artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

吉川舞 展

会期:2014/11/24~2014/11/29

ギャラリー白3[大阪府]

本展は、新進陶芸家・吉川舞の初個展だ。作品は、量産の素焼きの皿の上に、絵付けの図柄の転写シールと、ファッション雑誌などから抜き出した写真画像をコラージュして配したもの。手わざの対極にあるような作品だが、レイアウトのセンスがよく、ポップでお洒落な世界をつくり出すことに成功している。影響を受けた作家はグレイソン・ペリーと聞き、なるほどと思った次第だ。彼女はまた、新人なので、作風を云々するのはまだ早い。いまのフレッシュな感覚を忘れずに制作に邁進してほしい。

2014/11/24(月)(小吹隆文)

第5回福岡アジア美術トリエンナーレ2014

会期:2014/09/06~2014/11/30

福岡アジア美術館全館、周辺地域[福岡県]

福岡アジア美術トリエンナーレ2014を見る。紹介するアーティストのエリアを特化したことと、5回継続してきた厚みを感じる内容だった。全体としては、純粋な視覚系よりも、社会と関係する作品が多い。日本の現代美術やサブカルチャーが、アジアに影響を与えている作品も少なくないように感じた。また今年から始めた特別部門「モンゴル画の新時代」が想像以上に興味深い。これが、この10年の動向なら、確かに大きな変化である。


左: ルー・ヤン《子宮戦士》  右:ガンボルディン・ゲレルフー《欲望》(モンゴル画)

2014/11/24(月)(五十嵐太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00027694.json s 10105364

荒木経惟『道』

発行所:河出書房新社

発行日:2014年10月30日

2014年4月~6月に豊田市美術館で開催された荒木経惟「往生写集──顔・空景・道」で発表された新作「道路」は、心動かされる作品だった。2011年末に転居したマンションのバルコニーから、真下の道路を毎朝撮り続ける。それだけの写真が淡々と並んでいるのだが、背筋が凍るような凄みを感じる。生と死を含む人間界の出来事のすべてが、その縦長の画面にすべて写り込んでいるように感じてしまうのだ。森羅万象を自在に呼び込んでいく、荒木の写真家としての能力がそこに遺憾なく発揮されているといえるだろう。
その「道路」の連作が、写真集として刊行された。『道』には108枚の写真がおさめられている。いうまでもなく「除夜の鐘」の数であり、このところ荒木の作品に色濃くあらわれてきている仏教的な無常観からくるものだろう。ちなみに、彼の実質的なデビュー作である写真集『センチメンタルな旅』(1971年)も108枚の写真で構成されていた。特筆すべきは町口覚によるブックデザインで、最初と最後の2枚以外はほぼ同じ構図の写真がずっと続く縛りの多いシリーズを、「40頁の観音開き」を巧みに使うことで、見事に写真集としてまとめている。「観音開き」で写真の大きさを変えながら、108枚の写真を最後まで見せきっていくのだ。
それにしても、途中に挟み込まれている何枚かのブレた写真が何とも怖い。その瞬間に、霊的な存在がふっと通り過ぎたような気配が漂っている。

2014/11/23(日)(飯沢耕太郎)

阪神・淡路大震災から20年

会期:2014/11/22~2014/03/08

兵庫県立美術館[兵庫県]

1995年1月17日に起こった阪神・淡路大震災。今年は震災から20年という節目の年であり、兵庫県内の複数の美術館・博物館などで震災関連の展示が行なわれる。その先陣を切って開催されているのが本展だ。展覧会は3部構成で、第1部「自然、その驚異と美」では、プロローグとして日本人の自然観を表現した作品が並び、第2部「今、振り返る─1.17から」では、当時の美術館の被災状況やその後の取り組み、芦屋にあった写真家・中山岩太のスタジオから作品と資料を救出した文化財レスキューの活動、作品の保存・修理と記憶を受け継ぐための教育・普及事業を紹介、第3部「10年、20年、そしてそれから」では、写真家の米田知子が2005年に芦屋市で制作・発表した写真シリーズを展示した。展覧会を見て気付いたのは、いくら忘れまいと思っていても、20年の歳月は人の記憶を薄れさせるということ。だからこそ、定期的にこのような企画を行なう必要があるのだ。これから他館で行なわれる震災関連展もチェックして、あの日の記憶を今一度定着させたい。

2014/11/22(土)(小吹隆文)

artscapeレビュー /relation/e_00029146.json s 10106062

岡本光博 マックロポップ

会期:2014/10/25~2014/11/22

eitoeiko[東京都]

京都在住のアーティスト、岡本光博の、東京では21年ぶりになるという個展。決して広くはない会場に、新旧あわせた作品が凝縮して展示された。
「マイクロポップ」をもじった展覧会名に端的に示されているように、岡本の醍醐味は記号を反転させる単純明快さにある。しかも今回展示された作品の大半は、セックスに関わるものであり、平たく言えば下ネタのオンパレードであった。一つひとつの作品に笑わされるというより、それを終始一貫させる、あまりの徹底ぶりがおかしい。
しかし現代美術の現場において、岡本のような作品は、あまり評価されない傾向がある。高尚な思想を背景にしているわけではなく、解釈の多様性が担保されているわけでもなく、要するにあまりにもわかりやすく、「深み」に欠けているように見えるからだ。とりわけ絵画においては、唯一の解答に導くのではなく、鑑賞者の想像力を無限に拡張させることが至上命令とされている感すらある。芸術とは、かくも深遠なものというわけだ。
けれども、実際のところ、こうした考え方は芸術の本質であるわけではない。そのような芸術の「深さ」はポップ・アートによってすでに相対化されてしまったと言えるし、その「深さ」とやらこそ、美術と庶民のあいだに不必要な距離感をもたらしたとすら考えられるからだ。だとすれば、岡本の作品をたんなる下衆で低俗な言葉遊びとは到底言えなくなる。それは、そのような「深さ」を伴った芸術に向けられた、そしてそのような芸術を依然として待望してしまう私たちの心根に向けられた、きわめて鋭利な批判なのだ。性的な主題を大々的に前面化させているのも、それを忌避しがちな現代美術への露悪的な身ぶりなのだろう。
だが岡本の作品もまた、同時代を生きる者によって同時代を生きる者に向けられた美術という点で、現代美術のひとつであることに違いはない。「マックロポップ」が「マイクロポップ」のようなムーヴメントを形成することはないだろうが、現代美術におけるどす黒い反逆の身ぶりを示す指標にはなりえるのではないか。

2014/11/21(金)(福住廉)