に「家族」を被写体として撮影し、生々しい関係を写し込んでいくのではなく、やや距離を置きつつ、「家族」と過ごした時間や、そこで積み上がってきた記憶を辿ろうとしているのだ。
『SWISS』では、祖母が遺した花の写真が重要な要素となっていたのだが、今回は母と共同作業で布や衣服を繋ぎあわせたテントを制作した。テントの素材には長島の息子が小さかった頃の服や、ヴァージニア・ウルフの言葉を刺繍した布などが使われており、「母とわたしの関係性─家族という関係性」が再構築されている。さらに、台所の一部や身近な人たちのポートレートなどを含む大小の写真群が、テントと呼応するように壁に貼られており、全体として、「家族」のイメージを透して見た「女性の経験」が緩やかに浮かび上がってきていた。アーティストとしての成熟を感じさせるいい展示だと思う。このシリーズは、ぜひ写真集としてもまとめてほしいものだ。
MAHO KUBOTA GALLERYのアーティストは、今のところ写真家は長島だけだが、今後はジュリアン・オピーや富田直樹のように、写真を下絵として絵画作品を制作する作家の展示も予定している。写真と現代美術の境界領域で活動するアーティストを、積極的にフォローしていってほしい。
2016/03/16(水)(飯沢耕太郎)