artscapeレビュー

書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー

カタログ&ブックス | 2023年1月15日号[近刊編]

展覧会カタログ、アートやデザインにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
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「すべて未知の世界へ ―GUTAI 分化と統合」カタログ

発行:国立国際美術館大阪中之島美術館
発行日:2022年10⽉
サイズ:28cm、285ページ


2022年10⽉22⽇(⼟)〜2023年1⽉9⽇(⽉・祝)に国⽴国際美術館、⼤阪中之島美術館にて開催されていた「すべて未知の世界へ ―GUTAI 分化と統合」のカタログ。






「中﨑透 フィクション・トラベラー」カタログ

監修:中﨑透
編集:竹久侑、嘉原妙
写真:加藤健、仲田絵美
発行:水戸芸術館現代美術センター
発行日:2022年11月
サイズ:A5判、288ページ

2022年11月5日(土)〜2023年1月29日(日)まで開催されている展覧会「中﨑透 フィクション・トラベラー」のカタログ。






近代建築における理想の変遷 1750-1950

著:ピーター・コリンズ
翻訳:吉田鋼市
発行:鹿島出版会
発行日:2022年12月13日
サイズ:23cm、440ページ

ケネス・フランプトンが再評価した「近代建築の解釈学的古典」。待望の邦訳刊行。






建築と触覚 ─空間と五感をめぐる哲学

著:ユハニ・パッラスマー
解説:スティーヴン・ホール
翻訳:百合田香織
発行:草思社
発行日:2022年12月16日
サイズ:四六判、208ページ

建築における触覚、聴覚、味覚、嗅覚の重要性を視覚偏重の時代に再考し、哲学・美術をも横断しながら「五感を統合する」建築の在り方を問う。






1階革命 ─私設公民館「喫茶ランドリー」とまちづくり

著:田中元子
発行:晶文社
発行日:2022年12月20日
サイズ:四六判、280ページ

1階づくりはまちづくり! 大好評だった『マイパブリックとグランドレベル』から5年、グランドレベル(1階)からはじまる、まちづくり革命の物語、完結編。






田中敦子と具体美術協会

著:加藤瑞穂
発行:大阪大学出版会
発行日:2023年1月20日
サイズ:A5判、400ページ

電気服はいかにして平面になったのか――具体美術協会再考のための初めてのモノグラフ









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展覧会カタログ、アートやデザインにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
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2023/01/13(金)(artscape編集部)

小平雅尋『杉浦荘A号室』

発行所:Symmetry

発行日:2023/01/09

小平雅尋の新しい写真集『杉浦荘A号室』のページを繰っていて、彼が東京造形大学の学生だった頃から私淑していた大辻清司の作品《間もなく壊される家》(1975)、《そして家がなくなった》(1975)を思い出した。同作品は、「大辻清司実験室」と題する連載の第11回目と12回目(最終回)として、『アサヒカメラ』(1975年11月号、12月号)に連載されたもので、大辻の代々木上原の古い家が取り壊されるまでのプロセスを淡々と記録したものである。小平もまた、長く住んだ世田谷区のアパートの部屋から移転することになり、その最後の日々をカメラにおさめようとした。部屋の中のさまざまな“モノ”の集積を、丹念に押さえていこうとする視線のあり方も共通している。

だが、小平の今回の作品は、彼自身の姿が頻繁に映り込んでいることで、大辻の旧作とはかなり印象の違うものになった。セルフタイマーを使った画像から浮かび上がってくるのは、まさに「写真家の日常」そのものである。撮影やフィルムの現像などの作業のプロセスを、これだけ見ることができる写真シリーズは、逆に珍しいかもしれない。それに加えて、窓の外の庭にカメラを向けて写した植物や小鳥の写真が、カラー写真で挟み込まれている。写真集の最後のあたりには、結婚してともに暮らすことになる女性の姿も見える。大辻の作品と比較しても、より「私写真」的な要素が強まっているといえそうだ。

小平の前作『同じ時間に同じ場所で度々彼を見かけた/I OFTEN SAW HIM AT THE SAME TIME IN THE SAME PLACE』(Symmetry、2020)は、それまでの抽象度の高いモノクローム作品の作家という彼のイメージを覆す意欲作だった。今回はさらに、プライヴェートな視点を強めて、新たな領域に出ていこうとしている。写真家としての結実の時期を迎えつつあるということだろう。

関連レビュー

小平雅尋『同じ時間に同じ場所で度々彼を見かけた/I OFTEN SAW HIM AT THE SAME TIME IN THE SAME PLACE』|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2020年12月15日号)

2023/01/10(火)(飯沢耕太郎)

ユク・ホイ『中国における技術への問い──宇宙技芸試論』

翻訳:伊勢康平

発行所:ゲンロン

発行日:2022/08/10

昨年、哲学者ユク・ホイの主著2冊が立て続けに日本語に翻訳された。その1冊が『再帰性と偶然性』(原島大輔訳、青土社)であり、もう1冊が本書『中国における技術への問い』(伊勢康平訳、ゲンロン)である。かれのおもな専門は技術哲学だが、過去には哲学者ジャン=フランソワ・リオタールが手がけた展覧会「非物質的なものたち」(1985)についての論文集の編者を務めるなど★1、現代美術にも造詣が深いことで知られる。

本書『中国における技術への問い』は、近年まれにみるスケールの哲学書である。著者ユク・ホイは香港でエンジニアリングを、イギリスで哲学を学び、ドイツで教授資格(ハビリタツィオン)を取得したという経歴の持ち主だが(現在は香港城市大学教授)、本書を一読してみればわかるように、そこでは英語、中国語はもちろん、ドイツ語やフランス語の文献までもが幅広く渉猟されている。そのうえで本書が投げかけるのは──まさしく表題にあるように──「中国」における「技術」とは何であるか、という問いである。

そもそもこの「技術への問い(The Question Concerning Technology)」という表現は、ハイデガーによる有名な1953年の講演(の英題)から取られている(『技術への問い』関口浩訳、平凡社ライブラリー、2013)。本書は、かつてハイデガーが西洋哲学全体を視野に収めつつ提起した「技術への問い」を、中国哲学に対して差しむけようとするものである。せっかちな読者のために要点だけをのべておくと、本書でホイがとりわけ重視するのは「道」と「器」という二つのカテゴリーである。大雑把に言えば、中国哲学においては前者の「道」が宇宙論を、後者の「器」が技術論を構成するものであり、ホイはこれら二つの概念を軸に、みずからが「宇宙技芸」と呼ぶものの内実を論じていくことになる。言うなればこれは、古代ギリシアにおける「テクネー」を端緒とする西洋的な「テクノロジー」とは異なる、中国的な「技術」の特異性を明らかにする試みである。

同時に、ただちに付け加えておかなければならないが、本書は「技術」概念をめぐるたんなる比較思想の試みでもなければ、中国における「技術」によって西洋のそれを「乗り越えよう」とする試みでもない。本書後半において、戦前の京都学派による「近代の超克」論に話題が及ぶことからもうかがえるように、著者は「技術への問い」がもつ政治的な危うさを重々承知している。ホイによる「宇宙技芸」というプロジェクトの核心は、従来もっぱら単一的・普遍的なものとされてきた「技術」を複数的なものとして捉えなおし、各々の「技術」がいかなる世界把握に支えられているのかを説得的なかたちで示すことにある。ここには、凡百の技術哲学とは異なる周到な方法的自覚がある。

本書の「日本語版へのまえがき」でも書かれているように、「宇宙技芸(cosmotechnics)」の「宇宙(cosmo-)」という接頭辞には、宇宙論が「技術に原動力を与え、その条件を規定する」という意味と、技術が「宇宙と人間世界の道徳のあいだを媒介する」という双方の意味が込められている(15-16頁)。本書におけるストア派と道家の思想の比較が示すように、著者はなにも中国にだけ特権的な「宇宙技芸」を見いだしているのではない。ここで言う「宇宙技芸」には東西問わずさまざまなかたちがありえたし、これからもありうるだろう。繰り返しになるが、重要なのは「技術」を単一的・普遍的なものから解放し、その複数性に目をむけることである。

本書の問いを継承する『芸術と宇宙技芸』(2021)をはじめとして★2、ユク・ホイが本書によって切り開いた問いの領域は、いまなお拡大を続けている。そこではきわめて広範な問題が論じられているだけに、おそらくさまざまな異論や反論もありうるだろう。だが、それは本書のポテンシャルを示すものでこそあれ、根本的な瑕疵となるものではない。いずれにせよ、洋の東西を超えて現代思想のフロンティアを果敢に切り開こうとする本書が、すぐれた日本語訳によって出版されたことを喜びたい。

★1──Andreas Broeckmann and Yuk Hui (eds.), 30 Years After Les Immatériaux: Art, Science and Theory, Lüneburg: mason press, 2015.
★2──Yuk Hui, Art and Cosmotechnics, University of Minnesota Press/e-flux, 2021.

2023/01/06(金)(星野太)

原田直宏『二千二十年 江戸東京魚風雨影 Tokyo Fishgraphs 2020』

発行所:Libraryman

発行年:2022

2022年度のLibraryman Awardの受賞作として、スウェーデン・ストックホルムで刊行された原田直宏の『二千二十年 江戸東京魚風雨影 Tokyo Fishgraphs 2020』は、とてもユニークなコンセプトの写真集である。

下敷きになっているのは歌川広重の浮世絵「名所江戸百景」であり、それに「朝早く魚市場に行って買い求めてきた」というさまざまな種類の魚たちを撮影した写真が組み合わされている。魚たちはごく日常的な場所(地面、コンクリートの階段、側溝など)にさりげなく置かれており、茶碗、皿、ガラス瓶などのこれまた日常的なオブジェと組み合わされている。そのたたずまいは、和風といえばそうともいえるが、厳密な美意識に基づくというよりは、ややキッチュな思いつきの産物のように見える。広重の浮世絵と魚+オブジェの付け合わせも、見立てというよりは、そういわれればどこか似ているという程度のものだ。

ところが、写真集のページをめくっていくと、そのいかにもゆるい空気感が、逆に江戸時代からわれわれ日本人のなかに脈々と受け継がれてきたものの見方(西洋人の目から見れば奇想としか言いようがないだろう)を浮かび上がらせるように思えてくる。色、形、意味のトリッキーな結びつきを、視覚だけでなく、味覚や触覚や聴覚を含めて味わい尽くしてきたその名残が、この「二千二十年 江戸東京魚風雨影」にもしっかりと宿っているのではないだろうか。

原田がこのシリーズを撮り進めていたのは、新型コロナウイルス感染症の流行にともなう緊急事態宣言下の東京だった。人気の消えた路上で繰り広げられた奇妙なパフォーマンスが、まさに奇想天外な写真集として形をとったということだろう。

2023/01/05(木)(飯沢耕太郎)

戸田昌子『Hisae Imai|今井壽恵』

発行所:赤々舎

発行日:2022/10/23

今井壽恵の写真家としてのユニークな軌跡が、ようやく明らかになりつつある。戸田昌子の監修で赤々舎から刊行された『Hisae Imai|今井壽恵』には、1959年に、「ロバと王様とわたし」、「夏の記憶」など、詩情あふれる「フォト・ポエム」の作品群で日本写真批評家協会新人賞を受賞し、その輝かしい才能が注目された彼女の、初期作品を中心とした代表作が掲載されていた。

今井については、これまで、1962年の交通事故によって一時視力を失うなどの重傷を負った後、それまでの写真と物語とを融合させるような作風から、「馬の写真家」に転身していくプロセスについて語られることが多かった。だが、今回の写真集では、今井が「芸術写真家、コマーシャルフォトグラファー、営業写真家という三足のわらじを履いていた」(戸田昌子「蘇る今井壽恵」)ことにも注目している。今井は1975年の個展「馬の世界を詩う」において、作品を展示即売したという。写真を芸術という枠に閉ざすのではなく、「夢のある商品」としてより開かれたものにしていくという志向は、現在でも有効性を持つのではないだろうか。

そう考えると、今井が1964〜1974年に、エッソ・スタンダード石油(現・ENEOS)の広報誌『Energy』の表紙のために撮影した写真シリーズも、興味深い試みといえるだろう。多重露光などの技法を駆使し、抽象と具象との間を行きつ戻りつするようなそれらの写真群もまた、「夢のある商品」の具現化というべき、型破りな実験作だった。

関連レビュー

今井壽恵の世界:第一期 初期前衛作品「魂の詩1956−1974」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2020年02月01日号)
今井壽恵の世界:第二期「生命(いのち)の輝き–名馬を追って」|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2021年02月01日号)

2023/01/05(木)(飯沢耕太郎)