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美術に関するレビュー/プレビュー

アート・アーカイヴ資料展XIII「東京ビエンナーレ’70再び」

会期:2016/02/22~2016/03/25

慶應義塾大学アート・スペース[東京都]

中原佑介(1931-2011)は、京都大学の湯川秀樹のもとで理論物理学を学んでいたが、在学中の1955年、評論「創造のための批評」が『美術批評』誌の評論募集で一席に選出されたことを契機に上京、本格的に美術評論家としての活動を始めた。その出発点からちょうど15年後の1970年、中原は東京都美術館を会場に「第10回日本国際美術展 人間と物質」展を企画した。近年大きな注目を集めているこの伝説的な展覧会の全容を、残された資料や関係者へのインタビューなどをとおして解明した調査研究の成果を発表したのが、本展である。
会場に展示されたのは、したがって「人間と物質」展に出品された作品そのものではなく、それらの作品を設置する作業を記録した写真や会場内の空間を再現した縮小模型、そして展覧会の図録など、おびただしい資料群。調査研究の焦点が、とりわけ誰の作品がどこに設置されていたのかという点を正確に把握する側面に当てられていたせいか、縮小模型と記録写真を併せて見ると、未見の展覧会を垣間見るかのようなイリュージョンを楽しむことができた。会場で配布された50頁に及ぶ小冊子も、資料的価値が高い。
注目したのは、この展覧会のチラシに掲載された短い言葉。なぜなら、それらはこの伝説的な展覧会の核心をみごとに凝縮しているように考えられるからだ。中原自身によるのか、あるいは事務局によるのか、次のような一文がある。
「出来合いの作品を並べる時代は過ぎました。世界美術の先端をゆく参加作家のうち3分の2が東京にやってきて、ロープをまき、布を敷きつめ、灰を盛り上げ、水を汲む。この大いなるナンセンスは、美術よりも音楽よりも文学よりもはるかにおおらかで、しかもそれらすべてを包み込んだ今日の芸術といっていいでしょう」。
事実、クリストは1階の彫刻室の全体を175枚の塗装用布で梱包し、ライナー・ルッテンベルクは灰を盛り上げた2つの山を250本の細い鋼鉄の棒でつないだ。重要なのは、中原がそのようなナンセンスを今日の芸術として、言い換えれば、最先端の現代美術として位置づけている点である。が、それだけではない。そのチラシには以下のような一文が続く。
「書物を読む人捨てた人、テレビを見る人飽きた人は、ためらわずに上野に行ってみてください。美術がこれほど身近に感じられることに、驚かずにはいられないでしょう」。
意外なことに、中原にとってナンセンスは美術に縁のない庶民でもリアリティーを感じることができるような類の美術だった。こうした企画者の見方が、鑑賞者の見方と必ずしも照応していなかったことは、今日よく知られている。本展では特に触れられていなかったが、「人間と物質」展の開催当時の評判は必ずしも芳しいものではなかった。中原はその批判的な言説をみずから分析している(『中原佑介批評選集第五巻「人間と物質」展の射程』現代企画室+BankART出版、2011)。「この新しい美術家たちが現実に対して鋭い発言を投げかけようと意図しながら、あまりにも観念的な世界に自ら閉じこもり、観衆にむしろ背を向けた姿勢を示しているのではないか」(小川正隆)、「身動きできずに、立ち尽くした。極北化願望のここまでの徹底。徹底の果ての、あやうく狂気。これほど、玩具製造精神に似て、しかもこれほどそれに遠いものがあるであろうか」(宗左近)、「彼らの意識にあるのは連帯なのであろうが、その秘儀的なジェスチュアからはおおらかな精神の広場を望むべくもない」(野村太郎)などなど。このような言説を手がかりにすれば、中原の希望的観測はおおむね外れたと言ってよい。
だが、そのような結果は火を見るより明らかだったはずだ。考えたいのは、なぜ中原は対話不在という謗りを免れないことがわかりきっていたナンセンスを、あえて庶民のリアリティーと直結させたプレゼンテーションを企てたのかという点にある。仮にそれが方便だったとしても、中原の真意はどこにあったのだろうか。
ひとつには、ラディカリズムを極限化させた60年代の反芸術への反省があったのかもしれない。それは、日常的な事物や廃物を素材として利用した点では庶民のリアリティーと共振したと言えるが、とりわけ反芸術パフォーマンスのハプニングや儀式は、生身の肉体を大々的に露出させたがゆえに隘路に陥り、ほどなくして自滅せざるをえなかった。もしかしたら中原は、そのようなラディカリズムの重心をあえて物質に傾けることで、それを転位させようとしたのではなかったか。
「人間と物質」展が、反芸術に代表される60年代の美術ともの派に代表される70年代の美術の結節点として考えられることは疑いない。だが、そこでいったいどのような価値観の転換があったのか、その内実については依然としてわからないことが多い。必要なのは、「人間」と「物質」のあいだの「精神」を解明することである。

2016/03/22(火)(福住廉)

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重森陽子展

会期:2016/03/22~2016/04/03

ギャラリーマロニエ[京都府]

重森陽子は動物や人間の姿を捉えた陶オブジェを制作する作家だ。その特徴はスピード感を重視したラフな造形にあり、やきものでドローイングをしているような風情を持つ。ところが今回、彼女の作品は大きく変化した。ジオラマのような情景描写を行なっていたのだ。それらは山水画を立体化した「3D山水」だという。彼女は以前から「陶画塾」という絵付けの勉強会に参加しており、山水画を学ぶうち、それらを立体化したいと思うようになった。ドローイング風の造形はこれまでと同様だが、筆者が感心したのは「3D山水」というアイデアである。ほかの陶芸家を巻き込んでいけば、ひとつの分野を形成できるかもしれない。本人がどれほどの展望を描いているか不明だが、大きな可能性が感じられる個展であった。

2016/03/22(火)(小吹隆文)

生誕150年 黒田清輝 日本近代絵画の巨匠

会期:2016/03/23~2016/05/15

東京国立博物館[東京都]

20年ほど前まではしばしば黒田清輝展が巡回していたように記憶するが、今回は久々の、そして過去最大規模の回顧展。パリ留学時代の自画像から人体デッサン、グレーの風景画、サロンに初入選した《読書》、帰国後「日本の油絵」を模索した《舞妓》や《湖畔》、日清戦争に従軍したときのスケッチ、桜島の噴火図、日本に根づかせようと苦戦した裸体画や構想画、そして晩年の寂しげな風景画まで約200件が展示されている。まあこれだけなら過去にもあったかもしれないが、今回はこれに加え、パリ時代の黒田の師ラファエル・コランほか、カバネル、ミレー、シャヴァンヌ、モネ、浅井忠、久米桂一郎、青木繁ら同時代の画家たちの作品約40件もあって、黒田がパリでなにを学び、日本でなにをやろうとしたのか、なにが実現できて、なにができなかったのかがわかるような構成になっている。年代で見ると、パリ時代末期から帰国後7、8年の約10年間(ほぼ1890年代)がもっとも多産で問題作を連発していた時代で、20世紀以降になると多忙のせいもあってか、要人の肖像画や花の絵や風景画の小品が多くなり、構想画や裸体画などの大作は激減していく。年齢でいえば30代前半までに代表作は出し尽くしているのだ。じゃあ残りの4半世紀近く(58歳で没)はカスのような人生だったかというとまったく逆で、サラリーマンでいえば現場から離れて管理職・取締役に就いたってわけ。画家としてはどうかと思うけど、薩摩藩士の子としてはまっとうな後半生だったかも。作品はほぼ時代順に並んでいるが、そのまま並べると尻すぼみになってしまうので、最後は順序を変えて「そうきたか!」という展開。これを見れば、主催者がこの展覧会でなにを伝えたかったのか、日本近代美術史のなかで黒田をどのように位置づけようとしているのかがなんとなくわかって、うなずける。

2016/03/22(火)(村田真)

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中里和人「惑星 Night in Earth 」

会期:2016/03/21~2016/04/02

巷房[東京都]

中里和人の新シリーズ「惑星」は高知県、和歌山県、三重県、千葉県など、黒潮の流れに沿うようにして、日本の沿岸部にカメラを向けている。写っているのは、夜の月明かりの下、波が打ち寄せる岩場の光景だ。それらは、たしかに「遥か遠くの宇宙を観測する望遠鏡や人工衛星から」送られてくる「新しい惑星の姿」のようでもある。
中里は代表作の『小屋の肖像』(メディアファクトリー、2000年)のように、これまで人間の営みがなんらかのかたちで刻みつけられた風景を撮影し続けてきた。ところが今回の「惑星」には人の気配は感じられず、無機的かつ即物的な眺めが定着されている。中里は1978年に法政大学文学部地理学科を卒業しているから、岩盤や地層を意識することは特に不自然ではないが、新たな方向に踏み出していこうとする意欲作といえるだろう。とはいえ、そのような「裸の惑星空間」は、奇妙なことにどこか懐かしい「親近感」も感じさせる。もしかすると、波が打ち寄せる夜の海辺の眺めが、われわれの集合的な無意識に働きかけるのかもしれない。太古の昔、ふと住居の海辺の洞窟を出ると、こんな光景が目の前に広がっていたのではないかとも思ってしまうのだ。
今回の展示は、東京・銀座、奥野ビルのギャラリー巷房の3階、地下1階、階段下のスペースを使って行なわれた。3階と地下1階のギャラリースペースでは、大小の写真プリント20点が額装されて並んでいたが、階段下では映像作品をプロジェクションしていた。静止画像と動画を併置することはそれほど珍しくはなくなってきたが、中里のような風景中心の写真家にとっては、やはり新たなチャレンジと言えるだろう。画像と音響効果(波の音、ノイズ系の音楽)がうまく融合して、効果的なインスタレーションとして成立していたと思う。

2016/03/21(月)(飯沢耕太郎)

ルノワールの時代 近代ヨーロッパの光と影

会期:2016/03/19~2016/08/21

名古屋ボストン美術館[愛知県]

19世紀後半からのヨーロッパの都市の変化と地方の関係を背景に近代絵画を紹介する。確かに何を描くかというモチーフはそうした切り口で説明できるが、いかに描くかについては、同時代に出現した写真に対し、絵画をどう差別化するかという視点から考えるとわかりやすくなるのではないかと思う。例えば、ルノワールの《ブージヴァルのダンス》は、都市と田舎/女性と男性という風に説明できるのだが、この絵は動いている踊りの一瞬ではなく、動きそのものを視覚化した想像的な動画ではないか。当時の雲や空の表現も同様である。これは当時の写真だとやりづらい表現であり、絵画ゆえに可能な表現で、その独自性を示す手法だったはずだ。

2016/03/21(月)(五十嵐太郎)

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