artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

未来を担う美術家たち17th──DOMANI・明日展

会期:2014/12/13~2015/01/25

国立新美術館[東京都]

「未来を担う美術家たち」「文化庁芸術家在外研修の成果」という、期待と事実を表わす2本のサブタイトルがついている。出品は12人(ほかに保存修復の3人も加わっている)で、年代は30代前半から50代なかばまで(年齢不詳が約3人)広がりがあるし、ジャンルも絵画、版画、ドローイング、彫刻、写真、陶磁、マンガ、アニメと多様。また、海外に派遣されたのは全員2000年以降だが、03-13年と幅があり、派遣先もヨーロッパ各国、アメリカ、インドネシアとさまざまだ。つまり文化庁のお金で海外に行ってきたという以外なんの共通点もないグループ展なのだ。まあ文化庁としては全員「未来を担う美術家たち」で収めたいのだろうが。でも見ていくうちに共通項が見つかった。ほぼ全員の作品がモノクロームかそれに近い色彩なのだ。と思ったら、後半の古武家賢太郎と入江明日香がカラフルだった。ガーン。とにかくトータルにはまとまりのない展示なので、個々の作品を楽しめばよい。雑巾に墨汁で年季の入った工場やクレーンを縮小再現した岩崎貴宏の「アウト・オブ・ディスオーダー」シリーズと、ドクロや鏡に過剰な装飾を施した青木克世の陶磁はすばらしい。岩崎の作品は川崎市市民ミュージアム所蔵となってるので、きっと京浜工業地帯の工場だろう。同じ目的で集う20-30人の人たちの顔を重ねて焼いた写真で知られる北野謙は渡米後、被写体を太陽や月に変えた。でも太陽や月を長時間露光で撮るのは珍しくないからなあ。一見、山口晃を思わせる入江明日香のJポップな屏風仕立ての絵が、実は銅版画(のコラージュ)だったとは驚き。これは売れそう。

2014/12/17(木)(村田真)

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伊東豊雄 展──台中メトロポリタンオペラハウスの軌跡 2005-2014

会期:2014/10/17~2014/12/20

ギャラリー間[東京都]

台湾・台中市に建設中の伊東豊雄設計によるオペラハウスの展示。外見は四角い箱だが、内部はドーナツの内側の曲線(円筒の両端を広げたような)を連続させた複雑な構造になっていて、要するに床、壁、天井の境界がないのだ。伊東によれば「これは人体になぞらえることができる。人の身体には多くのチューブ状の器官が存在するように、この建築の内部にも縦横無尽にチューブ状の空間が貫通しているからである。身体が口、鼻、耳などの器官を介して自然と結ばれているように、このオペラハウスも内外が連続する建築を目指したのである」。もちろんそんなややこしいことをしたらテマヒマかかることは目に見えてるので、このプロジェクトを円滑に仕切りたい総務課と、芸術性を重視する企画課がバトルを繰り広げたのではないかと想像する。もちろん実際にそんな課はないだろうけど、少なくとも伊東氏の頭のなかで両課はせめぎあってるのではないだろうか。考えてみれば、伊東氏も反対の声を上げたザハ・ハディドの新国立競技場案だって、総務課と企画課とのつばぜり合いにほかならない(そこに経理課と環境課も乱入してよけい複雑かもしれないが)。新国立競技場はともかく、オペラハウスのほうは着々と進んでいるそうだ。

2014/12/16(火)(村田真)

国谷隆志展

会期:2014/12/09~2014/12/21

アートスペース虹[京都府]

国谷隆志といえばネオン管をつかった作品がすぐに浮かぶのだが、今展には、国谷が近年発表しているネオン管による言葉のインスタレーション作品のほか、読み終えた本から全てのページを切り離し、街中で行き交う人々にただ配布するというニューヨークとヴェネチアの二箇所で行われたプロジェクトのドキュメント映像作品も発表された。どちらも、『人は自己という存在や自らを取り巻く世界、事物のあり方に対してどのように向き合うのか』という存在と認識(までの時間)にアプローチする作品。映像として発表された本のページの配布プロジェクトに使われたのは、ミヒャエル・エンデの『モモ』とスタニスワフ・レムの『ソラリスの陽のもとに』だった。この二冊を選んだのはどうしてなのだろう。物語の先入観に妨げられてややピントが合わない感じがしたが、国谷の新たな制作への意欲もうかがえた個展。

2014/12/16(水)(酒井千穂)

活動のデザイン展

会期:2014/10/24~2015/02/01

21_21 DESIGN SIGHT[東京都]

社会的、アート的、SFのテイストなど、今後の世界を考えるさまざまデザインを紹介するものだが、幾つか興味深い作品に出会う。時計の群が文字を形成するア・ミリオン・タイムズ、タクラムによる身体化された百年後の水筒、風で転がりながら地雷を除去する装置マイン・カフォン、ホンマタカシのカメラ・オブスキュラとしての建築、大西麻貴+百田有希の望遠鏡のおばけ、ドローンの巣などである。


左:ヒューマンズ シンス 1982 《ア・ミリオン・タイムズ》(2014)
右:大西麻貴+百田有希/o + h 《望遠鏡のおばけ》(2014)


2014/12/15(月)(五十嵐太郎)

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清水裕貴「mayim mayim」

会期:2014/12/05~2015/12/28

undō[東京都]

東京・三ノ輪に2014年5月にオープンしたギャラリー・スペースundō(運動という意味だそうだ)で、清水裕貴の個展が開催された。清水は2011年に第5回写真「1_WALL」でグランプリを受賞し、12年にガーディアン・ガーデンでその受賞展「ホワイトサンズ」を開催した写真家。ふわふわと宙を漂うような風景写真と、ポエティックなテキストを組み合わせた作品は、将来性を感じさせるものだった。それから2年が過ぎ、何か新たな展開があるだろうかと期待して見に行ったのだが、残念なことに作品のあり方はそれほど変わっていなかった。
今回は、イスラエルに雨乞いの祭りの取材に行ったときのスナップと、例によって散文詩のような感触のテキストを組み合わせている。ちなみに、フォークダンスの楽曲として知られていて、今回の展覧会のタイトルにもなっている「mayim mayim」は、開拓地で水を掘り当てたことに感謝を捧げるイスラエルの歌なのだそうだ。テーマは面白いし、謎めいた雰囲気の写真の選び方、並べ方も悪くない。にもかかわらず、映像も言葉も宙に舞って、そのまま雲散霧消しそうな心もとなさを感じる。
彼女にいま必要なのは、作品の「構造化」をより徹底することではないだろうか。夢や幻想の世界を描き出した作品も、いやむしろそういう作品だからこそ、くっきりとした論理的な構造が必要になってくる。たとえば、今回の作品の中に登場してくる魅力的な「足」のイメージを、きちんと育て上げ、一貫したストーリーの中に位置づけることができた時、写真と言葉の両方の領域を自在に操ることができる、スケールの大きな写真作家が出現するのではないだろうか。

2014/12/15(月)(飯沢耕太郎)