artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
プレビュー:林勇気 電源を切ると何もみえなくなる事
会期:2016/04/05~2016/05/22
京都芸術センター[京都府]
自身で撮影した画像、公募で第三者から提供された画像、インターネットから抽出した画像などをコンピューターに取り込み、切り抜きや重ね合わせを行なった後、複雑なレイヤーを施して映像作品化する林勇気。デジタル技術を駆使して記録や記憶の在り方を探ってきた彼が、これまでとは異なるタイプの新作を発表する。その肝は「電源」。展示室の映像機器の電源が1日に何度か落ちるようにセッティングし(1回当たり15分程度)、映像が見られない状態を観客に提示するのだ。これまでの作品があくまでも仮想世界の出来事だったのに対し、この新作ではリアルワールドの介入が大きなカギを握っている。それは、映像メディアの脆弱性を示すと共に、電源を切る行為によるメタ鑑賞体験や、バーチャルとリアルのあいだに立ち現れる何かを探る機会となるだろう。
2016/03/20(日)(小吹隆文)
プレビュー:森村泰昌:自画像の美術史 「私」と「わたし」が出会うとき
会期:2016/04/05~2016/06/19
国立国際美術館[大阪府]
大阪出身・在住ながら、地元の美術館で大規模個展を行なったことがなかった森村泰昌。待望の機会となる本展は、彼の「自画像シリーズ」の集大成と位置づけられており、ゴッホに扮した出世作から、レンブラント、ベラスケス、フリーダ・カーロ、シンディ・シャーマンといった過去の代表作と、今展のために制作された新作、未発表作品が一堂に会する。また、1985年に京都のギャラリー16で行なわれた伝説的展覧会「ラデカルな意志のスマイル」が再現され、上映時間60分以上の新作映像作品が発表されるなど、大変充実した内容となっている(作品総数134点)。そして、「森村泰昌アナザーミュージアム」と題した関連展覧会が名村造船所跡地(大阪市住之江区北加賀屋)で同時開催され、NPO法人ココルーム(大阪市西成区釜ヶ崎)でもイベントが行なわれるなど、美術館にとどまらない地域的な広がりを持っているのも見逃せないところだ。
2016/03/20(日)(小吹隆文)
有元伸也「チベット草原 東京路上」
会期:2016/02/06~2016/03/27
入江泰吉記念奈良市写真美術館[奈良県]
昨年、写真家の百々俊二が館長に就任した奈良市高畑町の入江泰吉記念奈良市写真美術館では、入江の作品だけでなく若手写真家の意欲的な展覧会を積極的に開催するようになってきている。今回は1971年大阪生まれで、奈良市で育った有元伸也を取り上げた(同時に入江泰吉「冬の東大寺とお水取り」展を開催)。
有元は1994年にビジュアルアーツ専門学校・大阪を卒業後、96年からチベットに長期滞在して撮影を続け、その「西藏(チベット)より肖像」で、99年に第35回太陽賞を受賞した。今回の展示では、代表作である「西藏より肖像」のシリーズだけでなく、専門学校の卒業制作として発表された「我国より肖像」、2008年に仲間とともに設立したTotem Pole Photo Galleryで展示され、写真集としても6冊刊行された「ARIPHOTO」のシリーズなど、約220点の作品で20年以上に及ぶ彼の写真家としての歩みを辿ることができた。
有元の6×6判のカメラによるモノクロームの写真は、きわめて正統的なポートレート、スナップとして制作されている。被写体とカメラを介して向き合い、そのたたずまいを精確に、揺るぎのない描写で定着していくスタイルは、とても安定感がある。とはいえ、あらためてプリントを見直していると、彼が時代状況と鋭敏に呼応しつつ、その時点での個人的な思いをかたちにしようともがき続けてきたことが伝わってきた。2011年の東日本大震災以後、新宿の路上スナップを、「より情報量の多い」広角レンズによるノーファインダー撮影にシフトしたのもそのあらわれだろう。
とはいえ、人間という不思議な存在に対する好奇心、それをむしろ「生命体=生きもの」として捉え返そうという視点は見事に一貫している。「ARIPHOTO」のシリーズも、かなりの厚みと奥行きを備えてきた。そろそろ一冊の写真集にまとめる時期に来ているのではないだろうか。
2016/03/19(土)(飯沢耕太郎)
PATinKyoto 第2回京都版画トリエンナーレ2016
会期:2016/03/06~2016/04/01
京都市美術館[京都府]
2回目を迎える「京都版画トリエンナーレ」。本展の特徴は、コミッショナー20名の推薦方式による若手~中堅作家の積極的な紹介と、「版」概念の拡張にある。
また、狭義の「版画」の枠組みにおいて制作する作家においても、メディウムそのものを問い直す実験性が見られる。例えば、小野耕石は、インクの色を変えて100層以上もシルクスクリーンの版を刷り重ねることで、極小の突起に覆われた表面が、見る角度により玉虫色に生成変化する作品をつくり出す。《Hundred Layers of Colors》と題されたそれは、「インクの物質的な層の堆積」というメディウムの原理を露呈しつつ、光の反射や視点の移動によって、物理的には単一の表面を、現象的な現れの空間として、複数性へと開いていく。また、金光男は、白く不透明な蝋を支持体として、その上に写真を転写し、熱を加えることで、溶けた蝋の上でインクが流動化し、波打つように崩壊したイメージをつくり出す。凝固と流動性のはざまを漂う不穏な緊張感とともに、インクの物質的な層が剥離し、ただれた表面が浮き上がったような錯視を生み出している。そうした錯視効果を出現させるため、「金網のフェンス」「波」「カーペット」など、単位の反復性から構成される被写体を用いているのが特徴だ。さらに、手描きのモチーフではなく写真画像を用いる金の作品は、写真という複製物・「版」性とシルクスクリーンという「版画」技法を組み合わせたハイブリッドな表現でもある。
一方、写真や映像を用いて、間接性と反復性(複製性)という点から、「版」概念へと言及しているのが、山下拓也と林勇気である。山下拓也は、野球チームやオリンピック、万国博のマスコットとして、かつては人気者だったが今は忘れ去られたキャラクターたちを大量に複製し、過剰に増殖させたインスタレーションをつくり出す。どぎつくポップな色彩で彩られ、ペラペラの紙で複製されて「薄さ」を強調されたそれらは、二頭身のキャラクターに内在する「不気味さ」を剥き出しにし、イメージの大量生産と消費が夥しい「亡霊」を生み出していることを突きつける。また、林勇気は、パソコンのハードディスクやネット上に大量に蓄積された写真画像を用いて、1コマずつ切り貼りして緻密に合成し、アニメーションを制作している映像作家である。出品作《すべての終りに》は、これまでにない暴力性を感じさせるものであった。食べ物、車、植物、ペットボトル、家電製品などの夥しい画像が、視認不可能なほどの高速で接合され、伸縮自在に変形し、輪郭が溶解し、暴力的なまでに切り刻まれ、遂には渦まく砂嵐となって画面を覆う。そして、画像の断片が星くずのように瞬きながら暗闇に散らばって集合離散を繰り返すラストは、消滅か、新たな再生の予兆か。夥しい量の画像が、ネットの共有空間上でコピー・複製され、共有され、拡散するとともに撹拌・かき混ぜられてキメラ化し、瞬く間に消費されて消滅していく。その美しくも暴力的な様相を、宇宙の生成と消滅を思わせる映像として可視化していた。
2016/03/19(土)(高嶋慈)
西村陽一郎「山桜」
会期:2016/03/18~2016/03/27
みんなのギャラリー[東京都]
西村陽一郎は、これまで印画紙の上に置いたモノに光を当ててそのフォルムを写しとるフォトグラムの手法で作品を制作してきた。今回東京・半蔵門のみんなのギャラリーで展示された「山桜」のシリーズでは、そのフォトグラムをデジタル化した手法を用いている。名づけてスキャングラム。スキャナー上に被写体を置いて、そのデータを元にプリントする方法だ。特筆すべきなのは、そのデータからネガ画像を出力していることで、結果として被写体の色相が補色に反転する。つまり赤っぽい色は青や緑に変わってしまうわけで、「山桜」なら赤っぽい雌蕊や若葉の部分が、青みがかった色に見えてくる。さらに通常のフォトグラムと違って、花弁や葉のディテールが、まるでレントゲン写真のような精度で写り込むことになる。花々が本来備えている神秘性、魔術性が、この手法によってさらに強調されているともいえる。
今回の「山桜」の展示を見ると、スキャングラムには、さらに表現の幅を広げていく可能性がありそうだ。西村はこの手法を使って、「山桜」だけでなく、ほかの植物群も含めた「青い花」のシリーズをまとめようとしている(6月に同ギャラリーから写真集として刊行予定)。だが、スキャングラムはもっとさまざまな被写体にも応用が効くのではないだろうか。例えばスキャングラムによるポートレートやヌードも面白そうだし。複数の画像をモンタージュすることも考えられるだろう。デジタル化の急速な進展にともない、これまでではとても考えられないような画像形成の可能性が生じてきている。今回はオーソドックスなフレーム入りの展示だったが、会場のインスタレーションにも工夫の余地がありそうに思える。
2016/03/18(金)(飯沢耕太郎)