artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
降り落ちるものを 今村遼佑
会期:2016/03/08~2016/03/20
アートスペース虹[京都府]
なんとも詩的なタイトルに、詩的なインスタレーション。「降り落ちるもの」、つまり時間の流れや変容を感じさせる作品が、視覚、音、匂い、手触りを刺激させながら、ゆるやかな連想を描くように配置されている。
白い地に、白や灰色、クリーム色、薄いブルーや黄色の筆致が舞うように散る絵画作品は、雪が雨粒へと変化していく様子を描いたもの。大きな雪片に見える白い塊が落下する絵画は、ハクモクレンの花びらが散る情景を描いている。雪解けと花びらの落下。冬から早春へ。その季節の移り変わりは、沈丁花が植えられた植木鉢と呼応する。白い小さな花が放つ、甘くかぐわしい香り。舞い落ちる雪が感じさせた、張りつめた空気の冷たさが、ゆるやかにほどけていく。
一方、沈丁花の植木鉢には、ミニチュアの街灯が添えられている。街灯の灯る夜の帰宅路、視覚よりもまず匂いで沈丁花に気づいたときの記憶がよみがえる。日常の中で、ふと訪れる情景の変化。別の作品では、ポリバケツの中に置かれたiPhoneの画面に、バケツに張った氷が映っている。突然、小石が投げ込まれ、ひび割れる氷の表面。液晶画面が薄い氷の層と一瞬、重なり合う。もうひとつのiPhoneの画面は、どこかの住宅の窓辺を映し出すが、静止画のように変化しない画面のフレーム外から聴こえる音が、さまざまな情景をかき立てる。車の音、子どもの遊び声、どこかから聴こえる美しいピアノ曲。日常にふと差し込んだ劇的な瞬間は、室内外の生活音にかき消されていく。傍らに吊られたカーテンが、画面の内と外、ギャラリー空間と「ここではないどこか」との境界を、一瞬、曖昧に溶解させる。
季節の変わり目が、肌で感じられながらも明確な境目として区切られないように、今村の作品世界は、部屋の内と外、昼と夜、「いま」と記憶の中の手触り、「ここ」と「どこか」が一瞬混じり合って溶け合うような体験をつくり出す。それは、仕掛けやガジェットを見せながらも、イメージの多重化や現象的なものを扱い、複数の異なる時間の流れをひとつの空間の中に呼び込み、観客の身体と五感をとおして体感させるという点で、人物は不在であっても、ある種の演劇性をたたえていると言えるかもしれない。
2016/03/13(日)(高嶋慈)
毛利そよ香展
会期:2016/03/12~2016/03/17
ギャラリー島田deux[兵庫県]
地面の下で根を伸ばす地下茎の姿を、鉛筆の細密な線と土、顔料などで描き出す毛利そよ香。地下茎は、目には見えぬが人間にとっては必須の要素、例えば無意識の世界を象徴しているのであろうか。本作でもそうした絵画作品が多数展示されたが、一部の作品にはこれまでになかったあざやかな色遣いが見られ、地上の風景が描かれていた。まるで彼女のなかで蓄積されてきたエネルギーが臨界点に達し、地上に解き放たれる寸前まで達しているかのようだ。次の個展で作風が一変するとまでは言わないが、何か大きな変化が起こるのではないか、そんな兆しをはっきり感じた。
2016/03/12(土)(小吹隆文)
生誕180年記念 富岡鉄斎─近代への架け橋─展
会期:2016/03/12~2016/05/08
兵庫県立美術館[兵庫県]
1985年に京都市美術館で行なわれた生誕150年を記念する回顧展以来、30年ぶりの大規模個展。鉄斎コレクションで知られる兵庫県宝塚市の清荒神清澄寺 鉄斎美術館との共催で、初期から晩年まで約200点の作品を前後期入れ替えで展示している。鉄斎は幼少期から幅広く学問を修め、89歳で亡くなるまで自分は学者だと自任していた。つまり彼にとって絵は余技という訳だが、そのポジションゆえの自由さか、あり余る知識の成せる業か、奔放な筆致、豊かな色彩、壮大なスケールは、いわゆる文人画の範疇を遥かに超えている。特に屏風画などの大作はスペクタクルあるいはファンタジーと形容すべき代物で、現代のゲーマーやオタクが見たら何と言うか聞いてみたいと思った。また、作品の発色も素晴らしく、最高級の墨と絵具を惜しげもなく使用していたことが窺える。やはり実物を見なければ物の良し悪しは分からない。次に大規模な鉄斎展が行なわれるのは没後200年となる20年後だろう。それまで待てない人は、この機会を見逃さないようにしてほしい。
2016/03/12(土)(小吹隆文)
Symposium, “New Directions in Japanese Art and Architecture after 3/11”
会期:2016/03/11
Japan Society Gallery[アメリカ、ニューヨーク]
震災から5年ということで、ジャパン・ソサエティーのシンポジウム「New Directions in Japanese Art & Architecture after 3/11」が開催された。僕は企画に携わったあいちトリエンナーレ2013や「3.11以後の建築」などの展覧会を通じて、アートと建築における状況とその変化を紹介し、志賀理江子さんは村のカメラマンとしての活動、米田知子さんは自作の経緯と離れた場所からの震災について語る。記憶がテーマになったように思う。
2016/03/11(金)(五十嵐太郎)
荒木悠展 複製神殿
会期:2016/02/26~2016/04/03
横浜美術館アートギャラリー[神奈川県]
荒木が下見のために横浜美術館のギャラリーを訪れたとき、彼が初めて作品を発表したアメリカ・ナッシュビルのパルテノン神殿に付属する地下ギャラリーに似ていると思ったそうだ。ナッシュビルのパルテノン神殿は19世紀末に開かれた博覧会のときに建てられた原寸大のレプリカだが、少年期から同地に住み神殿を見慣れていた彼は、長じてアテネにパルテノン神殿のオリジナルがあることを知って驚いたという。その後アテネを訪れる機会があり、「複製神殿」のタイトルの下「オリジナルと複製」「ホンモノとニセモノ」をテーマに映像を撮ることにしたそうだ。テーマはすこぶるおもしろいのだけど、作品からそのおもしろさが十分に伝わってこない。
2016/03/08(火)(村田真)