artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
ここに棲む──地域社会へのまなざし
会期:2015/10/09~2016/01/12
アーツ前橋[群馬県]
アーツ前橋の「ここに棲む」展へ。地域をみつめるというテーマで、建築家とアーティストが混じった構成だが、自作を並べるのではなく、その態度に焦点を当てており、意外と、あまり見たことがないやり方だった。建築家のプロジェクトを列挙すると、アーツ前橋を設計した水谷俊博のスタディに始まり、藤野高志の模型キメラ、EUREKAのフィールドワーク、藤本壮介による森/建築モデルが続く。そして後半は、乾久美子による空間や家具の使われ方の観察、アトリエ・ワンと福祉のコラボレーション、ツバメアーキテクツが提唱する新しい住まいモデルである。「3.11以後の建築」展と同様、地域に寄りそう建築の新しい動向をうかがえる。また展覧会に併せて『ぐんま建築ガイド』の書籍も制作された。このような美術館を核に地元の建築を見直す動きが、日本各地で起きるとよいと思う。
写真:左上=藤野高志、左下=藤本壮介、右上=展示会場、右中=屋外企画、右下=ツバメアーキテクツ
2015/10/26(月)(五十嵐太郎)
黄金町バザール2015──まちとともにあるアート
会期:2015/10/01~2015/11/03
京急線「日ノ出町駅」から「黄金町駅」間の高架下スタジオ、周辺のスタジオ、既存の店舗、屋外、他[神奈川県]
黄金町バザール2015へ。アジア各国からの作家を招待し、街の随所に作品を展示する。新機軸を狙うとか、派手な規模ではないが、いかに持続させるかを大事にしている展開だろう。アートだけではなく、川嶋貫介による家の中の家、アイボリィアーキテクチュアによる縦長の吹抜け、中村建築のバスタブ仕上げのインテリアなど、建築家のリノベーション的な介入も設けられているので楽しめる。
写真:左上=黄金町バザール、左下=川嶋貫介、右上=アイボリィアーキテクチャ、右下=中村建築
2015/10/25(日)(五十嵐太郎)
鴻池朋子 展 根源的暴力
会期:2015/10/24~2015/11/28
神奈川県民ホールギャラリー[神奈川県]
鴻池朋子の新作展。東京では2009年に東京オペラシティアートギャラリーが催した「インタートラベラー」展以来、6年ぶりとなる大規模な個展である。しかも展示されたのは、すべて東日本大震災以後に制作された新作で、新たな出発点を刻む展観だった。
「根源的暴力」と「インタートラベラー」は好対照である。後者の中軸がエンターテイメント施設のような動的な外向性にあったとすれば、前者のそれは博物館のような静的な内向性にあったように見受けられるからだ。事実、抑制された照明のもとで整然と陳列された作品の数々は、鑑賞者の視線をそれらと正面から対峙するように働きかけていた。後者の作品がある種の全体的な流動性のなかに位置づけられていたとすれば、前者のそれはそれぞれの個別性によって細かく分節されていたと言ってもいい。
むろんその視線は、「インタートラベラー」での視覚体験がそうだったように、きわめて濃厚な触覚性を帯びていた。鉛筆のドローイングがざらついた感触を醸し出しているだけではない。粘土をこねた立体作品は何かをまさぐり出そうとする鴻池自身の手の運動性を如実に物語っていたし、牛革の表面に描かれた動植物のイメージも、獣の皮膚の生々しさと相俟ったせいだろうか、まるで新たに変身した別の生物のように私たちの眼前にその姿を露わにしていた。思い返せば「インタートラベラー」では狼の毛皮によって触覚性を直接的に体感させていたから、鴻池の関心はこれまで以上に視線の触覚性に集中しているのかもしれない。
だが重要なのは、その触覚的な視線の質である。20メートルにも及ぶ《皮緞帳》は、火山や臓器、動植物など、この地球上の生きとし生けるもののイメージを凝縮させた大作だが、いくつもの牛革を縫合して支持体を形成しているせいか、それらのイメージが有機的に連結しながら全体を構成しているように見える。飛翔する鳥のイメージを見せた《着物 鳥》にしても、着物の外形を保ちながらも、背景を本物の鳥の羽で埋め尽くしているため、地と図が反転しうる自他同一の地平を垣間見たような気がしてならない。美術にかぎらず、人類の知的な営みの根底に「分ける」ことと「つなぐ」ことがあるとすれば、鴻池の手は明らかに後者をまさぐり出そうとしていたのではなかったか。
しかし、本展の重心が「接合」あるいは「縫合」に置かれていたことは事実だとしても、結果として逆説的に強調されたのは、むしろ「分節」や「断絶」であったように思う。そこに、本展の複雑かつ豊穣な魅力がある。
鴻池は言う。「もはや同じものではいられない」。この言葉が意味する広がりは大きい。全国の美術館を渡り歩きながら庶民とはかけ離れた「現代美術」を再生産するアーティストのありようが打ち棄てられているのか。あるいは、震災によって決定的な断絶を経験したにもかかわらず、その裂け目を直視することから逃避し続けている私たち自身の自己保身が撃たれているのか。いずれにせよ、この世界を構成する生命体が有機的に接合したイメージを全身で体感すればするほど、ある種の大きな切断面が心の奥底に広がるのである。「根源的暴力」とは、鴻池が言うように、美術に代表されるものづくりが自然からの収奪や自然への背馳を宿命的に抱え込んでいることを意味しているだけではない。それは、そのような決定的な断絶を容易には受け入れがたい私たちを、有無を言わさず、その裂け目に直面させるように仕向ける力のことでもあるのではないか。
その冷徹で加虐的な働きかけに耐えられない者は、視線を覆い隠して逃散するほかない。だがあらゆる危機が新たな局面を切り開く契機でもあるように、決定的な断絶は新たな運動の萌芽でもある。そのような断絶からの再生を鮮やかに示していたのが、会場の随所に展示された牛革をポンチョや着物に仕立て上げた作品である。それらの大半が空虚なマネキンに被せられていたことから、これらは本体がどこかへ脱皮した後に残された抜け殻として見ることもできよう。けれども、そもそも衣服が「第二の皮膚」であることを思い返せば、鴻池によって縫合された獣の革は、もしかしたら「第三の皮膚」ではないのか。「おまえのその身体は、果たしてこの皮膚にふさわしいのか?」。会場の随所で出会うたびに、そう問いかけられているような気がした。私たちが「もはや同じではいられない」のだとしたら、みずからの身体を第三の皮膚に収めるべく新たな身体につくりかえるのは、ほかならぬ私たち自身である。
2015/10/24(土)(福住廉)
谷澤紗和子×藤野可織「無名」
会期:2015/10/23~2015/11/01
KUNST ARZT[京都府]
美術作家の谷澤紗和子が制作した人形のような陶のオブジェに、小説家の藤野可織が短編小説を書き下ろしたコラボレーション展。子供の粘土遊びのような造形に、目・鼻・口を表わす虚ろな窪みをつけられたオブジェたち。ユーモラスなのか不気味なのか分からない表情で佇む彼らに、1ページずつ文章が添えられ、物語が展開していく。
「名前をつけてはいけない。名前をつけたとたんにお前は死ぬ」。恐ろしげな宣告で小説は始まる。「それもただの死に方じゃない。お前は引き裂かれ、ねじ切られ、ぐちゃぐちゃにつぶされて捏ねくり回された挙句、火でかちかちに焼き固められるだろう」。語られていくのは、名づける行為と存在、名を持たないことと忘却、名前のないものがもたらす恐怖と、名づけることで対象を認識し、分類し、秩序を与えて支配しようとする欲望だ。また、文体の特徴として、「お前」「わたしたち」「彼ら」といった人称代名詞の使用がある。指示対象が括弧の中に入れられて宙吊りのまま、文脈次第で異なる意味が空白に充填される人称代名詞の使用に加えて、冒頭とほぼ同一の文が最後のページに回帰する構造によって、小説を読み返しながら会場を何周も回るたびに、作品の印象がさまざまに変化するのだ。
陶のオブジェたちは、ある時は、目鼻がとれた焼け焦げた死体や拷問で変形した身体のように見え、物体へと還元されて固有名を失くしたもの、フォートリエの《人質》シリーズのように暴力の痕跡として立ち現われる。またある時は、生命を宿したばかりの胚のように見え、不定形で混沌としたエネルギーの蠢く塊、まだ名前を持たない存在を思わせる。あるいは、目鼻だけを彫った稚拙な地蔵像のように、プリミティブで集合的な祈念の形象化のようにも見えてくる。無為なのか底なしの暗闇なのかわからぬ窪みをのぞき込むと、釉薬のように色づいた表面が照り光っている。これは、貝殻を陶土に埋め込んで窯入れすることで、焼けた貝殻が釉薬のように色と光沢感をもたらすのだという。ここで、二枚貝が女性器の象徴として用いられてきたことを思い返すならば、頭部や腹部にぱっくりとした割れ目をもったオブジェたちは、解剖された標本のような不気味さのなかに、密やかなエロスを開示する。マジカルな仕掛けを駆使した小説との相互作用により、谷澤の陶オブジェは、そうしたさまざまな連想を許容する包容力を備えていることを示していた。
2015/10/24(土)(高嶋慈)
鉄道芸術祭 vol.5 ホンマタカシプロデュース もうひとつの電車~alternative train~
会期:2015/10/24~2015/12/26
アートエリアB1[大阪府]
京阪電車「なにわ橋駅」のコンコース内という特異な立地で知られるアートエリアB1では、鉄道をテーマにした芸術祭を毎年企画している。5回目の今回は、写真家のホンマタカシをプロデューサーに迎え、写真、映像、立体、インスタレーションなど多彩な展示を開催中だ。出品作品は、ホンマが編集した映像(リュミエール兄弟と小津安二郎とヴィム・ベンダースへのオマージュ)、建築家のドットアーキテクツによる京阪電車車両1/1模型内でのホンマのピンホール写真と蓮沼執太の音作品の展示、マティアス・ヴェルムカ&ミーシャ・ラインカウフによる抒情的な映像作品、街中でヘッドフォンやイヤホンから音漏れさせている人に近づき、漏れている音に合わせてダンスする小山友也の映像作品、電車内で居眠りしている人をテーマにしたPUGMENTのインスタレーションなど。また会期中のイベントも、貸切電車を用いたカメラオブスキュラ車両&ライブパフォーマンス&ファッションショー(12/12)、京阪光善寺駅内にホンマが設営したカメラオブスキュラを訪ねるツアー(12/4・6・26)など、凝ったプログラムが用意されている。
2015/10/23(金)(小吹隆文)