artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
チャンネル6 国谷隆志「Deep Projection」
会期:2015/10/29~2015/11/29
兵庫県立美術館[兵庫県]
正三角形に配置された数十本のネオン管が吊り下げられ、空間を赤い光で瞑想的に満たしている。近寄って見ると、ネオン管は丸い球が連なったようないびつな形をしており、鍾乳石や氷柱(つらら)といった自然の造形物を思わせる。そのなかを、炎のように、脈打つように揺らめく光。ネオン管の持つ都会的で人工的なクールなイメージは、柔らかで有機的なフォルムによって溶解していく。このいびつなフォルムは、熱したガラスに息を吹き込むことで成形されている。丸い球のような連なりは、作家の呼吸という身体的痕跡でもあるのだ。国谷の作品はライトアートの系譜に属するものだが、既製品ではなく、自らの息を吹き込んでつくったガラス管を用いることで、彫刻的要素とともに、生の痕跡をガラスという儚くも美しい素材で提示する装置ともなっている。
2015/10/30(金)(高嶋慈)
美術の中のかたち─手で見る造形 手塚愛子展「Stardust Letters─星々の文(ふみ)」
会期:2015/07/18~2015/11/08
兵庫県立美術館[兵庫県]
既成品の織物から糸をほどく、ほどいた糸で刺繍を施す、といった解体と再構築の作業を通して、絵画と表象、絵画を構成する多層構造の可視化、絵画と手工芸の境界、装飾や図案をめぐる東西の文化的記憶、といったさまざまな問題を提起してきた手塚愛子。本個展は、兵庫県立美術館のアニュアル企画である「美術の中のかたち──手で見る造形」展として開催された。この企画は、視覚障碍者にも美術鑑賞の機会を提供することを目的として、作品に触ることができる展覧会で、1989年度より始められ、今年で26回目になる。
今回の手塚の試みが秀逸だったのは、「点字」を作品に導入することで、「見る」行為における、視覚障碍者とそれ以外の鑑賞者との非対称性を解消したことだ。展示室に足を踏み入れると、天井近くから無数の白い糸が柱のように垂れ下がった光景が広がっている。鑑賞者はこの「糸の森」の中に入って、散策するように歩き回り、糸に触ることができる。さらに、インスタレーションの反対側に回ると、糸の柱は手前にいくほど低くなっており、白い柱の天辺が散らばった星のように見える。だがその配置は、実は点字の形を表わしており、手塚がベルリンから送った手紙が点字に訳されているという。この点字の文章は壁にも貼られており、視覚障碍者は手で触ってその内容を「読む」ことができるが、散りばめられた星屑のようなインスタレーションの光景を「見る」ことはできない。一方、点字を習得していない鑑賞者の眼には、糸の柱の無数の林立は、神秘的な光景として映るのみで、言語記号へと置換されず、手紙の内容を知ることはできない。手塚の作品は、両者にともに「想像すること」の余地と必要性を与えることで、他者のあずかり知らぬ知覚や思考が同居する空間へと想いを至らせる回路を開いていた。
2015/10/30(金)(高嶋慈)
ニュータウン♥ゴースト
会期:2015/10/04~2015/11/01
大塚・歳勝土遺跡公園[神奈川県]
港北ニュータウンに隣接する大塚・歳勝土遺跡公園で行なわれてきた都筑アートプロジェクト、今年は特に復元された竪穴住居が並ぶ大塚遺跡に集中的に展示している。橋村至星は竪穴住居内に段ボールを立て、表面にシールやテープを貼っているが、もっと段ボールハウスっぽくつくって入れ子状にすればよかったのに。阿部剛士は高床倉庫の下に新聞紙を固めた疑似石で枯山水をつくった。いちおう龍安寺の石庭と同じ配置だそうだが、とてもそうは見えない。とし田みつおは遺跡公園の端に白くて四角い箱をいくつか置き、物見台にもベンチにも使えるようにした。ここから柵越しにニュータウンを見下ろせというメッセージか。松本力は黒板に対角線や水平・垂直線を引いてイーゼルに置いた。なんだかわかんないナゾめいたとこがいい。全体にもっとスケールアップ、レベルアップすれば人が来るだろうに。
2015/10/29(木)(村田真)
尾形一郎/尾形優「沖縄モダニズム」
会期:2015/10/03~2015/11/07
タカ・イシイギャラリー フォトグラフィー/フィルム[東京都]
建築物を被写体としてユニークな写真作品を発表し続けている尾形一郎と尾形優。今回の個展のテーマは「沖縄モダニズム」である。沖縄では、戦後アメリカ軍が軍用物質として持ち込んだ穴あきのコンクリートブロックが各地に普及し、建築資材として利用されていった。それらは、日本の伝統的な「木割り法」を用いた鉄筋コンクリート建築と合体し、柱と梁はコンクリートでありながら、機能的には民家の構造を持つユニークな住居建築を生み出していく。そのミニマルな、「構成主義」的な外観を持つ建物に、装飾的な要素を付け加えているのがコンクリートブロックなのだ。
今回の展示では、4×5インチカメラの大判カメラで撮影された「街並」シリーズから5点と、那覇出身の彫刻家の能勢孝二郎が、コンクリートブロックを素材に制作した作品を、1点ずつ標本のように撮影した「彫刻」シリーズ32点が並んでいた。「沖縄モダニズム」の応用形というべき街の眺め(カラー)と、その基本単位であるコンクリートブロック彫刻(モノクローム)を対比することで、沖縄の「自然や伝統や生活、そこに軍事的環境が進入して、アブストラクトとして表現されることが日常となった時代」があぶり出されていく。これまでの彼らの作品と同様に、目のつけどころと、それを作品として再構築していく手続きは鮮やかとしかいいようがない。
なお彼らの「沖縄モダニズム」の建築物に対する考察は、先に羽鳥書店から刊行された『沖縄彫刻都市』で、写真図版とともに緻密に展開されている。そちらも、あわせて一読していただきたい。
2015/10/28(水)(飯沢耕太郎)
中里和人『lux WATER TUNNEL LAND TUNNEL』
発行所:ワイズ出版
発行日:2015年10月5日
中里和人は全国各地に点在する仮設の「小屋」を撮影した代表作『小屋の肖像』(メディアファクトリー、2000年)を見ればわかるように、あまり人が気づかない魅力的な被写体を見つけ出す能力に優れている。本書では、千葉県(房総半島)と新潟県(十日町周辺)に残る、素堀のトンネルをテーマに撮影した写真を集成した。
これらのトンネルは、江戸時代以降に、蛇行する川の流れを変え、かつての河床に水田を開発するために作られたものという。房総では「川廻し」、新潟では「瀬替え」と呼ぶ新田造成のために掘られたトンネルは「間府(まぶ)」と称される。この名称は、どうしてもこの世(光の世界)とあの世(闇の世界)を結ぶ通路を連想させずにはおかない。中里の写真では、トンネルの入口から射し込む光(lux)の圧倒的な物質性が強調されているのだが、これらの写真群は、死者の目で見られた道行きの光景を定着したものといえるのではないだろうか。
そのような、象徴的な意味合いを抜きにしても、素堀の壁に残るツルハシやノミの痕跡、剥き出しになった地層、地下を流れる水の質感、動物の骨や足跡など、それ自体が被写体として実に豊かなディテールを備えているのがわかる。とりたてて特徴のない田園地帯の足下に、このような「日常と非日常を往還するニュービジョン」が隠されていたことは、驚き以外の何ものでもないだろう。このテーマは、さらに別な形で展開できそうな気もする。
2015/10/28(水)(飯沢耕太郎)