artscapeレビュー

美術に関するレビュー/プレビュー

柴山水咲 展「人の鏡」

会期:2014/05/27~2014/06/01

アートスペース虹[京都府]


描かれているのは主に、植物。ドローイングは30枚ほどで、絵には染みが施されている。始めはこの染みが、美しいドローイングをどうも見えづらくしているもやのようにも見えたが、それが指のように見えた瞬間、人の影なのだと腑に落ちた。これはこの絵と対峙している作家自身なのだ。壁一面にランダム気味に貼られていたのはとても躍動的で、1枚1枚に時間や空間、身体性までもが込められた絵としても美しかった。そういえばタイトルは人の鏡……。

2014/06/01(日)(松永大地)

新INCUBATION #6 堀尾貞治 冬木遼太郎「Making Sense of Nonsense」

会期:2014/05/17~2014/06/29

京都芸術センター[京都府]


冬木作品における突拍子もない感じは、飛躍に次ぐ飛躍でこちらの感覚をぐんぐん刺激してくる。見る側が無数の物語を生産してしまって、情報の渦につつまれるような状態になる。これが足し算だとすると、堀尾作品は一見同じように足し算のようでもあるが、実はそもそも構造はひとつであり、足し算でも引き算でもない、プラスマイナスゼロ。今回も黒色でフレーミングするという作品一本勝負(展示する壁面の並びはダーツで決めたという)。小さなポストカードを囲み、壁一面を囲み、展覧会自体をも覆い、冬木作品の渦もまあまあ飲み込んでいる、と思いながら、南と北、距離的にも離れているそれぞれのギャラリーを何度か往復するうちに、なんだか作品と作品が会話しているようにも見えてきた。この二人展の組み合わせはすごくいい。

2014/06/01(日)(松永大地)

あそびのつくりかた

会期:2014/03/01~2014/06/01

丸亀市猪熊弦一郎現代美術館[香川県]


実際に乗ったり触ったり、体験できることで子どもに人気の他作家の作品が並ぶ中、梅田哲也作品は、光と扇風機、ポリ袋、チューブといった梅田作品にはおなじみの日常品のセレクトで構成されていた。美術館は天井までは高さがあるのだが、天井のところにも作品のパーツが配置されており、細い管や棒、小さな明かりなど、他の作家の作品が大きくてわかりやすいタイプの作品と比べると、やや地味目。しかし、じっくり耳を澄ませると、細かい動きや音、光が動き出す、装置自体に小動物のようななんともいえない味があった。じっと子どもが注目してくれるのを待っているような、体験ではなくそれ自体を楽しむような通好みの構造。これを楽しめる子どもは、どれだけいたんだろうなー。

2014/05/31(土)(松永大地)

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前原冬樹 展「一刻」

会期:2014/05/28~2014/06/04

Bunkamura Gallery[東京都]

三井記念美術館で7月13日まで開催中の「超絶技巧! 明治工芸の粋」展は、安藤緑山をはじめ並河靖之や濤川惣助、正阿弥勝義、柴田是真など、文字どおり金銀珠玉を集めた展覧会。現在ではほぼ再現不可能と言われる超絶技巧の粋を間近で堪能できる貴重な機会だ。
興味深いのは、そうした数々の逸品が、多くの場合、無名の職人たちによって制作されたものだという事実である。正体が謎に包まれている安藤緑山は別として、並河靖之は本人が直接手を掛けていたわけではないし、薩摩焼の精巧山や錦光山も窯の名称だ。蛇や昆虫などが可動する自在置物の明珍という名前も、甲冑師の流派を指している。特定の個人による作品に普遍的な価値を与える近代的な芸術観とは対照的に、明治工芸の多くは優れた技術と才能に恵まれた無名の職人たちによる集団制作だったのだ。
明治工芸の技術は残念ながら継承されることはなかった。けれども、その類まれな質を、いまたったひとりで追究しているのが、前原冬樹である。前原が彫り出す造形はおおむね一木造り。板の上でつぶれたカマキリや、鉄板の上に置かれた折り鶴、平皿に載せられた食べかけの秋刀魚などを、すべてひとつの木の塊から彫り出している。寄木細工のように組み合わせるのではなく、あくまでも一木にこだわる執着心がすさまじい。しかも油絵の具で精巧に着色しているから、木材の材質感を感じさせずに事物を忠実に再現しているのだ。
前原の作品の特徴は、過去への志向性にある。錆びついた空き缶やトタン板、そしてセミの抜け殻。過ぎ去りし日を思い偲ばせるような叙情性が強く立ち現われている。侘び寂びと言えば確かにそうなのかもしれない。だが、あえて深読みすれば、前原は途絶えてしまった明治工芸のありかを手繰り寄せようとしているように見えなくもない。前原が木の塊に見通しているのは、たんなる郷愁ではなく、断絶された歴史、ひいてはその再縫合なのではないか。
ただ、明治工芸の職人たちが視線を向けていたのは、むしろ現在である。並河靖之や濤川惣助の七宝はヨーロッパ各国の万博で高値で売れたからこそ、あれほどまでに技術が高められたのであるし、安藤緑山にしても、当時最先端の技術を駆使しながら明治期に流入した新しい野菜や果物を制作していた。つまり、明治工芸は明治における現代アートだったのだ。
だからといって前原の作品が現代アートでないというわけではない。あらゆる歴史が過去を振り返りながら未来に進むように、同時代のアートには現在と過去、そして未来が混合しているからだ。であれば前原は未来をも彫り出していることになる。明治工芸から前原冬樹の系譜は、高村光太郎や荻原碌山以来の近代彫刻とは異なるもうひとつの歴史であり、それが現在再生しつつあるとすれば、「彫刻」はいよいよ相対化され、その束縛を解き放つ契機が生まれるはずだ。歴史は複数あり、さまざまな歴史がある。現代アートの歴史もひとつではない。そこに未来があるのではないか。

2014/05/30(金)(福住廉)

山元勝仁「eruptions」

会期:2014/05/30~2014/06/15

ROPPONGI HILLS A/D GALLERY[東京都]

アンフォルメル風に絵具をのせた正方形のタブロー上に、紙でつくったキノコや草花や記号類が生えている。タブローを横にすると「生えてる」のだが、壁に掛けているのでタブローから飛び出してるというべきか。そのキノコや記号はにぎやかなパターンで彩られ、草間彌生や村上隆の図柄を思い出してしまう。そもそもつくりがチープだし。

2014/05/30(金)(村田真)