artscapeレビュー
書籍・Webサイトに関するレビュー/プレビュー
菅野純『Planet Fukushima』
発行所:赤々舎
発行日:2023/03/21
福島県伊達市出身の菅野純は、2011年3月11日の東日本大震災によって姿を変えていった、故郷の人と風景を撮影し続けてきた。ニコンサロンでの個展(2017年12月)などを経て、それらの写真群を2部構成でまとめたのが、本書『Planet Fukushima』である。
第1部の「Fat Fish」には魚の鱗のように山肌に増殖していくフレコンバッグ(汚染土を詰めた袋)の眺めを、俯瞰して撮影した写真群と、身近な人物を含む福島県各地の日常の光景が、対比的に提示されている。第2部の「Little Fish」には、放射線量を測る線量計(小さい魚を思わせる)を、手を伸ばして被写体に向けている様を自ら撮影した写真が並ぶ。菅野は撮影を続けるうちに、福島の光景が遠景(「遠くの山」)、中景(「放射能という異物」)、近景(「手前の人」)の3層に分離しているように見えてきたのだという。本書はその3層だけではなく、さらにその間に介在するさまざまなレイヤーを丁寧に検証していった、厚みのある視覚的経験の集積といえるだろう。
尾仲俊介による、「Fat Fish」と「Little Fish」のパートをそれぞれ分離させてから、くるみ込んだ造本・デザインに説得力がある。糸綴の背中をそのまま見せて製本した、コデックス装の強みがうまく活かされていた。
2023/05/19(金)(飯沢耕太郎)
カタログ&ブックス | 2023年5月15日号[近刊編]
展覧会カタログ、アートやデザインにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
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ひらくツール ふれる はなす あるく
2023年2月4日~ 5月9日、長野県立美術館で開催された「アートラボ2022 第Ⅳ期 ひらくツール ふれるはなすあるく 齋藤名穂×長野県立美術館」展のカタログ。
沖縄美術論 境界の表現 1872-2022
琉球の記憶、沖縄戦、移民、米国統治-。日本の〈境界〉で独自に発展した「沖縄美術」を初めて体系化した著者による初の単行本。
イサム・ノグチ TOOLS
2023年3月4日(土)~5月7日(日)まで、竹中大工道具館にて開催されていた企画展「イサム・ノグチ TOOLS」のカタログ。
あっけなく明快な絵画と彫刻、続いているわからない絵画と彫刻
日本画家・近藤恵介と美術家・冨井大裕、2人の作家により2010年に制作された共作《あっけない絵画、明快な彫刻》シリーズは、2013年に川崎市市民ミュージアムで再展示され、その後、同館に寄贈されましたが、令和元年東日本台風(2019年)によって収蔵作品7点すべてが被災しました。現代美術の修復というあまり例のない状況を経て、2023年3月、川崎市市民ミュージアムWEB上で展覧会を開催。本書は、作品の修復過程を追いながら、以前のかたちを失ってしまった作品の新たな展開と、その経験をふまえて制作された新作、その経緯と心情の記録をまとめた一冊です。
いま、映画をつくるということ
多彩な映像制作者たちをゲストに、実作にまつわる様々な事柄、あるいはそのために必要とされる思考が、教員・学生との対話の中で語られる早稲田大学の人気講義「マスターズ・オブ・シネマ」。本書は2018〜2022年度の講義回から構成した一冊となります。制作の準備について、現場での実際について、スタッフと俳優との関係について、フィクションとドキュメンタリーについて、テレビと映画の横断について等々、映画制作におけるさまざまなテーマを通じて、映画がいま、いかに生み出されつづけているかを解き明かします。
わからない彫刻 つくる編 彫刻の教科書1
素材・技法が様々で他ジャンルと結びつくことも多い今日の彫刻は、「彫刻とは何か」という共通の理解をもち得ていない。彫刻は、彫刻に関わる人の数だけ存在する。彫刻が「わからないもの」と見做される理由のひとつには、この彫刻についての考えの多様さがある。しかし、この多様さ=彫刻のわからなさこそ、彫刻の豊かさの証明なのである。彫刻を識り、彫刻を考えるための一冊。武蔵野美術大学がおくる『彫刻の教科書』第一弾。
マチスのみかた
戦時下フランスに遊学し、「世界で一番すばらしい芸術家」に直接教えを受けた洋画家による、評論/エッセイを集成。最初期の油絵から晩年の切り絵まで、100点超の作品を収録!
アートの値段 現代アート市場における価格の象徴的意味
多くの人は、オークションに出品された有名な絵画の落札額に驚愕したり、困惑したりしたことが少なからずあるはずだ。なぜ人びとは困惑するのか? その根源には、値段が付けられる「プロセス」の不透明さがある。実は、絵画をはじめとするアート作品の値段は、作品単体の良し悪しに対する評価ではなく、芸術家、画廊オーナー、オークションハウス、コレクターなど多くのプレイヤーが参加する「意味交換システム」の中で決定される。本書では、アート市場という特殊な交換の場におけるゲームのルール、「意味の交換システム」の存在を明らかにする。そして、経済学的理論モデル、インタビュー、データ分析、さらに参与観察などの社会学的方法を用いて、その特徴を分析していく。
尼人
ダウンタウンをはじめ優れたお笑い芸人を次々と輩出する尼崎市。作者は、そんな尼崎のワケあり風俗街である「かんなみ新地」近くで生まれ育った。3人兄弟の長男。家は当然のようにドのつく貧乏。少年時代には2度鑑別所に入り、更生プログラムで行った美術館でピカソに出会い感動。トラックの運転手をやりながら、東京藝術大学に入り大学院まで出て、作品も高い評価を得るようになった。しかし、母親はいまだ息子のことを正真正銘、詐欺師だと思っている。本書は、そんな母親に向けて、また分断と貧富の差が広がる世界に向けて書いた貧民蜂起のためのスラム芸術論である。
出会いの痕跡
日本を代表する彫刻家・舟越保武の長女に生まれ、美智子さまの講演録の編集者としても知られる末盛千枝子が、その波乱に富んだ人生の途上で出会った人々との思い出を語る。 貴重な写真や芸術家一家、舟越家の人々の作品も多数掲載。
岡倉天心とインド 「アジアは一つ」が生まれるまで
近代日本美術の復興運動を指揮した岡倉天心は、道半ばで東京美術学校を非職となり、私生活も破綻をきたした1901年末に、突如、日本を脱して9か月にわたりインドに滞在する。西洋が「美術」の基準とされた植民地時代のインドで、岡倉は自立したインド社会を構想する気鋭の知識人や芸術家、宗教家と邂逅し、その過程で『東洋の理想』などの代表的な英文著作を執筆する。1893年のシカゴ宗教会議の活躍で知られる宗教改革者ヴィヴェーカーナンダとは、深い思想体験を共有するが、その改革運動が今日のインド社会に与える意味は、これまで十分には明らかにされてこなかった。日印の資料を紐解いて、その国境を越えた知的変革の軌跡を描き出す、貴重な一冊。
エコゾフィック・アート──自然・精神・社会をつなぐアート論
30年にわたりメディアアートの第一線で活躍するキュレーターが、フェリックス・ガタリの“エコゾフィー(エコロジー+フィロソフィー)”をキーワードに、旅をしながら数々の作品を独自の視点でつなぎ合わせる現代アート探求!
日常のかたち―美学・建築・文学・食
日々の生活の中でわたしたちは、歩き、詩作し、住まい、音を奏で、食べ、死者とも交流する。他者に焦がれ、あるいは背を向けながら、歓びも痛みも、愛おしさも怒りも日々に埋め込んでゆく。そのような毎日は変奏されながら、日々の襞の折り目を豊かにたおやかに重ねてゆく。本書は、そのような襞のなかに、美学・建築・文学・食を通して分け入り、日常を見つめ直している。
アートの力 美的実在論
天才哲学者、マルクス・ガブリエルによる初の芸術論! 『なぜ世界は存在しないのか』(講談社選書メチエ)、『新実存主義』(岩波新書)などのベストセラーで知られる著者が、美術の見方を徹底的に考える。
なぜ美術は教えることができないのか
いかにして、美術を教えることができるのか。「美術を教える」とは何か、何をいかにして教え、学んでいるのか、教師も学生も、ほとんど分かっていない。講評で使われる批評の言葉を手がかりに、美術の授業で「起こっていること」を記述することで、私たちが普遍と信じ、行い続けていることの意味を問い直す。「美術を教える」ことについて、誰も口にすることのなかった数々の事実を提示する。
パリの二つの相貌 建築と美術と文学と (碩学の旅)
永遠の都ローマを知り尽くした碩学が、 芸術の都パリと折々のイタリアを逍遙し、 何気ない広場や街路や佇まいに秘められた、 深い歴史的意味と哀悼と芸術的精華を語る、 芸術探訪の必携の書!
2023/05/12(金)(artscape編集部)
高﨑紗弥香『巡礼』
発行所:月曜社
発行日:2023/05/10(水)
高﨑沙耶香は前作の写真集『沈黙の海へ』(アダチプレス、2016)で、日本海から太平洋沿岸にかけての山岳地域を43日間かけて縦断し、そのときに撮影した写真群を、静謐で張りつめた画像の集積として発表した。今回写真集にまとめられた「巡礼」シリーズは、12年にわたって1年の半分ほどの時間を過ごしている長野県と岐阜県の県境の御嶽山の山小屋近くの水辺で撮影したものである。
自らの身体移動の感覚が刻みつけられた前作と比較すると、本作では、被写体を「見つめる」という行為の積み重ねによる時間の厚みを感じとることができる。主に写しているのは、季節の移りゆきとともに絶え間なく変容し、姿を変えていく水面である。その光と影と色味と質感とが織りなす、精妙かつ繊細な変幻の様相は、見飽きるということがない。
だがそれは同時に、水面を見つめ続ける高﨑の内面を映し出す鏡のようにも見えてくる。内と外との照応関係が、ときに細やかに、ときにダイナミックに90点の写真に形をとっている。今回はテーマを絞り込んだ写真集だが、高﨑の御嶽山での視覚的経験は、決してこのシリーズだけで完結するものではないはずだ。さらに多様な形で発表していくべきではないだろうか。
なお、鈴木成一の端正なデザインによる写真集の刊行に先行して、静岡県三島市のGALLERYエクリュの森で、出版記念展として「巡礼 JUNREI」展(5月1日~10日)が開催された。
2023/05/07(日)(飯沢耕太郎)
カタログ&ブックス | 2023年4月15日号[近刊編]
展覧会カタログ、アートやデザインにまつわる近刊書籍をアートスケープ編集部が紹介します。
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戦後空間史 都市・建築・人間 (筑摩選書)
冷戦、高度経済成長、持家社会、革新自治体、バブル経済、アジア戦後賠償、農地の宅地化、東日本大震災…終戦から二一世紀の現在まで、戦後の日本の都市・近郊空間はさまざまな出来事を経験し、大きく変容してきた。本書では、その戦後のあゆみを建築や都市の研究者が、社会や世界情勢、歴史的事件を含めて多角的に検討する。変質しながらも生き続ける戦後を思考する画期的試み。
戸口に立って 彼女がアートを実践しながら書くこと
...フィリピン・韓国・日本のカルチュラルワーカー(アートマネージャー)たちが集まり、それぞれの悩み、疑問、考えや希望を表現するための方法を探ってきました。 その研究成果として、このたび、『戸口に立って―彼女がアートを実践しながら書くこと』を発行しました。現場の視点から”書くこと”の可能性を探るためにさまざまな文体で綴られたテクスト集です。
朝露 日本に住む脱北した元「帰国者」と アーティストとの共同プロジェクト
アーティスト琴仙姫(クム・ソニ)によって企画された「朝露」は、「元「帰国者」」をテーマとしたソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)・プロジェクトである。 ...本書では、展覧会で発表された作品とその記録を起点とし、外部の寄稿者による「朝露」プロジェクトへの応答を幾重にも編みながら、ディスカッションの輪を広げていくことを試みる。
ミヤギフトシ 物語を紡ぐ
フェミニズム・クィア理論を援用しながら、写真、映像、インスタレーション、小説まで、様々な手法を横断的に用いて〈物語〉を紡ぎ出すという唯一無二のスタイルで、近年注目を集めている沖縄出身の美術家・小説家、ミヤギフトシ。美術・文学の両側面からミヤギの活動を多角的に描き出し、その全貌に迫る。 気鋭の執筆陣による、待望のモノグラフ!
ポストメディウム時代の芸術 マルセル・ブロータース《北海航行》について
ポストメディウム的条件とは何か? メディウムとは何か? ポストメディウム時代の芸術とは何か? マルセル・ブロータースの作品の精緻な分析とベンヤミンの考古学的方法を深く交差させながら、現代における芸術そして「メディウム」の可能性を探究する。必読の理論書、待望の邦訳。
感受性とジェンダー 〈共感〉の文化と近現代ヨーロッパ
尊厳を踏みにじられた他者をケアして連帯する一方、感情の激発や煽動が危惧されもする昨今、「共感」は時代を理解するキーワードとなった。しかし、この感性は現代に始まったのではなく、18世紀の「感受性」文化にその萌芽を宿していた──ロマン主義文学、道徳哲学、ジェンダーをめぐる言説を通して、「共感」の可能性から、その矛盾と限界までを探る!
愛されるコモンズをつくる
あなたの街の公園やオープンスペースはどれくらいそこに人が集い、活用されているだろうか。 公的機関がコモンズとして提供してきた場所の多くが機能不全に陥っている一方で、個人が私有財産をコモンズ化している。 そこで活躍するのが「街場の建築家」である。 彼らの空間創造の実例を通して新しい空間の創造を考える。
国際芸術祭「あいち2022」
国内最大規模の国際芸術祭の一つ「あいち2022」の公式図録。国内外から参加した100組のアーティストが、愛知芸術文化センターのほか、一宮市、常滑市、有松地区(名古屋市)のまちなかを会場として、現代美術、パフォーミングアーツ、ラーニング・プログラムなど、ジャンルを横断して展開した最先端の芸術のかずかず。その全展示・公演作品のヴィジュアルと解説に加え、芸術監督の片岡真実、キュレトリアル・アドバイザー、キュレーターのエッセイ等を収録した圧巻の624ページ!(日英バイリンガル)
戦争と劇場 第一次世界大戦とフランス演劇
価値観の転倒を引き起こした第一次世界大戦。激動のなか、威光を放ったフランス演劇界が強いられた変化とは? 愛国心を掻き立て、プロパガンダに与し、文化の威信を賭ける者。一時の娯楽を夢見て、炸裂する風刺の中に一抹の真実を見出す観客。風俗劇やレヴューの流行、そして前線で開かれる軍隊劇場……新聞・雑誌から検閲調書まで渉猟し、戦争と演劇の関係の本質に迫る。
杉浦康平と写植の時代 光学技術と日本語のデザイン
宇宙としてのブックデザイン 戦後日本のグラフィックデザインを牽引したデザイナー、杉浦康平。 彼は写植という新たな技術といかに向きあい、 日本語のデザインといかに格闘したのか。 杉浦康平が日本語のレイアウトやブックデザインに与えた決定的な影響を明らかにする。
部屋のみる夢 ボナールからティルマンス、現代の作家まで
ポーラ美術館のコレクションを中心とした、同館開催の展覧会「部屋のみる夢─ボナールからティルマンス、現代の作家まで」の公式図録兼書籍。
Infected Cities
東京same galleryにて開催された、大林財団、same gallery、エキソニモ共催による「A DECADE TO DOWNLOAD - The Internet Yami-Ichi 2012-2021」の記録冊子。https://www.obayashifoundation.org/urbanvision/profile/2021_exonemo.php
ウアイヌコㇿ コタン アカㇻ ウポポイのことばと歴史
2020年7月に開業した、アイヌ文化の復興・発展のための拠点施設「ウアイヌコㇿ コタン」(「民族共生象徴空間」:愛称ウポポイ)。中心施設の国立アイヌ民族博物館が、園内の様々な取り組みと工夫を豊富な写真でわかりやすく伝える、初の公式本。
DESIGN SCIENCE_01
科学は確かで、信頼できるもの。デザインは抽象的、不定形で、どこかマジカルで分からないもの。デザインを科学として捉えたときに見えてくるものとは──。 デザイナー、小説家、生態心理学者、人類学者、映像空間演出家、精神科医ら、各界の尖端を切り拓くトップランナーたちが、日常生活の質や環境世界への人々の意識や興味の感覚器を立ち上げ、世界を美しい方へとスイッチする「DESIGN×SCIENCE」が創発する知を鮮やかに描きだす。オールカラー/日英対訳付き。
芸術のわるさ コピー、パロディ、キッチュ、悪
白か黒か、アウトかセーフかの線引きばかりの窮屈な世にあって、 著者は1950年代~70年代の複製文化の賑わいへと探索に向かう。 雑誌、マンガ、広告、テレビなど複製メディアが花ひらいた1970年代を中心に、 生活の中で生まれた表現を読みとき、 機知と抵抗の技術として今によみがえらせる。 軽妙な口上あり、辞典あり。美術と雑種的な視覚文化を混交させる展覧会を企画してきた学芸員が、〈芸術〉の前後左右をくすぐる複製文化論。 アウトかセーフかの呪縛からの解放のために。 すべての持たざる者たちのために。 10年の仕事からの精選に書き下ろしを加えた、満を持してのデビュー作。 ゆかいな批評の登場!
2023/04/13(木)(artscape編集部)
寺崎英子『細倉を記録する寺崎英子の遺したフィルム』
発行所:小岩勉(発売=荒蝦夷)
発行日: 2023/03/31
寺崎英子は1941年、旧満州(中国東北部)で生まれ、戦後に宮城県鶯沢町細倉(現・栗原市)に移った。最盛期には3,000人以上の従業員を擁していた鶯沢町の三菱鉱業細倉鉱山は、鉛、亜鉛、硫化鉄鉱などを産出する全国有数の鉱山だったが、安価な鉱産物の輸入が自由化されたこともあって業績が悪化し、1987年に閉山に至る。
寺崎は、幼い頃に脊髄カリエスを患い、家業の八百屋の経理などを手伝っていたが、細倉鉱山の閉山前後から、カメラを購入して細倉の街並み、人、自然、取り壊されて空き家になっていく建物などを克明に記録し始めた。その本数は、黒白、およびカラーのフィルム371本(10,985カット)に及ぶ。今回刊行された写真集には、写真家の小岩勉を中心とする寺崎英子写真集刊行委員会がスキャニングした画像データから、432点が収録されている。
それらを見ると、寺崎がまさに閉山によって大きく変わり、失われていこうとしていた細倉の姿を、写真として残すことに、強い思いを抱いて取り組んでいたことが伝わってくる。細やかな観察力を発揮し、被写体の隅々にまで気を配って、一カット、一カット丁寧にシャッターを切っているのだ。とはいえ、カメラワークはのびやかで、柔らかな笑顔を向けている人も多い。愛惜の気持ちはあっただろうが、写真を撮ること自体を充分に楽しみつつ、記録の作業を続けていたのではないだろうか。結果的に、遺された371本のフィルムには、細倉とその住人たちの1980~1990年代の姿が、そのまま、いきいきと写り込むことになった。
寺崎は亡くなる1年ほど前の2015年に、小岩に電話をかけ、「これで寺崎英子って名前の入った写真集をつくって」とすべてのネガを託したのだという。彼女自身、自分の仕事の価値をしっかりと自覚していたということがわかる。写真集を見ると、掲載された写真のクオリティの高さは、一アマチュア写真家による記録写真という範囲を遥かに超えている。このような写真が撮られていて、しかも写真集としてまとめられたこと自体が奇跡というべきだろう。既に2017年以降、せんだいメディアテークなどで写真展が開催されているが、ぜひほかの地域でも展示を実現してほしいものだ。
2023/04/04(火)(飯沢耕太郎)