artscapeレビュー
美術に関するレビュー/プレビュー
Ezotic Caravan──国の北から
会期:2014/12/04~2014/12/09
東京都美術館ギャラリーC[東京都]
タイトルの「国の北から」はいわずもがな、「エゾチック・キャラバン」のほうも国鉄時代のキャンペーン「エキゾチック・ジャパン」をもじったのか。命名者は50代だな。ちなみに「エゾチック」とは北海道的なるもの、といった意味らしい。出品は北海道出身の18人による絵画、彫刻、インスタレーション、写真、マンガなど。いくつか目についた作品を挙げると、石ばかり描いた工芸的仕上がりの絵画(+オブジェ)の川上亜里子、「ドーン」という文字を立体化して赤く塗った高橋喜代史、白い液体を入れたプールの上から水に関連する記号やイメージを投影した端聡、女性ヌードの投稿写真ばかり描出する村山之都、自作の縄文太鼓を並べた茂呂剛伸……。よくも悪くもエゾチックなものは感じられませんでした。
2014/12/09(火)(村田真)
奈良原一高「王国」
会期:2014/11/18~2015/03/01
東京国立近代美術館[東京都]
奈良原一高が1958年に発表した「王国」は、まさに彼の初期の代表作というにふさわしい、堂々たるたたずまいの作品である。函館のトラピスト修道院を舞台とする第一部「沈黙の園」と、和歌山の女子刑務所を撮影した第二部「壁の中」という二部構成は、1956年のデビュー作品展「人間の土地」(鹿児島県桜島の「火の山の麓」と長崎県端島の「緑なき島」の二部構成)を踏襲しているが、囲い込まれた空間における人間の生の極限状況を提示するという観念的な枠組みはより強化され、ぴんと張りつめた緊張感を孕んだ画像が強い印象を与える。1962~65年のヨーロッパ滞在以降に、豊穣に花開いていく奈良原の写真の基盤は、この作品によって確立したといってよいだろう。
「王国」は雑誌発表や展覧会、さらに写真集として刊行されるたびに、微妙に姿を変えていったシリーズである。今回の東京国立近代美術館の展示は、2012年にニコンから寄贈された87点のセットによるものであり、それは1978年刊行の写真集『王国─沈黙の園・壁の中』(朝日ソノラマ)の構成を、ほぼそのまま再現したものだという。大、中、小の3種類のプリントを配置した展示空間は、実に緊密に練り上げられており、今なおみずみずしい鮮度を保っている。企業が所持していた写真作品が、美術館のコレクションとしてよみがえるという例は、これまであまりなかったのではないだろうか。今回の展覧会は、そのいいモデルケースになると思う。
2014/12/09(火)(飯沢耕太郎)
土井沙織 展「わたしのイコン」
会期:2014/12/06~2014/12/20
蔵丘洞画廊[京都府]
土井沙織は愛知県出身で、2010年に東北芸術工科大学大学院を修了した画家。主に公募展で発表しており(個展は過去に一度)、関西では本展が初お目見えとなった。作品の主なモチーフは動物で、野太いタッチと鋭い目の描き方に特徴がある。本展のタイトルに「わたしのイコン」とある通り、動物を通して神仏のごとき超越的な存在を描こうとしているのかもしれない。どの作品も有無を言わせぬ存在感があり、時代や流行に左右されない作家になりうる才能と見た。なかでも、画廊の壁面を目いっぱい使った、天地約1.8メートル×横幅約4.5メートルの大作(画像)は素晴らしかった。
2014/12/09(火)(小吹隆文)
バスで行くアート・ツアー「五十嵐太郎さんとめぐる豊田の建築」
会期:2014/12/07
豊田市美術館が企画した建築バスツアーのガイド役をつとめた。《逢妻交流館》(妹島和世/妹島和世建築設計事務所、2010)にタクシー代程度の値段で、ランチ込みの参加費だったため、お得感もあり、40名の枠に倍近い応募者があったらしい。考えてみると、豊田市は地方都市ながら、妹島和世、黒川紀章、槇文彦、谷口吉生という世界的な建築家(プリツカー賞受賞者2名含む)の空間を一日で体験できる。まず、《豊田大橋》(黒川紀章 / 黒川紀章建築都市設計事務所、1999)と《豊田スタジアム》(黒川紀章 / 黒川紀章建築都市設計事務所、2001)を一連の景観として、同じ建築家が設計したのは希有な事例だろう。敷地に余裕がなく、急傾斜で壁のように立ち上がる観客席が印象的である。またスリットから外部が見えるのも興味深い。黒川らしく、外部やバックヤードは徹底して合理化する一方、吊り屋根や可動部に華を添えるメリハリのあるデザインだ。また貴賓席はポストモダンの細部も散りばめ、黒川印の装飾を使う。
続いて、《鞍ヶ池記念館》(槇文彦/槇総合計画事務所、1974)へ。一般に入場できる展示エリアは見学したことがあったが、今回は特別にゲストハウスのエリアに足を踏み入れることが許可され、貴重な体験をした。展示室に比べて、圧倒的に濃密なデザインである。壁、床、天井における素材の多様性、細かい床や天井のレベル操作、そして様々な美術作品が空間を彩る。三角形という建物の輪郭が生む斜めの構成ゆえに、部屋を出入りするごとに位置感覚がリセットされ、それぞれの場の個別性が強化されていた。池に対する風景の演出も巧みである。『新建築』では、磯崎新の群馬県立近代美術館と同じ号に掲載されている40年前の作品だが、ほとんど改造もされず、大切に使われているし、古びれない槇の建築に感心させられた。当時の彼はまだ40代だと思うと、大人の建築なのだが、現在は若手にこうしたプロジェクトがなかなかまわってこないのが残念である。その後、移築した《旧豊田喜一郎邸》(1933)を見学した。名古屋の近代建築を牽引した鈴木禎次が手がけたものだが、折衷具合が興味深い。基壇となる一層目は、ガウディの影響と説明されているが、西洋に比べて薄めのグロッタ風と解釈すべきだろう。二層目は、アーチの窓が並び、洋風のインテリア。三層目は、ハーフティンバーを強調するが、内部は和室である。異なるデザインを積層した不思議な建築で、ジブリの宮崎アニメの洋館のようだ。
豊田の若手建築家、佐々木勝敏が設計した《志賀の光路》(2014)を訪れた。典型的な住宅地において街並みに寄与する家である。角地にたつが、建物を奥に配し、塀をなくして小公園的な場を生む。六角形平面で、1階の開口は一ヶ所に絞るが、上部を囲む水平スリットから光を導く。中心の吹抜けは、大梁をルーバーで隠しながら光溜をつくる。バスで移動中、彼が手がけたもうひとつの住宅も、外観のみ見る機会があり、周辺との関係、開口のとり方を比較することができて興味深い。最後は《豊田市美術館》(谷口吉生/谷口建築設計研究所、1995)に戻り、学芸員の能勢陽子さんの解説を聞きながら、改修工事中で展示物がない状態の純粋空間として各部屋をまわった。この建築も大切に使われている。
2014/12/07(日)(五十嵐太郎)
渡辺淳の世界─スケッチ・静物・広告・報道─
会期:2014/12/02~2015/12/24
JCII PHOTO SALON[東京都]
渡辺淳(1897~1990)は千葉県長生郡の天台宗の寺院に生まれ、写真館での修行を経て、シンガポールやインド・カルカッタで写真家として活動した。1920年に帰国後、中島謙吉が主宰する『芸術写真研究』誌への寄稿を中心に芸術写真家として活動するようになる。大正末から昭和初期にかけて発表された渡辺の作品は、まさに同時期の「芸術写真」の典型というべき作風であり、「雑巾がけ」(印画紙にオイルを引き、油絵具で彩色する手法)、「デフォルマシオン」(印画紙を撓めて引き伸ばしたプリント)といった技法を高度に駆使したものだった。「裸婦」(1926年)、「冬」(1927年)、「二階の女」(同)などの代表作は、これまでも多くの展覧会に出品され、写真集にも収録されている。
だが一方で、渡辺は1927年頃から、シンガポールで知り合った山端祥玉が創設した写真通信社、ジー・チー・サン商会に勤め、報道写真や広告写真の分野にも意欲的に取り組んでいた。今回のJCII PHOTO SALONでの回顧展では、写真の表現領域を大きく広げていった1920~40年代の渡辺の仕事にスポットを当てることで、むしろ彼の芸術写真家としての初心がどのように保ち続けられていったのかを丁寧に浮かび上がらせている。なお、キュレーションを担当した白山眞理は、2014年10月に『〈報道写真〉と戦争』(吉川弘文館)を上梓したばかりである。戦中・戦後の「報道写真」のあり方を見事に跡づけたこの労作をあわせて読むと、渡辺の写真の時代背景に対する理解がより深まるだろう。
2014/12/07(日)(飯沢耕太郎)